羊羹 |
蛙: 食欲の秋祭り |
彼女は実に平凡で、ひとより劣っていることも秀でているものもなくて、だから彼女にアイデンティティを問えば“家族”だの“愛”だの月並みな答えが返ってくるであろう。しかし、もし彼女の脳から理性を取り除いて、彼女が獣みたいになったところで同じ質問をぶつければ、彼女はだらだら涎を垂らしながら焦点の合わない目をこちらに向けて、ようかん、と答えるのだろう。 彼女にとっては、羊羹だったのである。 はじまりはほんとうにささいなことだ。彼女は小学生だったころ、一度転校を経験した。今と変わらず平凡だった彼女はもちろん目新しさなど求めていなかったから、転校というのは世界がまっさかさまになるようなことで、輝かしい新世界というよりは地獄にちかくて、新しく通う学校のすべてが恐ろしくてたまらなかった。 「よしだ、みえこ、です」 彼女を見つめるすべての目が自らの平凡さを見透かしているようで、新しいクラスメイトの前で彼女はまっしろになってしまった。 なにかいわなきゃ。なにかいわなきゃ。彼女は必死に思いをめぐらせて、 「すきな、たべものは、ようかんです」 と搾り出したのだった。 一瞬、子供たちはあっけにとられたが、そのあと彼女を囲んだのは笑顔だった。しぶい、変わってる、おもしろい、と口々にクラスメイトたちは笑った。そこには間違いなく揶揄がふくまれていたのだけれど、そんなことはどうでもよかった。なぜなら、彼女はそのときはじめて個性を得たのだ。自らの特異性と、それが産む優越感は彼女にわずかながら自信を与えた。彼女はすぐに新しい学校へ馴染み、穏やかな新生活を送ることとなった。 だから、彼女の好物は羊羹になったのだ。ほんとうに彼女が羊羹を好きだったのかなんて、いまとなってしまえばだれにもわからない。 もちろん、彼女が“羊羹が好物である”というだけで世を渡ってきたわけではなく、普段は発露されることなどないつまらない個性にすぎなかったのだけれど、それでも羊羹は幾度となく彼女の人生をよりよい方向へと進ませてきた。 中学、高校と進学しても彼女は自己紹介を羊羹が好物であるという毒にも薬にもならない一言でのりきり、そのささやかな特異性は友人を作るのにわずかながら助力した。平凡な彼女と羊羹という組み合わせは、他人から不信感を取り除くのにちょうどよかったといえるだろう。就職面接で羊羹などと発言することこそなかったけれど、就職後に友人の付き合いで参加した合コンにて、彼女はいつもどおり「好物は羊羹」といった一歩間違えれば天然を履き違えていると思われても仕方ない自己紹介を披露し、しかしながら彼女の平凡さから悪感情をもたれることはなく生涯の伴侶を見つけることに成功したのである(余談であるが、この男は好きな食べ物を問われれば「妻の作ったもの」と答える、またある意味で平凡かつ実直な男であった)。 もちろんウェディングケーキに羊羹を混ぜるような愚行はしなかったものの、引き出物には羊羹を選択した。旧友はみな、彼女のささやかな個性を思い出し、笑った。 しかし彼女は、自らの個性が羊羹に支えられているなんて露ほども考えることはなかった。 彼女にとって、それはただの好物であり、食物としての羊羹以上のものではなかった。ただ、彼女にとって当然のことだったのだ。 彼女はいつも茶菓子に羊羹を食べる。仕事の合間に、夫とのひとときに、ひとり休日の昼下がりに。 舌はいつでも正直で、羊羹を求めていないこともあるし、羊羹を美味だと感じさせないこともある。しかし、彼女の脳は舌からの情報を遮断し、いつでも彼女に幸福を感じさせる。彼女が彼女でいるために。 彼女は、最期の時まで羊羹を食べたいと願うであろう。たとえ飢えと渇きが彼女を襲っても、羊羹を願わないわけにはいかない。そして彼女がそう願うのだから、それはほんとうであるはずなのだ。 彼女にとって、すべては羊羹であったのだから。 |
2014/10/08 (水) 01:39 公開 2014/10/08 (水) 01:56 編集 |
■ 作者<gYGaz2D9> からのメッセージ とらやの羊羹はやっぱりうまい |
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私は一読して、この主人公は本当に羊羹が好きなのだろうかと疑問に思った。もちろん、嫌いではないだろう。だが、主人公と羊羹を結び付けているものは、好きとか嫌いとかそういう表層上の関係よりもっと根源的な奥の方、潜在的な無意識下で個性を形成する宿命的な縁であったと思う。頭が真っ白になった時に、ふと「すきな、たべものは、ようかんです」と口走る。この無意識過多に支えられた至って素朴な反応に主人公と羊羹の関係が如実に表れている。主人公は半ば羊羹を処世術のようにして使っている節もあるが、「自らの個性が羊羹に支えられているなんて露ほども考えることはなかった」というところが肝要であり、もしこの態度が欠けて関係性が意識的になった時にこの物語は敢え無く破綻しただろう。あくまで彼女にとっては当然のことだった、だからこそ彼女にとってはすべてが羊羹であった。