ウインキージャック |
オバゾノ: 第二回創芸戦 決勝作 |
豪雨の真夜中。寂れた郊外の工業ビルに、一人の悪党が浸入した。悪党はこれまでにも数々の犯罪仕事をこなしてきた。若いとは言えない年齢に差し掛かった今もこうして悪事のキャリアを積み続けている事こそが、確かな実力と悪運の高さを証明している。 生き残る為の幾つかのルールは有った。冷静にやる事。無駄な殺しはやらない事。有用なら躊躇わない事。後悔はしない事。 ある時、仕事仲間に訊かれた。 「あんたでも、神は信じているのか?」悪党はあっさり「ノー」と答えた。無神論者は犯罪者仲間にも底のところで信用されない。だから悪党も仲間を信用しない。これもルールの一つだ。うまくやってこれた一番の理由はこれなのかもしれない。 だが、悪党にも信じるものはあった。 ――ウインキージャック―― 悪党の田舎に言い伝えられる妖精で、いたずら・気まぐれの化身とされている。 子供に言い聞かせる時にこう言うのだ。「悪さしてると、朝起きたら鼻曲がりのウインキージャックになっちまうぞ」また逆に子供はこう言うのだ「パイ生地を食べちゃったのは、ジャックにウインクされたからだよ」と。 窃盗稼業にはうってつけのマスコットかもしれない。悪党はいつも、心の中のウインキージャックには逆らわずに生きてきた。信仰といっていいだろう。これが最後のルール。だが職業犯罪者として成熟するにつれ、この信仰を示す機会は減っていった。 今回も首尾よく、金になる書類を労働者の四角い迷宮から奪い盗ると、警備を撒いて、用水路に平行する裏道へと辿り着いた。ビル内では少しの銃撃が有ったが、ここまで来れば豪雨に紛れた悪党の勝ちだ。予定通り。 だが黙々と雨の中を歩く悪党の視界に予定外のものが入った。 10才程度の男の子供が用水路の中にいる。大人の背丈程の壁をなかなか這い上がれずに、まごついている。 何故こんな所に? 当然の疑問は雨音が掻き消すに任せて悪党が足を速めた時、その囁きが聞こえた。随分と久しぶりの声だった。 子供をなんのこともなく道に押し上げ、自らも用水路から這い上ろうとした時、半身に巨大な山羊のタックルを受けた。市がダムを緊急放流したのだ。 悪党はズルズルと流されながらどうにか縁を掴むと体勢を立て直した。と思うと水嵩は既に顎まで来ている。やっかいな事態だ。すぐに脱出できそうなのに、なかなか出られない。空気はすぐそこなのに、吸おうとすると高確率で波を飲んでしまう。 悪党とその弟はウインキージャックの生まれ変わりとまで言われた悪童で、近所の大人達をも震え上がらせていた。二人は決して仲の良い兄弟ではなかったが、いたずらをする時は一心同体だった。 ある日二人は釣りに夢中な叔父のボートを沈める計画を立てた。泳げない弟は岸から叔父の気を引いて、浸水するまでばれないようにする役目だ。兄はボートの下にひっそりと潜った。穴を開けようとしたが上手くいかない。やっきになったが無理だった。息が切れそうになる。弟に笑われるのを覚悟で戻ろうとすると、体が船の下に張り付いたように固定されて動けない。船底をバンバンと叩いても、叔父は気付きもしないようだ。意識が遠のきかけたとき、弟が川に飛び込んだ事だけが、直感的に解った。 先に気が付いたのは兄だった。 「なんであんな無理をした!」すぐさま訊くと、担架の上の弟はうっすらと目を開き、 「ジャックにウインクされたんだ」と笑った。 弟は死ぬ気など全くなかったようだが、一週間後にこの世から消えてしまった。 人間はいたずらや気まぐれで友人の靴を隠し、誕生日を祝う。万引きし、女の子を口説く。いたずらや気まぐれで戦争になり、300フィートの美女をおっ建てる。バッタの足をもぐし、泳げない弟が兄を助ける。 悪党はウインキージャックを世の真理とした。ジャックだけを、人生の友とした。 「さて、俺はもう子供じゃないんだ。川遊びはこのくらいにしよう」濁流の中、悪党は全身に力を込めるが、上手くいかない。流れにスっと赤い蛇が走るのを見て、体のどこかを撃たれていたことに気付く。水嵩の増加に劣らぬ速さで体温が流れ出てゆく。傷は致命傷ではなかったかもしれないが、この状況はそうではないと悪党は悟る。腕は縁に掛かるが、体を持ち上げるだけの力は残っていない。目の前には日焼けした子供の両足が。 「まだいたのか、早く帰れ」見上げると、それは弟の姿をしていた。 「そうか。お前だったのか。やっと会えたな、ウインキージャック」程なく悪党は沈んだ。 子供は泣きながら豪雨の中を走り去った。それはただの子供だった。 |
2015/06/01 (月) 23:44 公開 2015/06/03 (水) 23:35 編集 |
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頭に思い描いた事を整理し、物語として構築し、ちゃんと人に伝わる言葉する、どの行程にも油断と未熟が溢れていることを認識できました。