室伏君 |
オチツケ |
室伏君が旅に出た。学校の夏期講習をさぼって。先生たちはみんな怒っていた。あいつはクソみたいな大学に行くしかないって。 そんな教師たちを見ながら、僕は前に室伏君が言っていたことを思い出す。 「教師ってのは本当に俺たちのことを考えてブチギレてるわけじゃねえんだよ。俺たちが良い大学に行くかどうかなんてどうでもいい。かと言って自分のクラスに変なことするやつがいるのが嫌で怒るってわけでもねえんだ。そっちの方がまだマシだよ。あいつらはさ“雰囲気”で怒ってんだよ。教師ならここで怒るべきだろうなって感じ。それで顔真っ赤にして唾吐き散らして血管ブチギレそうなくらい怒ってやがる。正気の沙汰じゃない」 教壇の前には室伏君の次に成績が悪い井出君が出されて怒られていた。授業の時間がどんどん過ぎていってやがてチャイムが鳴った。先生は最後に「おまえのせいでみんなの授業時間が奪われた。みんなに謝れ」と言った。井出君がこちらを振り向いて謝ると、先生は満足そうな顔をしてさっさと教科書をしまって出て行った。それからさっきまでうなだれていた井出君は一躍、授業を潰したヒーローに担ぎ上げられる。 正気の沙汰じゃない。僕は室伏君の言葉を心の中で呟いて意味を考えてみる。 学校の夏期講習が終わった。三年生には一週間だけの夏休みが与えられた。というのは建前で、どの先生も塾に通うのが当たり前だと言うから生徒はみんなそうした。僕もそうした。 「いいかみんな。人生で最も辛い時期の一つ、それが高校三年生という一年だ。だけどな、ここさえがんばって登り切ればあとはだいたい下り坂だ。ここでどれくらい登れるかが重要だぞ。大学なんて高校に比べればなんてことはない。遊び呆けてりゃそのうち卒業できる。先生もそうだった。きちんとしたレールに乗ってしまえばあとはこっちのもんだ。ただ就活はちょっとがんばれよ」 みんなの笑い声を遠くに聞きながら、僕は窓の外を眺めていた。よく晴れていて、遠くの方に入道雲に囲まれた富士山が見える。ふと、室伏君は今どこにいるんだろうかと思った。東の方、たとえば熱海あたりまで行って泳いでいるだろうか。それとも関西の方に行ったんだろうか。僕は一度も地元から一人で出たことがない。室伏君が帰ってきたらどんなだったか聞いてみよう。 「室伏君は学校が嫌いなの?」 前に一度、室伏君に聞いてみたことがある。 「好きさ、みんなと話したりするの楽しいからな。授業だって怒られなきゃ楽しいよ」 「そうなんだ」 嫌いだと思ってた。じゃなかったらどうして毎日ちゃんと学校に来ないの。聞くと、室伏君は心底わからなそうに「さあ……」と言った。 「お前、学校さぼったことあるか?」 不意に室伏君が言った。僕は首を振る。 「学校さぼった日はさ、きついぜ。遠くから聞こえてくるチャイムを家の中でぽつんと聞いてるんだ……お前らみんなは今頃授業受けてるんだなって思うとさ、なんか涙が出てくるよ」 僕は想像してみる。家の中でぼうっとしていたら遠くの方から学校のチャイムが聞こえてくるのを。たしかに寂しそうだと思った。でもそれならどうして学校に来ないんだ、ますます不思議じゃないか。 * * 「おそらく受験のストレスでしょうね」 「息子は無事に受験できるんでしょうか、先生」 「日常生活には支障ないようですし、まあしばらく様子を見てみましょう。せっかく優秀な成績をお持ちですからね。なんとかこのまま受験だけは受けられる方向でいきましょう」 「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします」 母さんがぺこぺこ頭を下げるのを僕は診察室のの隣の部屋からぼんやり見ていた。夏休みはとっくの昔に終わって季節は秋だった。先生たちは追い込みの時期だと僕たち生徒を追い立て、教室の中はいつもぴりぴりしている。 室伏君はまだ帰ってこない。 |
2015/07/17 (金) 06:18 公開 |
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個人的にはこちらの方が『悪魔』よりも好きだ。
省略された物語が読者の想像力を喚起し、そのことをもって読者に作品を読み返させ、考えさせる力があったように感じる。
淡々とした文章は無駄が省かれ、詳細な心理描写の代わりに状況の描写が静かに、――穏やかな程に――なされていく。
けれどその穏やかさの奥には、「どうにもしようがないんだ」という『僕』の戸惑いや悲しみがある。
恐らくは『僕』は学校という場への馴染めなさから、自殺を図ろうと――それに近い何かを――したのではないか?
ここで登場する『室伏君』は、恐らくは『僕』のオルターエゴ(僕自身の一部)なのだろうと私は読んだ。
ただここで物語的に重要なことは、『僕』自身が『自分自身の学校生活への不適応さ』を自分で理解することも、誰かに説明することもできない点にある。
『僕』は『室伏君』にその想いを『託す』しかない点にある。
『僕』は自分自身で自分の『不適応さ』を掴み、正当化し、誰かに語ることができない。
『社会への怒り』を表現することができない。
だからこそ彼は、『彼以外(室伏君)の言葉』を借りてしか、自分にとっての何かを語ることができないのだ。
『僕』はどこにも行けずにいる。
だから『室伏君』に世界を見ることを託そうとする。
けれど『僕』は『僕』自身の『室伏君』を理解することができない。
そうして『室伏君』は『僕』のもとに帰ってこないまま物語は終わる。
『僕』を社会に馴染ませようとする未来が待っている……。
なぜ小説を書くのか?
読むのか?
そのひとつの答えの典型としての物語がここにはあると私は思う。
もちろんそのことがどれくらい『誰か』にとって意味があることなのかはわからない。
けれど私は「面白かったですよ」とひとまず作者に伝えたい。