ミモザ |
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参考作品 |
若ごぼうのポタージュを僕と彼女は口にしていた。早々にスープを平らげ彼女を見続けに戻った僕のワイングラスをソムリエは素早く満たしにくる。すばらしいレストランだ、と思う。 彼女の、すうっとスープを飲む姿が好きだ。ずっとみていられる。音もなく消えていくスープを羨ましくさえ思う。彼女の素早く、しかし優雅に飲む姿は食欲という欲を逆に感じさせない。 彼女が手を止めて、ナプキンで丁寧に口を拭った。スープに目を落としながら言う。 「若ごぼうって珍しいわね」 「そうだね」 彼女の口元が再びナプキンから姿を現すのを渇望している僕は気のきいたこととは何かを忘れてしまう。再びスプーンを取り上げ、彼女は最後のひと匙を掬い上げた。 「もういくわ」と、彼女は、もう一度口を丁寧に拭い、去るのが当然のように、するすると席の間を抜けて店を出ていった。僕はといえば、恐らく最後となる彼女の一口を反芻して忘れないようにすることに気をとられていた。それでもとにかく彼女はいなくなったのだ、とは理解していた。 残された僕に、給仕が近づいて「メインをお運びしてもよろしいでしょうか?」と尋ねる。その顔つきで「お連れ様の分のことでございますが」と表現している。やはり、すばらしいレストランだ。 「ええ、運んでください」とそれだけを答えると、給仕は心得たように下がり、メインを運んできた。 「ウサギ肉のソテー菜の花ソースミモザ風に。で、ございます」 僕のまえにも、彼女の席にもーー過去の、だがーー置かれた。 春らしい色彩だ、と思う。菜の花のシーグリーンに、ミモザのような砕かれた茹で卵が散り、華やかに見せている。肉もよい色だった。春は煮込みより、軽いものがいいわねと、彼女が選んだ品だったのだけど。 僕はウサギ肉に慎重にナイフを入れて切り分けた。うっすらと血色を残した肉が覗く。肉汁が溢れて卵が茶色に染まる。 食べたあと、僕の目の前で冷えていく彼女のウサギを見ていた。もの言いたげな給仕を呼び、デザートは不要だと伝え、チップを渡してチェックを頼んだ。 彼はなにも言わず、チップを受け取り僕の視界から消えた。 レストランを出ると寒く、どこかにいきたいという気持ちでひたすらに歩くと、一軒のバーを見つけた。木のドアに引き寄せられてドアを開ける。 止まり木にたどり着いて、気取ったことも言えず「ミモザ以外の何かをお願いしたい」と口にすると、マスターは黙って、よく磨かれたグラスに氷と木の匂いのする酒をついで寄越した。 累卵の如し。酒を一人で飲むと広がる僕の夢想は、玉子から始まる。玉子がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。いつつ、むっつ、ななつ、やっつ。ここのつ。とお。 次々に、泥色のスープ皿に飛び込んでいく。玉子が割れて、黄身が広がる海を泳ぐ蛇が身をくねらせて進む。ウサギが現れて蛇を踏みつけ、跳んでまわる。傷ついた蛇は海を飲んで飲みつくして死ぬ。母も死ぬ。 ウサギは皿のなかで乾き始める。 |
2014/03/08 (土) 04:58 公開 2014/03/09 (日) 23:45 編集 |
作者メッセージ
つしたらのしさんの作品って力があるんじゃないかな。 妙に残ってしまう。 オマージュと言うか、影響されてというか、で生まれてしまいました。 |
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