月子と陽子 |
月子祭り参加作品 |
校門が開いているのに通用門を通り抜け、伸びるに任せたおかっぱ頭と持ち前の前傾姿勢で顔を隠しながら教室を目指す、挨拶が苦手な月子である。 下駄箱の方で華やかな笑いが起こった。クラスメートの声だ。月子は歩調を緩くして慎重に様子を伺いながら進んだ。 「おはよーう」 陽子の屈託の無い声に思わず振り返ってしまった数人の男子を、大らかな微笑みが迎えた。「おはよう」彼らに対してもそう言っている。 小走りで抜けて下駄箱の建物に入ると、陽子は女友達と話し始めた。五秒も経たない内に笑いの花が咲いた。 ソテツの陰に隠れる女、月子である。なにも絶対に挨拶したくない、というわけではないが、今日は下駄箱の方に用事があって、人目はまずいのだ。 バレンタインデー。月子にも好きな人がいた。美術部で、控えめな性格。あまり出さない優しい声。小学生の頃は喘息持ちだった。同じく喘息持ちの月子が発作を起こしたとき「大丈夫?」と声をかけてくれた。彼の下駄箱に用がある。 好意的な視線のシャワーと挨拶に、陽子はいつものように明るく応えて席に着いた。 しかし頭はチョコの事でいっぱいだ。いまどき下駄箱に入れるなんて無いな、そう思いつつ通り過ぎたが、チャンスを一つ逃したという気持ちがしっかりと鞄の奥に潜んでいる。 スマホを見ると「当たって砕けろ! 何事も前傾姿勢で!」友達のような母から暑苦しいアドバイスが入っていた。でも、確かにそうかもしれない。 ざわついた教室に後ろのドアから入り込み席に着くと素早く携帯を取り出して外界を遮断した。その動き、忍者のごとき月子である。しかし内心は胸の高鳴りが抑えられずにいた。こんな事、自分がやるとは思わなかった。まるで普通の女子のようだ。最近はまっているケータイ小説のせいかもしれない。何かが変わる予感に薄く微笑む月子である。 陽子は再び下駄箱の前に来ていた。自然に教室を抜け出すのが難しく、結局五時間目を過ぎてしまった。正直、大量の友人達の存在に苛ついた。 周囲を確認し、呼吸を整え、精密な動きを心がけながら蓋を開いた。下の段の土足が見えた。そして片手に持ったチョコの箱をすっと、空になっているはずの上の段に差し入れようとした。 こつんと当たった。 先客がいた。その箱はちょうど陽子が用意したものと同じ位の大きさだった。辺りは薄暗く静まり返り、陽子の思考も停止している。はずなのに、手は止まらずにその箱を素早くポケットに落とし込んでいた。そして自分のチョコを代わりに、滑り込ませた。 気が付くと朦朧としたまま教室に戻っていた。何をやってしまったのか、まだわからない。右ポケットの重みだけが現実を訴え続けた。それは帰宅するまで続いた。 「私は最悪の卑怯者だよ。今朝まで、大好きな私だったのに。お日様のように生きていくはずだったのに……」 「陽子、もう元気だしなさい。何があったか知らないけど、誰にだって暗い部分はあるのよ」 「こんなものさえ、入ってなかったら……」 そう言って陽子はポケットに手を入れた。下駄箱の時以来だ。 「よ、陽子……あんた何やったのよ、そんなもので。置きなさい彫刻刀なんか」 「そう、このチョコ、チョウコ、え。彫刻刀?」 陽子は初めてその箱をまじまじと見つめた。箱入りの彫刻刀だ。 「お、懐かしいな」焼き魚をほぐしながら黙って聞いていた父親が言った。 「俺が高校で使ってたのと同じやつだな。刃物はいちいち持ち帰らないといけない決まりが面倒くさくて、下駄箱に隠しておくのが定番だったっけ。そういえば、あれには度肝抜かれたなあ……」 そこまで言って月子を見ると急に何か思い出したように咳き込んで、相手を焼き魚に戻した。 満足そうに微笑む月子である。 陽子の顔にも既にいつもの微笑みが戻っていた。 あの下駄箱で両親に何があったのか尋ねるのも、自分の中に発見してしまった黒い部分について考えるのも、今度にしようと陽子は思った。 (とりあえず、よかった……あの人がモテてなくて) |
2015/06/11 (木) 21:46 公開 |
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