春の宵雨 |
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一回創芸戦 第一試合 |
傘をさしながら細雨のなかの病院帰り、駅から延びる緑道を歩く。街灯を反射する雨で、仄かに明るい。住宅街とは少し離れた木々の下、堆積した落葉は、季節を問わず豊かに地面を覆っている。春の始まる季節は尚更ふっくらと、芽吹きに向けて眠る木々を温めている。湿度が柔らかく慈母のように私を包み、気持ちがいい。 ときおり、ぱりぱりと音がする。 落葉の上を鳥があるいているのだろうか。 枝を伝って雨粒が落葉を叩くのだろうか。 もしかして、人ではないだろうか。 突如湧いた警戒に足を止めた。木々のある方に目を凝らす。街灯の光が届かない闇は深い。まさか、こんな雨の夜に襲われたりはしないだろうけれど。傘を握りなおすと、指環が傘の柄にあたり、かつ、と音がする。雨霧けぶる雨明かりの夜道を足を早めて歩きながら、私は、ある記憶を思い出していた。 小学生になる前、この町に越してくる前はマンションに住んでいた。付近はマンションが建ち並び、マンション前には公園があった。 その公園で、同じ年頃の子どもを持つ母親同士が集まり、今思えば一つの群れを作っていたようなものだ。 私と同い年の子どもを中心に、私の弟も含め、お互いのそれぞれの兄弟ぐるみで集まっていた。幼稚園の一クラス分ほどは子どもがいただろう。 私は弟しか居なかったが、妹のように世話を焼いた女の子の記憶がある。同い年の子達とも、兄弟のように育った。特に、きいちゃんは、同い年の同じ階に住む同じ幼稚園に通う女の子で、幼稚園のある駅から三つほどのスイミングスクールにも一緒に通っていた。初めて顔を合わせたのが、母いわく3ヶ月検診のときというから、あの頃ならば実の弟よりも濃い付き合いだったろう。 母親同士も、我が子とそれ以外を隔てなく、なにかと面倒をみてくれた。私がスイミングスクールに行くときは、お迎えに来るのはきいちゃんのママで、そのままスイミングスクールに連れていってもらった。帰りは私の母が車で迎えにきて、きいちゃん母子を乗せて家に戻るということになっていたらしいが、そこは覚えていない。鮮明なのは、そのスイミングスクールへ連れられていく途中の記憶だ。 きいちゃんのママが駅の階段下で切符かなにかを取り出すのを待っていたとき、優しいきいちゃんは、ぽつりと小さな声で言ったのだ。 「ママはきいちゃんのママだから。指環の手はきいちゃんのだから。けいちゃんがつなぐのは、ちがう方にして」 あなたのママじゃない、という指摘に、きいちゃんのママに向かって歩きかけていたわたしは、足を止めた。わたしだってお姫様がする結婚の、指環のある方の手がいい。でも。でも、わたしのママじゃないから。 きいちゃんは、きいちゃんのママと手をつないで数段階段を上がった。きいちゃんのママは私たちの会話を知らず、「どうしたの、あぶないから、階段ではお手々をつないでね。さあ早くいきましょう」と振り向いて残る手を差し出す。その指環のない手。この手もつないでもいいのかな。だって、わたしのママじゃないのに。もしかして、悪いことしちゃってたのかな。どうしたらいいかな。わたしのママはどうしてここにいてくれないの。 きいちゃんの方を見ると、きいちゃんはしっかりと手をつないで、きいちゃんのママを見上げているだけだ。 何故、こんなことを思い出したのだろう。いぶかしく思いながら、人家が並ぶ明るい道に出る。窓の灯りに、ほっとする。白熱灯の柑子色。蛍光灯の卯の花色、鳥の子色。おそらく、と私は角を曲がり、自分の家の姿を目にしながら思う。私も芽を抱いているからだろう。 霧雨は芽吹きを待つ春の匂いがする。門扉をあけ、玄関までの数歩、傘を閉じて雨を浴びる。私を包む優しい甘雨よ。私は、あんなに子どもに対して力を持つ母というものになるのだろうか。なれるのだろうか。なって、いいものなのだろうか。 目を閉じて祈る。育花雨よ、どうか私を母にして。私の腹のなかの胎芽を、どうか育てて。 |
2014/03/01 (土) 08:01 公開 2014/03/16 (日) 23:10 編集 |
作者メッセージ
春の闇 |
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