雨【バレンタイン祭参加作品】 |
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腐った納豆 |
今日は一日ひどい大雨で、雨粒が窓を叩く音で室内の声が掻き消されてしまうほどだった。空は一面、黒灰色の雲で埋め尽くされ、教室の外の景色は朝から勢いを衰えさせることない大粒の雫で歪んでいた。 私の問いは激しい雨音にばらばらと砕かれ、綾香は目をぱちくりさせて「なに?」と笑顔を作った。思わず笑顔を返してしまうような、そんな無邪気な瞳を今は見つめ返すことができなくて、私は綾香の後ろの黒板をじっと睨んで押し黙った。 教室に残っているのは私と綾香の二人だけだった。時折、野球部が廊下をバタバタと走っていく音が聞こえた。机の上には私の数学のノートと、綾香は古典のプリントを広げて回答欄に綺麗な字を埋めていた。 「付き合うの?」 雨音に負けないくらいに少しだけ声を張ったつもりだった。案外大きな声が出てしまって、それにどうかすると不機嫌そうな声音だって気づいて慌てて言い直した。 「村上と、付き合うの?」 その声もやっぱりどこかぎこちなくて、私は途方に暮れそうになる。だけどすぐにそんなことはどうでもよくなった。綾香の顔が一瞬、さっと赤くなった気がした。黙ったままペンでプリントの縁を何度もなぞっている。しばらくしてぽつりと呟いた。 「まだ、返事は……」 「どうして?」 「で、できないよそんな急に……。ねえ、美奈ちゃんは知ってたの?」 まるで救いでも求めるように、私が全部答えを知っているとでも言うように、綾香は私を見つめた。綾香がそう思うのも無理はないかもしれない。あいつに頼まれて、昼休みにそこに行くよう綾香に伝えたのは私なのだから。 視線の端にそんな綾香を見ながら、私は黒板の端の掲示を(なにも頭に入ってこないまま)見つめ続けた。そこでどんなやり取りがあったかなんて、想像するまでもなかった。なにせ、今日はそういう日なのだから。 「あいつの口から聞かされたのはちょっと前かな」 「そう、なんだ……」 なにを言ったらいいのかわからないのか、綾香は顔をきょろきょろさせて再びプリントに視線を落とした。それとも私が目を合わせないことになにか綾香なりに気づいたところがあったのかもしれない。そう思うと、急に自分がいやでたまらなくなってきた。膿みたいにドロドロしたものかなにかが心の奥からどばっと溢れてきた。 「さあて! それで、あいつはなにをプレゼントしたのかな」 突然はしゃぎだした私に、綾香の肩がびくっと跳ねる。気にせず、私は机の横に掛けてあった綾香の手提げを取り上げた。 「だめ、美奈ちゃんだめっ」 綾香が咄嗟に手提げの端を掴む。いつもの鈍くさい綾香からは想像できないくらい早くて、私の手の中からするりと布の感触が離れ、広く開いた口から教科書やプリントと一緒にピンクの包みにくるまれた箱と、白い封筒が床に落ちた。綾香は顔を真っ赤に染めながら、慌てて床に落ちたそれらを拾いはじめた。 綾香と別れた後、見慣れた住宅街に入り、家の手前五十メートルくらいのところで、玄関の前に座るあいつの姿が見えた。止めかけた足をすんでのところで踏み出す。この道を通らないと、あいつの家の前を通らないと、私は家に帰れない。それにたぶん、あいつはずっとああやって私を待ってたんだ。 もしかしたら気づかれないかもと、傘を深めに差して通り過ぎようとしたけど。「美奈」呼ばれて私は立ち止まった。傘を広げ、村上が庭を歩いてくる。 「今日はありがとな、手伝ってくれて。それで……放課後、彼女と残ってたのか?」 門を隔てて私と村上は向き合った。雨はまだ激しく地を叩いていて、ローファーの中はぐずぐずだった。 「……で、……だった? なにか、彼女……」 村上の不安そうな声は雨に負けてよく聞こえなかったけど、どんなことを言っているのかはその表情ではっきりわかった。不意にまた抑えきれないなにかが胃の中に溢れ出した気がした。床の上に転がった箱の包みや真っ白な封筒が脳裏をよぎった。なんでもいいから滅茶苦茶にあげつらって、村上の慌てる姿を見たいと思った。 「なあ、美奈。聞いてるか? ここで話すのもなんだし、ちょっと上がっていけよ」 村上が門に手を掛けるのを見て、私はハッと我に返った。 「バカ!」村上の顔も見ず、私は駆け出した。 |
2014/02/02 (日) 03:07 公開 2014/02/03 (月) 04:44 編集 |
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