売春がなくならない理由 |
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誘惑は女性の領分と言えるだろう。誘惑には身体的要素が大きく関わるからである。誘惑を意図するしないにかかわらず、若い女の体の線は男を誘惑せずにはおかない。売春婦は、その特質を利用して、日々の糧を得ている。 売春は悪と言われるが、売春は古来から続く職業である。売春が悪なのは、一夫一婦制に基づく婚姻制度を揺るがすからだろう。売春を糧にしながら、結婚して子どもを育てることは、不可能とは言わないが、性愛に基づく結婚の前提に反する。また、職業上、生殖能力に影響が出ることが多いだろう。よって、売春婦は多くの場合、再生産に組み込まれることなく、アウトサイダーとして生きることを余儀なくされている。 しかし一方で、売春が果たしてきた役割もあるだろう。男にとっては、簡単に快楽が得られる娯楽としての役割は大きい。また、売春婦にとっては、貧困からの脱出のための手段となっている。売春は精神的に苦痛だろうが、通常物理的苦痛はない(むしろ快楽がある)。精神的苦痛は、貧困に因る物理的苦痛に比べれば、はるかに我慢できる苦痛ではないだろうか? そうしたメリットを勘案しても、やはり売春は悪であるとする見方もできるだろう。売春は違法で、反社会的勢力のしのぎになっているから、云々。ただ、それらのことは売春が本来的に悪かどうかを決める要素にはならない。オランダのような売春が合法の国では、健全な組織が売春を行っているだろうからだ。 売春の是非についてはさまざまな意見があるだろうが、私は売春がなくならない根源的な理由があるように思うのだ。それは、冒頭で触れた誘惑の能力(以下「誘惑力」)が女性にあることである。女性がその誘惑力の行使に快楽を見出すのは自然なことではないだろうか? それは大きな武器である。誘惑できる女性は、多くの場合、その誘惑力を恋愛で活かす。しかし、もっと広くその能力を試したいと考え、その能力を磨くことに日々費やすとしたら、どうだろうか? その場合、結果として、職業は限られてくる。売春婦以外にはモデルかタレントくらいだろう。 誘惑は男性と女性の双方を――束の間だとしても――夢の世界に招き入れる。きれいでエロい女に誘惑されて嬉しくない男はいないし、女はますます魅力的になる自分にナルシスティックな陶酔を覚えるだろう。 ゴダールのSF映画『アルファヴィル』に「誘惑婦」という女が登場したが、今後、売春婦は誘惑婦という呼び名にしたら、どうだろうか? そうすることで、売春婦は、自らの能力を誇りにでき、尊厳の獲得にもつながるのではないだろか? また男にとっては、聞いただけで、そそられるネーミングだと思う。 |
2014/01/20 (月) 00:47 公開 |
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感想・批評 |
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1: <rINiisKV> 2014/01/22 (水) 20:45 |
ただ、切り口が普通すぎるかな、と。
唯一といってよい切り口の、誘惑力も、ありきたりというか、むしろ常識というか。
それと、「売春がなくならない理由」という題名も違っているかと。