終わらない月子 |
月子祭り参加作品 |
そこにいたのは月子だった。そして月子のお月様だった。 月子の月の中は暗く湿っていて、窮屈だった。僕はその中を全力で走り抜けた。すると一人の女が立っていた。名を月子という。僕は彼女に名前をくれと言った。すると月子は僕を月男と名付けた。こうして僕は月男となった。 それから数十年が経った。確か日曜日の昼下がりだったと思う。僕は異様にムラムラしていた。僕は三年間連れ添って婚約している彼女と、週一回は欠かさずセックスをしているし、毎日マスターベーションだってしている。つまり異様にムラムラするような理由はないのだ。あるとすれば、それは朝見た雀だった。それはアスファルトの上でカラスに首を千切られ、弄ばれる雀の死体だった。切断された首は羽毛で包まれており、肉で覆われた首の血管は意外と細く、ほとんど出血していなかった。それを見てから僕の中に暴力的な気持ちが沸き起こり、誰かをめちゃくちゃに犯し、あわよくば殺してやりたいと思っていた。 路上で歩く女に目をつけ、ひっそりと歩速を合わせる。獲物を死角から狙い、先制攻撃を仕掛けるのは狩りにおける定石の手だ。「お姉さん、落としましたよ」そういって僕は彼女の定期入れを渡した。つい先ほど女の鞄からすりとったものだ。そこから先は、普段ナンパなどしたことがないのに自然に言葉が出てきた。どうやら人間は、脳からの指令を忠実に実行する能力を持っているらしい。この調子でいけば、目の前の平均よりもずっと美しいこの女を殺せるかもしれない。 そして僕らは、激しくお互いの体を求めあった。どうせ殺してしまうのだから置き土産にと、何度も何度も彼女の中へ放出した。そのときだった。立て続けの射精により意識が朦朧としていたせいもあり、反応が遅れた。彼女の大陰唇が一瞬のうちに巨大化し、僕を飲み込んでしまった。薄れゆく意識の中で僕は、彼女の定期に書かれた奄美月子という字を思い出していた。そして暗く深い穴の奥に、彼女が立っていた。「久しぶりだね」と彼女は言った。「そうだね」と僕は言った。「元気だった?」という彼女の問いと共に、どこからか虫の鳴く音が聞こえた。秋を感じさせる音だ。「元気だったときもあるし、そうじゃなかったときもある」僕は答えた。ふふっ、と彼女は笑いながら、「じゃあ今のアナタはどう? 健康な状態にあると思う?」と言った。ようやく目は暗闇に慣れてきて、ほのかな水に浸された地面と、壁面から隆起し蠢く無数の瘤が観察できた。「……分かっている。僕の運命が君の掌中にあることくらい、分かりすぎるくらい分かっている」そのとき壁の粉瘤の一つが肥大化し、ぷしゅっと黒い霧を吐き出した。その粒子が闇のカーテンとなり月子の微笑を曖昧にする。 僕は理解していた。月子は早起きちゃんであり、ワイであり、文芸部の管理人であり、僕の産みの親であり、世界の創造主であると。その月子を僕は殺そうとした。それはつまり、自分自身を殺すということである。ここでウツボの怪物のような姿に形を変えた粉瘤に食い殺され、あの雀のように首を引きちぎられ死体を弄ばれようと文句を言う資格はない。月子は僕に声をかけた。今から携帯ショップに行くよ、と。 午前二時をまわった頃、僕と月子はRV車で都心の某携帯ショップに乗りつけた。監視カメラは全て電源が切ってある、と月子は言った。月子はポケットから取り出した鍵でシャッターを開け、手早く自動ドアの下にある鍵も解除し、ガラス戸を押し開け中へ入った。僕も続く。次々とロックを解除し在庫室の中へ入ると、目的のキャビネットを開ける。そこには大量のスマホがあった。一つ十万円以上する、今最も人気のある最新型だ。僕たちはそれらを一心不乱に運び出し車へ積み、夜の街へ走り出した。首都高湾岸線を疾走し海へ着くと、僕と月子はどちらともなくその大量のスマホを海へ投げ込んだ。投げ込みながら、ポッポ、秋吉君、オバゾノ、だお、と叫んだ。そうした人物は将来確実にそれらのスマホに読み込まれる名前であり、そうすることによって彼らを抹消できる気がした。僕はすっかり気分が高揚していた。まるで世界の創造主であるような気がした。月子が「月男!」と言いながら一つのスマホを海へ投げ込んだ瞬間、僕の記憶は途絶えた。もうそこに僕も、世界も、月子も存在しなかった。 |
2015/06/08 (月) 01:40 公開 |
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