或変態の一日 |
ランダカブラ: 創芸戦1回戦 第4試合 |
あなたは今、何をしているだろうか。誰も干さない湿った煎餅布団の中で、寝息を立てているだろうか。椅子に座り、細く弱った腕で海外文学を読んでいるだろうか。どんよりと鉛色に濁った空の下で、洗濯物を取り込んでいるだろうか。数十年続けた禁煙を止め、焦げた鍋のように煙を吐き出しているだろうか。焦げた鍋……まさか、ボヤを起こし消防車が出動してなんかいないだろうか――。 電車のドアが開くと、人々が使い捨ての部品のように吐き出される。そしてまた代替品たちが、掃除機に吸い込まれるゴミのように、吸い込まれていく。佐合井は不可抗力を装って、成瀬桃香の後ろへ体を滑り込ませた。近頃の学生は、情報化社会の中で育ったせいか無防備な所があり、後ろからスマホを覗けば、個人情報が筒抜けだ。成瀬桃香はこの春高校を卒業する。だから佐合井は、彼女に何かプレゼントを添えたいと考えていた。卒業と言えば、バージンの喪失もそうである。しかし、当たり前の生殖行為を当たり前に行うことなど、本当の意味でのバージンの喪失ではない。神聖な、輝かしき神の威光による啓蒙こそが、精神的なバージンの卒業である。 佐合井が桃香の尻へ股間を押し付けると、ぷりっとした弾力がペニスへ伝わってくる。感触を鈍らせないため、下着は身につけていない。細くさらさらした髪を、口に含んでみる。繊細な絹糸のような感触は舌触りが良く、もう一本、そしてもう一本と、ついつい貪欲にしゃぶってしまう。車内には、鼻をつく激臭が漂っていた。それは寝起きの口臭と、タバコの臭いと、コーヒーの苦みが混じった佐合井の口臭だった。敢えて、歯は磨いていない。悪臭に苦悶する桃香の表情が、佐合井の勃起をより確実に、強固にした。 そのとき、佐合井に怖いものは存在しなかった。出勤を怯える感情を、麻痺させることができた。この世の支配者となった気分だった。怒張した亀頭を桃香の尻の割れ目に押しつけ、電車の揺れを利用したゆったりしたリズムで、ときに激しく擦りつける。桃香の耳へ唇を押し当てうめき声を上げると、絶頂を向かえた。射精の鼓動を少しでも女子高生へ伝えようと、最後まで押しつける力を弱めなかった。一〇日間貯めた佐合井の精液は、スラックスを媒介し、桃香のショーツへ遺伝子を伝えるのに十分だった。――私は、神だ。桃香よ、汝は今神の威光を浴びている。それは啓示である。本当の意味での、ロスト・バージンである。ふいに、佐合井は腕を強く掴まれた。振り返ると、スーツの男が睨んでいた。「何やってんだ、お前」 「え、何って……」 「みんな、見てんだよ。次の駅で降りるぞ」 ドアが開き連行される形で出ると、男が駅員を呼ぼうとした瞬間を見逃さなかった。柔道の引き手を切る要領で素早く手を払いのけると、全速力で走り、線路へ飛び降りた。走りながら、隣の車線へ飛び移る。次の瞬間、激しいヘッドライトに照らされた。けたたましいブレーキ音と、ヒステリックな汽笛――。世界がスローモーションとなる。運転手の顔が、はっきりと見えた。どこにでもいる、代替品の会社員。しかし違ったのは、目を見開き、ぽっかりと口を開けた、予想外の場面を目撃した劇団員のような、分かりやす過ぎる、驚きの表情。脳が熱く、急にたくさんのものが溢れ出てくる。 ――お母さん、ごめんなさい。ぼくはあなたのことを、ずっと見下し、馬鹿にしていました。遊んでばかりの父親に文句も言えず、給料を渡してもらためだけに、自分を犠牲にする毎日――。男次第の人生。趣味はなく、友達もおらず、独りぼっちで、唯一の楽しみだった息子は、あなたが期待した人生を歩まず、あなたを煙たがり、邪険にし、目下のように扱った。あなたは文句も言わず、たまに涙を流し、たまに酒に溺れ、それでも毎日立派に家事を続けました。それがどんなにすごいことかわからず、ぼくはその姿をただ馬鹿にするだけでした。馬鹿はぼくの方でした。ぼくは今、あなたに最低限の親孝行をしてやることさえできません。――ありがとう、と言いたかった。許してくれ、と伝えたい。しかしそれさえできません。嗚呼、もうぼくは、一足早くあの世へ旅立ちます。この人生を卒業します。ぼくはきっと、天国で神となるでしょう。そこであなたが召されたとき、最高の世界を創って待っています。だから、心配しないでください――。 グモッチュイーーンボゴゴゴゴゴ。断末魔を上げる暇さえなかった。佐合井の肉体は、一瞬で魂が抜けた肉塊へ瓦解した。佐合井は微笑んで死にたかった。しかし、もはや目や口や鼻はてんでばらばらの場所にあり、それぞれのパーツは原型を留めてさえいなかったので、表情と呼べるものは存在しなかった。そこに功徳は無かった。 |
2014/02/27 (木) 04:32 公開 2014/02/27 (木) 04:56 編集 |
■ 作者<ITfsHuOu> からのメッセージ お題「卒業」 |
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母への想いパートが前半に対しインパクトに欠け、読後の印象が弱まってしまった。
エンタメ的には、主人公の変態性への必然あたりを母への想いに紛れ込ませるのがひとつの手かも。