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陽は昇り桜が舞って少年は歩く
オチツケ: 創芸戦 準決勝第二試合
 昨日の暴風雨のおかげでグラウンドはわずかに湿りを帯びていて、芝生がいつもより柔らかくスパイクを受け止める。顔を上げると、春一番が掃いていったあとの、よく澄んだ朝空が広がっていた。激しくなった呼吸を落ち着かせようと、秀夫は深く息を吐く。胸の中を巡る空気の匂いはどこか懐かしくて気持ちがよかった。
「秀夫」呼ばれて振り返ると吉松さんが投げたペットボトルが腕の中に飛び込んできた。「ありがとうございます」「おい、さっきのナイスシュートだったぜ。ファンデルサールもありゃ捕れねえ」吉松さんが鼻を鳴らす。右足から放たれたボールが彼の手を掠めてゴールに吸い込まれていく光景を思い返しながら、秀夫は微笑んだ。
「蹴った瞬間もらったと思いました」「言わせておけばこの野郎、次は一点もとらせねえからな」ぐしゃぐしゃと髪を乱され、グラウンドに笑い声と汗が飛び散る。
「しかしおまえもほんとにサッカー狂だよな。社会人に混じってまで球蹴りしたいなんて」並んでベンチに腰掛け、スパイクの紐を解きながら吉松さんが言う。「朝こんだけやって部活にも行ってんのか?」「いや、部活はもう引退になったんです」「ああ」と吉松さんは顔を上げた。「そういやおまえ受験生か。はは、忘れてた」おまえ見てるとサッカー以外なんにもないって感じがするんだよと吉松さんは言う。実際その通りだと秀夫は思った。自分にはボールを追いかける以外にはなにもない。他のことにはあまり興味がなかった。だから秀夫にはわからない。夏が終わった途端、受験だといって部活から引き離そうとする親や教師のことも、それに黙って従う仲間のことも。
「そういえばおまえ、卒業式いつだよ」秀夫は少し黙ったあと今日だと答えた。吉松さんは素っ頓狂な声を上げた。
「ああ!? 今日っておまえ、マジで言ってんのか!?」吉松さんが慌てて腕時計を見る。もう九時をまわっていた。「おい急げおまえ、学校の前まで送っていってやるよ」土手の上のワゴンを指しながら吉松さんが言う。腕を掴む吉松さんを秀夫は慌てて制止しなければならなかった。「大丈夫ですよ、まだ時間ありますから」「おい、ほんとに大丈夫か?」疑うように言いながらも吉松さんは腕を放した。「まあ、今度卒業祝いにどっか食いに連れていってやるよ。そんじゃまた明日な、卒業オメットサン!」そう言って吉松さんは歩いて行く。吉松さんには仕事があるのだ。ほとんど実業団のメンバーとして会社に雇われている吉松さんは、朝と夜は練習、昼は会社で内職のような仕事をするのだそうだ。
 突然、そのことが秀夫には羨ましく思えた。無性に吉松さんについて行きたいと思った。大学なんかに行くくらいなら彼を呼び止め、一緒に働かせてほしいとお願いするべきだという衝動に駆られた。が、グッとこらえて秀夫はベンチを立つ。あまり子どもみたいなことを言って吉松さんを困らせるわけにはいかない。ボールとスパイクを肩に掛け、秀夫はのろのろとグラウンドを後にした。
 すっかり日が昇った平日の町中を秀夫はあてもなく歩いた。なんだか新鮮だった。この時間はいつも学校にいるからかもしれない。目の前には秀夫の知らない町の姿が広がっている。いつもひっそりしている公園は、遠足に来た近くの小学生の歓声で埋め尽くされている。公園の前のスーパーは駐車場が埋まりきっていた。そんな光景を見たのははじめてだった。店の前で団子になって話し込むおばちゃんたちの笑い声が秀夫の耳に届く。幸せが買い物カゴを持って歩いているようだと、不意に秀夫はそんな風に思った。みんな幸せそうだった。目を細めて空を見上げると、すっかり昇った太陽が柔らかな陽射しで彼を照らしていた。
 吉松さんに言ったことは嘘で、卒業式はもうとっくにはじまっていた。今頃みんな嘘かほんとかわからないような涙を浮かべて校歌を合唱している頃だ。ほんとは行かないつもりだった。それでも彼の泥にまみれた足は、いつの間にか見慣れた通学路を歩いていた。やがて体育館裏の路地に差し掛かり、秀夫は足を止める。運動部なら誰でも知っている破れた金網からそっと校内に入り、冷たいコンクリートに背中を預けて座り込んだ。館内からは校歌を合唱するみんなの声が聞こえてくる。見つかったら大目玉だ。なのに、不思議と心は穏やかだった。実感はない。けれど、なにかが終わるんだという漠然とした感慨があった。ふと鼻先になにかが触れる。摘んだ指の中に桃色の花びらがはためいた。見渡すと少し向こうに、わずかに色をつけた桜の木が立っている。
 ボールを腕の中に抱え、秀夫は小さく校歌を口ずさむ。春は、もうすぐだった。
2014/03/14 (金) 21:50 公開
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感想・批評
将来への漠然とした不安は少年期特有のものでそこはある程度共感して読むことが出来たが、大学へ行けば好きなサッカーがまた四年間できるのだからそれはそれでいいのではという素朴な疑問が残った。働きながら実業団に所属する、その方が主人公にとって望ましい条件であるという具体的な記述が二三あればよかったのではと個人的には思った。
1:  普通 6点 <ZH4uvqW8>  2014/03/14 (金) 22:34
ポッポ
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