秋刀魚の逡巡 |
ランダカブラ: 食欲の秋祭り |
咀嚼する力を加えると、しゃくっという水を含んだ音と共に、黄緑色の皮が破れる。口の中には甘い果汁と渇いた果実とざらっとした皮が交じり合う。しゃくしゃくしゃくしゃく。食べながら前進を続ける。「マル・マル・モリ・モリ 幸せ元気 テク・テク・トコ・トコ 前に進むよ〜♪」気づいたらもうかなり中に入ってしまったようだ。俺の体は果物に取り込まれてしまっている。なんてデカイ果物だ。いや、俺の体が縮んでしまったのか? そんなことはない。俺の腹は随分と巨大化している。さっきからもう食い続けてばかりだ。秋刀魚の皮をめくり、内蔵で少し苦味のついた身を箸でつまむ。油の後味を流すように大根おろしを口に含み、その苦味を緩和するように米に箸を伸ばす。口の中全体が中和されたところで、味噌汁を流し込み塩分を補給すると、ビールをがぶがぶと飲む。そして秋刀魚に戻る。以下繰り返し。日本食はなんと素晴らしいのだろう。嗚呼、日本食万歳。それからしばらくして、デザートに齧った果物がこれだ。とにかく腹は膨らんでいる。そしてキュルキュルと鳴っている。腹の中にあるのは今食っている果物の筈だ。もしくは俺が果物で、今食っているのは秋刀魚や米を食ったちょっと前までの俺なのだろうか。そんな気もする。まあどちらでも大差はないだろう。どれだけ腹が出たのか鏡に映してみる。うっすらと区画が浮き上がった表面は、それなりに膨らんでいる。しかしそれ以上に、全体にぶち柄みたいに散乱する赤い斑点が気になる。なんだこれは。じっと見つめていると、その赤い斑点はうねうねと幾何学的な模様を形成する。それから模様はわっと広がり、大量の赤アリとなって腹の上を這い回る。いくつかのアリはもう腹の中にも入ってる感じだ。アリもなかなか優秀な生き物である。狩り、チームワーク、巣の建築。DNAに記録されたそれらのプログラムに忠実だ。三匹の働きアリがいると、一匹サボるアリが現れるというのは、人間社会でも同じらしい。しかし人間はアリとは異なり、DNAに何がプログラムされているのか、生きる目的が何なのかさえ分かっていない。人間の歴史が短いから、という説もある。他人を犯し、殺し、自分を殺す。抽象的思考ができるとかクオリアを持っているということは、人間が優れた生き物であるという意味ではなく、ただ人間のプログラムに誤作動を与えるバグやウイルスを持っているというだけである。もぐもぐぱくぱく。果物を食べ続けている。……という訳で始まりました、『ぱくぱくサンデー』。メインパーソナリティーのモグモグパクパクとウチウチパクパクが、本日はゲストにマツマツパクパクをお迎えしております。これは頭の中のラジオで、現実のテレビでは妹が難病の兄に密着したドキュメンタリーをやっている。編集や、効果音がどうも素人くさい。それもその筈、妹は卒業制作でこの作品を撮り、何かの映画コンクールで入賞したとのことだ。身内を、しかも余命覚束無い人間を切り売りして自分の実績にするなんて、さすが天才アーティスト! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ! そこにシビれるあこがれるゥ! 死んだ後に家族で見るのだろうか。何らかの賞を受賞した作品を。生きている兄の姿を。死にゆく過程を。腐敗していく肉体を。他者の死を悲しみ、定期的に弔い、その存在を思い出すのは知的に高等な生物の証である。しかしこの世から消えてしまえば昔人間だったかアリだったかなど微塵も関係ない。主観が消えればそこには無しかない。あるいは今ある世界が存続するだけである。それは主観が存在していたときと何ら変わらない。耳が痒い。どうやらシャンプーをしたときお湯が少し入ったようだ。中で耳垢がふやけている感覚がある。俺と俺の遺伝子を共有している一心同体の耳垢を風が乾かす。ホフマンがキマリながら乗った自転車をこぐと秋の風が気持ちいい。猫が目の前にいて迫り来る自転車を恐れている。猫が走り出し、暫く並走した。猫は今までの経験から、確実に自転車を知っており、自転車は後進できないから逃げたいならUターンすればいいだけの話であるが、この猫にそこまでの機転はなかった。哀しき猫の愚かなDNA。あらゆる生物のDNA、食物連鎖、そして人類の進化の歴史は全て一つの輪で繋がっている。たとえばこの私と果物の関係のように。すっかり果物に取り込まれた私は全裸で、勃起したペニスを果物の内部から、そのまた内部に差し込んでいる。カブトムシとなった私はエクスデスの木に種付けした。それからブラックホールに吸い込まれ、現実に戻ってきた。秋刀魚を食べながら、この秋刀魚が、食べられた生物の主観を追体験できる特殊能力を持っている可能性について考えた。するとこれは、秋刀魚の逡巡のようでもあった。 |
2014/10/06 (月) 00:03 公開 |
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人間は高度な知的生命体ではあるがそこには同時にバグやウイルスもあり、また、より大きな生き物の歴史や摂理の輪から俯瞰してしまえば喰って喰われる動物や昆虫と同列の一環にしか過ぎなくなる。主人公が秋刀魚や果物を喰って、秋刀魚や果物が主人公を喰って、いかにも径庭があるようで実は紙一重であるその間には大差などないのだという作者の逆説的なアイロニーが垣間見られた。