夏の夜の一幕 |
オチツケ: 創芸戦3位決定戦 |
とても苦しくて気持ちが悪かった。身体を揺すってもそれは離れようとしない。しばらくもがき続け、どうしてこんなに苦しいんだと思った途端、パチンと世界が変わるかのように僕は目覚めた。しばらくじっと暗闇を見つめた。それからゆっくりと汗で身体にまとわりつく布団を剥いだ。全身がびしょ濡れだった。手探りでベッドの頭に手を伸ばしてライターとセブンスターを鷲掴みにする。手の中でくずおれる箱が残りの本数を教えてくれる。ひどく頭が痛かった。 火を点けようとして、網戸の外から虫の鳴き声に混じって怒声や笑い声が聞こえてきた。どうしてすぐに気づかなかったのかと思うほど大きな声だ。騒ぎ声の出所はすぐ上の階からだった。またか、と煙をくゆらせながら眉をひそめる。暴れているのは四月に引っ越してきた下級生だ。アパート前の駐輪場で一度だけ会ったことがある。改造し過ぎて原型を留めていないバイクに跨がり、ヘルメットを外すと血でも浴びたようなどぎつい色の髪が飛び込んできた。目が合った僕に御丁寧に僕にガンをくれると、彼は喉がぶっ壊れてるんじゃないかと思うくらい辺りに唾を吐き散らしながら階段をのぼっていった。 騒音か夜の涼風か、どちらにせよ安眠はできそうにないけれど。吸い殻を押しつけ、網戸まで歩く。市街から離れたこの付近はほとんど田んぼと畦道に囲まれていて外は文字通り真っ暗だった。まだ入居して二年もたたないというのに、どこか懐かしいような気もする。しばらくその暗闇を眺めていたかったけれど、階上からの騒ぎ声でいよいよ頭が割れるほど痛くなってくる。仕方なくガラス戸をしめようとしたそのとき、隣の部屋から物音が聞こえた。 「起きてるのか、室端?」彼もこちらの物音に気づいたのか、ベランダ越しにそう訊ねた。 「今さっきね」「ちょうどよかったぜ」「なにが?」彼はいつもの屈託ない笑い声を放った。「俺がお前を起こすことにならなくてよかったってことだよ」「どういうこと?」「まあ見てなって」意味がわからず網戸を開けて真夜中の暗闇に顔を出す。彼の部屋の方を向くと「あ……」と声が零れた。立て板二枚分ほどしかないベランダのその手すりにずらっとなにかが括り付けてある。ロケット花火だった。 「なにする気?」「眠れないから俺もお祭りに混ぜてもらおうと思ってさ。うええ、埃くせえ」彼を入学してから知っている僕には、あまりいい予感はしなかった。ガタン、となにか重そうなものが置かれ、ブウン、ガガ、という電子機器が発するような重低音が夜の闇を伝って僕の鼓膜に届く。僕は思い出す。こいつが大学に入ったばかりの頃、バンド漫画に影響を受けてギターセット一式揃えたことを。だけど一緒に演奏する仲間がおらず(僕もしつこく勧誘された)結局それらは一度も日の目を見ることなく押し入れの中に仕舞われたことを。 「おい――」 ドカーン! 僕の声は呆気なく掻き消された。真夏の熱帯夜に轟音爆音が鳴り響く。思わず耳を塞ぐ。アンプで増幅された轟音が、虫の鳴き声もヤンキーどもの騒ぎ声も、すべてを劈いて彼のめちゃくちゃなストロークに乗って夜の広がる田んぼを駆け抜けていく。 短気にもほどがある! 注意すればいいじゃないか! 僕が叫んでももちろん彼の耳には届かない。ようやく彼の酷い演奏が終わってホッとしたのも束の間“お祭り”はこれだけでは終わらなかった。 「ふざけてんじゃねえぞボケナスが! 顔出せや!」 爆奏が終わると同時に今度は階上から怒号が降ってきた。どうやら今のが挑発だとわかるだけの持ち合わせはあるようだった。ちら、と窓の外を覗く。今にも奴らが降りてきて彼がぼこぼこにされるんじゃないかと心配になった。「あ……」と再び僕は声を零す。彼の部屋のベランダをなにか赤い光が走っている。光はバチバチと上に向かっていき、やがて幾筋にも別れる。目で追いかけていった先で光は消え、直後に鋭い音が空気を裂き、二階からは悲鳴が降り注いだ。 寝苦しさに耐えかねて布団を蹴り飛ばす。ゆっくりと身体を起こして煙草を手に取るけれど、残りはもうなかった。張りついたシャツを指で摘んでぱたぱたと扇ぎながら網戸の前に立つ。静かだった。身体から滲む熱気を涼やかな風がさらっていく。遠くで鳴っている救急車のサイレンがやがて鈴虫の声に紛れて消えていくと、あとにはもう夏の夜の音だけが残った。僕はしばらくそこに突っ立って、気の行くまで静かな夜を見つめ続けた。 |
2014/03/18 (火) 20:33 公開 |
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でも最初の方の巻き込まれてバタバタしてるところが好きだ。