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タイム・コントロール
飴: 死体安置所に余命三日の薔薇が咲く
お味噌と味醂と少しのお砂糖の炊かれる匂いのする夕べ。何処にでもある平和で冗長な家庭の風景。少しノスタルジーで、少し食傷気味で、それからやっぱりお腹が空く。
足りない、足りないと、何でも食べていたのに身にならなかった。
からからの頭と身体。だからちょっとくらいは飛べそうな気がしたけど、軽いくらいじゃ飛んでしまうための条件には不十分らしい。
だけど多分過不足ないよりはマシだろう。飛んだからと言って何が変わる?積み木崩しだ。飛べないうちはまだ私は当分は大丈夫だと無関心に思う。
お魚が炊かれるのと、甘いご飯の匂いと、お味噌汁はインスタントでいい。エアコンの調子の悪い私の部屋は寒かったり暑かったりするから、着衣、換気、お献立、色んな創意工夫をしなくちゃならない。
温かい鯖味噌には生姜をたっぷり仕込んである。多分身体の芯を少しくらいは温めてくれる。
同居人は長いこと眠ったままだ。仕事探しで疲れているのかもしれない。その難航、社会の彼への冷遇は今のところ想像の遥か上をいっている。実際問題回数を重ねるしかないのは辛かろう。今は休めばいい。少しでも安堵し、活力の糸口が見つかるまで。

……帰りたい。と、私たちは何度思ったかしれない。或いは今程深刻な問題がなく、ただただはしゃぐように仲睦まじかった時代、或いは私たちが出会うその前、面接の始まる前、無垢なだけでよかった子供時代。だけれどそれが無意味だということが私たちは本当は分かっていた。
どの過去にも未来がある限り私たちが今より上手くやれる保証も可能性も何処にもなかった。それは、静かな確信だった。今は今、私たちは私たち。きっと大きくは何も変わらない。繰り返す気力もない。
ただ、こんな時の中にも薔薇はあった。くたびれた生活の中と愛が情に移り変わる年月の中でも、私たちはお互いを邪魔だと思ったことはただの一度もなかった。
底には情でもない、もしかしたら、愛、でさえない、静かな信頼が流れていた。だから、同居人は安心して随分眠っている。荒ぶることなく。怒りや悲しみで白い目を充血させることなく。
コンロの火を弱める。火を眺めていると色んな時代が頭を過ぎり映写機のように美しい思い出だけを上映してゆく。苦しみの中にも美しさはあった。お味噌と、味醂と、少しのお砂糖の炊かれる匂い。
飛ばない私たちは多分子供のように抱き合って眠らなければいけない。君が私が、互いの拠り所であることをちゃんと毎日知らなければいけない。決して住めやしない高層ビルの屋上に足を踏み入れることは私たちにはそれだけで難儀なことだ。
或いは自虐的で惨めで、とてもナンセンスな行為だ。
綺麗だった。一緒に見た夕焼け。
綺麗だった。花火と染まる顔。
綺麗だった。諦めまいと食い下がる意思。
綺麗だった。それでも守ってやりたいと足掻いた葛藤。
タイムマシーンは私たちの重ねた時間の中にこそある。
いつか開発されても私たちの帰る場所はやっぱり心の中にしかない。
映写機は回り続ける。初めて会った日。初めての電話。照れ臭そうな顔。辛い喧嘩。
私は君を帰してあげたいと思った。君が心から晴れて笑えるその場所に帰してあげたいと思った。
動かない背中の後ろから髪に耳に触れ、日焼けしたままの項にキスを落とす。
横向きに寝転んだ君は気がつかない。死んだように眠っている。
死んだように。
パタパタと涙が零れて痛くて何だか笑った。お味噌と味醂、少しのお砂糖の焦げゆく匂い。
君の肩が規則正しく上下する。息は漏れない。時が止まったみたい。
君がこうしている間やっぱり世界は忙しなく動いているし、きっと現状は起きていく時と変わらない。一間の安息が、休戦と、何錠かの睡眠薬で作れることを、君は知らないしよしとしない。
お味噌汁の味は変わらなかった筈だ。安いインスタントのお味噌汁は美味しくないけど、君は一度も文句を言わず、一度だって残したことがなかった。
今、上下するその肩や胸の中には、薔薇が咲いているだろうか。
映写機は何を映しているか、或いは何も映していないか。きっと戦ってはいないだろう。眠りは驚く程深い。
帰ろう。楽しいことをただ楽しいと思えた時代。何も考えずに眠りに着けた時代。
私は君の身体を仰向けに横たえ直し、触れるようにキスをする。
コンロの火が消えている。
死なない量の錠剤で、私も夢に行きたい。
ただ少しの間、何も考えずに二人の薔薇を眺めたい。
幽霊にでもなったかのように静かだ。
本当に静かだ。
君の意識が居ない夜。私は独りで、二人分を想う。
タイムマシーンは、こない。
夕暮れが回転している。グラスも遂に眠ったみたいだ。

2014/09/15 (月) 23:54 公開
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改稿間に合いませんでしたすみません。一発書き。
1:  <x3NQZdos>  2014/09/16 (火) 00:00
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