衰楽園 <文芸部祭り参加作品> |
魔愚奈: とある衰え。 |
傾いていた。その樹は冬の重さに引き摺られて、傾いでいた。根元の方は深く雪に埋もれていた。風は横様に吹き付けていた。それを見ると何時も思い出す、その根方に暮らしたことを。 その時私は驚く程小さかった。微かな侏儒の王国で。空は低い天幕であって、触れば引き延ばせるぐらいだった。私たちは遊び時間になるとその元へ飛び出していった。黒いフェルトの夜。星は縫い付けてあった。その端々に到るまで幼い手による刺繍が施されていた。月は布を乱雑に切り抜いた為、円形を保ちながら、鶏冠が周縁を象るように出来ていた。王国は段ボール紙を組み合わせて作られた建築群が、根方にちまちまと密集して置かれたものであったのだ。子供たちは――私をも含む子供たちは、その小さな王国の住人だった。大人たちは私たちとそれほど背丈が変わらなかった。微かな侏儒の王国では。 私は大きくなるにつれて知った。ここには軈て冬が訪れることを。そして、この王国は長らく封じられることを。私の幼い心は侏儒らしくそれを恐れた。逃げ出したく思ったのだ。小さな心臓は驚くばかりに鼓動を打っていた。 何とか外の世界を見てやろう、これは是非やらねばならない。そういう風に血気盛んに私たちは思った。子供の侏儒はバカだったのだ。それは暫くして後のことだ、それを決行した私たちは、大きな侏儒の王国へと出ていたのだ。何とも驚くべきものだった。私たちが乗っていた掌の持ち主は、大きな侏儒だった。その笑い声はおそろしく、開かれた歯の反り返りが私の脳裏に一抹の拘りとなって張り付いている。指の関節一つ一つが私たちの台座となっていた。指紋は切り株にすら見えた。その大女は――それは酷く直感的に悟ったことであったが――私たちを呑み込もうとしているのであろうか。ある意味ではそれはしかり。私たちを懐柔しようとしていたのだった。恐ろしい速さで喋り、その厚い唇が一つ一つの命令を刻み付けていくような響きでうっとりと湿り続けていた。法螺貝を鳴らすような音なので最初は理解できなかったが、それは深く底の方から、甘く私たちを誘う声であると気付いた。 斯くして我々は連れて行かれたのだ。大きな侏儒の王国へ。そこへ向かう途中にあった絶え間ない酒の通過は渓流をなし、私たちが越えていく橋の下で驚くべき葡萄色の滑りを作り出していた。私たちの一人はそれへと嵌まり込み、見事足から逆さに動かなくなった。それが横様に見えている側をただただ眺めて過ぎゆかねばならなくなった私たちを、大女は余程甲高い叫び声で嗤ったものであった。それが少しばかり風に揺らぎを作りだし、私たちの頬をかすめていったとき妙な産毛の震えを感じたものだった。 着いてみると、そこは大きなテーブルの上にあり、巨山が見えたかと思うと、それは一つの桜桃であった。果実群の中を彷徨うようにして私たちは大きな人々に出迎えられた。 抜け出せたのは余程経ってだった。何年ばかりが過ぎたのであろう。その間に私は大きな侏儒になっていた。大女は私たちを種にして大きな金を儲けた。それで大きな家を買って私たちをその中の小さな箱の中の小さな檻に閉じ込めたのだ。 一人一人と物言わなくなっていく私たちの中で私とその少女(侏儒でありながらも尚更に小さいのだ)と二人で手を繋いでいなければならなかった。その手が離れないうちに二人は駈け出した。長年の怠惰で檻の鍵が忘れられたのだ。冬の雪原に足跡を幾つも踏み残して。ブーツが沈んで行くその間に、少女の息遣いが分を刻むように続いて感じられていた。明らかにその少女の輪郭を私はなぞっていた。微かな侏儒の王国へ。帰れば必ず待っている王国へ。 ところが私の王国はなかった。そこは封じられていた。雪の中、樹の根元で確りと、全ての色合いを無くした街が、ゆっくりと氷の内に浮かんでいた。それの透き通った容子を前にして、二人は手を繋いで佇んでいた。 そうしている内に片方の手が静かに冷めていくのが分かった。一つの悔いがその胸の内を焼き尽くしたのだった。私も同時に悔いを感じていた。この停滞した、人の命を残さない街を前にして、早く戻れば良かったと。だが私は留まり続けた。 冬になれば何時でも思い出す。既に家から出ないようにしているにしても、あの樹へは必ず向かうのだ。 そして何時も考えを馳せるのだ。あの樹の根方で暮らしていたことを、雪の降る夜そこに埋めた少女のことを。 |
2013/12/23 (月) 03:32 公開 2014/01/01 (水) 16:45 編集 |
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初読読み終えて、はあ、と溜息が出ました。凄いなあ、と本当に声に出して言い、自身の書いたものが情けなくなったりしました。
まず驚くべきなのはその多彩な語弊。私の読む力が足りていないため、所々苦心しました。読み直すには気力と体力を要する程の其れが、作品に貫禄と凄みを与えているように感じます。
書かれたいものが確かにある、物語性にも筋が通りどっしりと腰を据えて此方を見ている。なのにそれを私の感性で正確に捕らえることが出来ない。他者を寄せつけず甘えを許さないその姿勢に、悔しさと大女の掌に乗り見据えられ嗤われるような錯覚を覚えます。
書かれたいものが作者の中にあるとしたら、誰をもそれに届き得ないとしたら作品と作者が余りに不憫ではないだろうか。だけど高みからただ見据えるように見下ろす錯覚。とても悔しい。
読み返すことに苦心する作品ではありますが、それを改善した方がいいとは今の私には言われない。精進します。
以上を、拙く体をなさないながら「衰楽園」の感想とさせて下さい。
読ませて頂き有難うございました。