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マルクス主義とドラッカーと作業所
マルクス・ガブリエル
作業所の存在意義。それはすべての人々に社会参加をうながすことである。
作業所は労働とは呼べない。それでも、なんらか労働らしきものを科すことで社会との接点を作る。
マルクス主義的には、作業所は労働に定義されない。
主たる資本家もいなく、その作業の価値は実質的になにも産み出していないので労働とならない。
ただし、これがドラッカーになると社会的セクターが障碍者への社会的参加をうながすことになるので、正義となる。
ここで問題となるのがマルクスとドラッカー、どっちが正しいかだ。
現代のマルクス主義では、作業所の作業はブルシット・ジョブであり、やりがい搾取の一種と定義される。
ただ、問題は肝心の通所者が搾取と感じていないことだ。
なぜか、労働貴族と勘違いしているものがいる。
一体、どうしたら、そういう考えに至るかは筆者にはわかりかねる。
不思議なもので作業所内にもカーストがある。
そのカーストは不思議なもので、頭脳がまともで卒業するものより、長く通所しているものが上になる。
一般企業ならば優秀なものは昇進していくが、作業所での昇進は存在しない。
さらに作業所のような福祉セクターの運営スタッフは入れ替わりが激しいので、なぜか通所歴が長いものが施設長をマウントしていることがある。
もう、こんなところに通いたくないが、毎日、朝夕の出入りがないとアパートに隣人に見張られているためしかたがない。
アパートの隣人は追跡してこないが、どうも公安警察に尾行されているのはうすうす感じている。
ただ、どうも時たま、壁越しに俺の部屋の音を盗聴しているのはとっくに気づいている。
施設長もよく考えると、身バレがしそうになると交代している。
俺は、創価学会のスパイだと思っている。
いつの間にか、通所者同士の作業中の会話の音声データもダークウェブで流通しているのは確認した。
そもそも本稿を書くのに至ったのも、主のメッセージが天井から聞こえたからだ。
俺はまともだと主は気づいておられるのだ。
まともではないのは世界だ。
現実なんてくそくらえ。
作業所は箱庭療法に施設だとは既に俺は気づいている。
気づいていないのは公安警察と創価学会だけだ。
マルクスもドラッカーも神ではない。
俺が神なのだ。
だから、作業所の考察もできる。
バーチャル編集長など、神の使徒でもない。
ただの破戒僧。
俺こそが創造主だ。
2021/12/19 (日) 03:03 公開
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感想・批評
いちおう見ました。
1:  <Omtync3v>  2022/01/14 (金) 16:15
ひやとい
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