やさいスープやさん |
---|
蛙: 参考作ですらない |
そのトラックにはペンキで「やさいスープ屋」と書いてあって、ぼくはそのあまりのナンセンスさに笑いをこらえきれなかったのだった。たとえばカレー屋だとか餃子屋だとか、そういう移動販売のトラックがやっていけるのは、カレーや餃子には作るひとの独創性がいかんなく発揮されるからであって、そういう独創性は家事に飽き飽きした主婦の購買意欲を促進するには充分すぎるからであって、この観点から見ると野菜スープ屋ってのはあまりに馬鹿げている、と。 独創性を発揮した野菜スープってのをあえて考えてみると、美味とは対極のところにある(なんかメロンとかイチゴとか入れてそうなイメージだ)か、もしくは野菜スープのアイデンティティを奪う(豚骨で作ってカロリーを跳ね上げてみたり)とか、なんかそういうのだろう。イメージとしては。独創性を発揮した野菜スープについて深く考えることほど無駄な時間はそうないだろうから深く掘り下げないけれど。野菜スープなんて自宅で残り物で気軽に作るのが一番だろう。 興味本位で荷台を改造した店舗を覗くと、ザ・ヒッピーみたいな男が一人で鍋をかき回していて、あまりにイメージどおりでふたたびぼくは笑った。 美樹とのデートでも、ぼくはその野菜スープ屋の話題を提供したのだった。美樹もおおいにウケて、でもたぶんそのひとは野菜スープが好きなんだろうね、好きなものを仕事にしたんだろうね、なんて肯定的にコメントしてて、ああやっぱり美樹はいい子だなあ、なんて思ったりして、ぼくもノリにノッてその日はずっと野菜スープ屋の話題を引っ張っていた。最終的には話すことがなくなって、野菜スープの原価をいかに抑えるかまで展開した。二人で白菜のコストパフォーマンスについて語っていたと記憶している。 そこまで馬鹿にしてた野菜スープ屋に行ってしまったのは美樹と別れたからだった。なんの恨みもないしほかに好きな人ができたわけでもないけれどお互いの精神的成長のために、と別れ話を結論づけた美樹は、ひどく演技じみた表情で、ありがとう、と述べ(ほんとうに、言う、というより述べる、と形容したほうがしっくりくるような吐き出しっぷりだった)、ぼくの前から去った。ぼくは美樹を引き止める言葉なんてなにひとつ持ってはいなかった。 よくよく考えるとぼくらは話すことがなにもなかったからこそ野菜スープ屋の話なんてつまらない話題を夜通し続けられたのであって、そんな倦怠期の夫婦以下のぼくらが関係を続けることこそ野菜スープ屋の経営並に厳しい話であったのだ、と帰り道ひどく感傷的になっていたぼくは、野菜スープのトラックを見て思わずその店先を覗き込んでしまったのだった。鍋をぐるぐるとかき混ぜているザ・ヒッピー風の男は、間近で見るとぼくが思っていたよりもよっぽどまともな風貌だった。ぼくの想像が、ヒッピーイコールヤク中で、ヤク中イコール目の焦点があっていなくてなんか道の真ん中でよだれたらしながらトリップしつつちんこいじってそう、というものであったというのが大きいだろうが。 じっと見つめるぼくには気付かず、ヒッピーは鍋とずっと向き合っていた。コンソメのかおりは涙をこらえているぼくにはあまりに魅力的だった。きっとここの野菜スープは美味しいはずだ、いや美味しくあってくれ、とぼくは願った。ものすごく美味しい野菜スープ屋の話だったら、きっと夜通し話し続けてもおかしくない、と。いつか床屋で読んだ『美味しんぼ』がぼくの脳をちょっとおかしくしていた。ここの野菜スープを買おう。ぼくは美樹の思い出の良悪を、道端の野菜スープ屋に判断させることに決めたのだった。 「すいません」 と声をかけると、ああいらっしゃい、とヒッピーはこっちを見て言った。愛想はまったくなかったけれど、やっぱり思っていたより普通で、ぼくは拍子抜けした。声をかけても鍋から目を離さないで、左手でちんことかいじりだすだろう、というのがぼくのヒッピーイコールヤク中のイメージだった。ちんこをいじりだしても野菜スープを買うという目的を果たすまでは帰らないつもりだったけれど。 「野菜スープ、ひとつください」 「本日の野菜スープと定番の野菜スープあるけど」 突然の選択肢にぼくは戸惑った。いままで生きてきて野菜スープの選択肢を迫られたことはなかったから。仕方なくおずおずと、 「なにがちがうんですか」 とたずねると、ふう、と溜息を吐いて、ヒッピーはしゃべりはじめた。 「まずね、定番ね。ああそのまえに、うちで使ってるのはぜんぶ有機野菜だから。ユウキヤサイ。意味わかる?さすがにわかるよね。定番はさあ、コンソメの、いまおれがかき混ぜてるこれ。野菜スープってあんまりかき混ぜる必要ないと思うでしょ、でもそうでもないのよ、ずっとかき混ぜると野菜ってちょっとずつ溶けてくんのよ。そしたらスープが濃厚になる。これ一番人気、二つしかメニューないけど。わかった?つぎに日替わりね。本日の野菜スープ。これはポタージュだね。なんでポタージュかっていうと、定番だとコンソメ使ってるから、ベジタリアンの人は食べらんないの。ベジタリアンってわかる?さすがにわかるよね。でも牛乳も飲まないってベジタリアンもいるんだよね、意味わかんなくない?卵がダメってのはまだわかるんだけどさあ、あんたが育つ上で乳を飲んでないなんてありえないんだから諦めろよってかんじ。別に殺してるわけでもないしさあ。宗教的な理由なら仕方ないけどね。まあともかく、ベジタリアンのためにポタージュ作ってんの。いや、いままでベジタリアンの客が来たことはないけど、でもポタージュって女子供に受けるからそれなりに売れんのよ。で、どっち」 ぼくは呆気にとられてしまった。その面倒くさそうな顔しておきながら無類の話好きらしいところと、さりげなくぼくのことを馬鹿にしながら話を展開していくところと、こんだけ話しておきながら本日のポタージュが何味かすら説明していないところに。選択する気力はすでに奪われていたけれど、とりあえずぼくは聞いた。 「本日のポタージュってのは何の野菜なんですか」 なんでそんなに話好きなんですか、と、なんでぼくのことを馬鹿にするんですか、という、ポタージュの内容よりも知りたい答えは諦めることにした。 「ああごめんね、今日はね、シャンピニヨン。おしゃれっしょ?シャンピニヨン。もちろん無農薬。フレンチ気分でも味わっていただこうと思ってね。これが奥様方にウケるウケる。っつても今日お客さん三人しか来てないけど。やばいよ商売になんないよこんなんじゃ。食べたことある?なさそうだね。一回味わってみるといいと思うよ、いつか彼女とメシ食いに行ったときに自慢でもすりゃいいと思うよ、シャンピニヨンのスープね、ああ食べたことあるよ、なんてね、慣れてる男っぽくていいんじゃねえの知らないけどさ」 諦めたはずのふたつの質問がふたたび喉をせりあがってきたけれどかろうじて止めた。シャンピニヨンってなんですか、有機野菜とベジタリアンは知らないかもしれないと思わせたぼくに対してなぜシャンピニヨンは知っているという前提で話を進めたのですか、という新しい質問まで生まれたけれど、ぼくはすでに馬鹿にされるのに飽き飽きしていたのでそれも一緒に嚥下し、定番のほうでお願いします、と答えた。空腹でありながら胃がパンパンで吐きそうだった。ポタージュにしなかったのはせめてもの抵抗だったが、ヒッピーは特に気にした様子もなく、ろっぴゃくえんね、と答えた。千円札をぼくが差し出すと、はいおつりよんひゃくまんえん、とけへけへ笑いながら一昔前のギャグを繰り出し、小銭とスープの入った紙コップをよこして、 「ありがとござした、またきてね」 と手を振った。 ヒッピーは笑うと意外に愛想がいいツラをしていて、ぼくは吐き気を催させられたにもかかわらず、はいまたきます、と答えてしまった。 当初の目的はどこかに飛んでしまい、敗北感を味わいながら飲んだ野菜スープは、しかしそれなりに美味しくて、ささくれたぼくの心を少しは癒してくれた。夜通し話すほどではないけれど、新婚の夫婦がコーヒーを飲みながら話すネタくらいの価値はあるだろう、よくしゃべるヒッピーみたいな野菜スープ屋とまずまずおいしいスープの話。 なんでぼくのことを馬鹿にしたのか、やっぱり聞いておけばよかったなあ、と思った。美樹にふられた理由がそこにあるような気がしたのだ。なんでかわからないけれど。深く考えることをやめて、ぼくは野菜スープを一気に飲み干した。それで絶望まで飲み込めるわけじゃなかったけれど、まあいいか、と呟くくらいの気力をぼくは得たのだった。 |
2014/03/16 (日) 23:21 公開 2014/03/16 (日) 23:29 編集 |
作者メッセージ
阿佐ヶ谷には餃子の屋台トラックがたまに走っているのです。さいきんみないけど。 |
この作品の著作権は作者にあります。無断転載は著作権法の違反となるのでお止め下さい。 |