キッチン・キャンベル |
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覆面ジャッジ: 創芸戦エキシビション 審査員対決! |
教会通り。 通りゆかば、こころ清廉に洗い満たされ、足もとかろやかに天つ空へそよぎ立つ。 とかなんとか口にしてみたが。実のところは、惣菜、食いもの屋、理髪店。そしてセンスを疑いたくなる商品を並べたブティックなどが通りを睨みつける。ぼくは、そんなストリートを特別なことがない限り、四年のあいだ粛々と往復してきた。 その日、イレギュラーな仕事に邪魔をされ帰宅が遅れたぼくは通りのとっつきで靴底を踏み留めた。どうにも腹のおさまり具合が情けない。だが教会通りのシャッターはほとんど降りている。駅まで戻ればコンビニがある。そのとき、不意に懐かしい(といっても半年ほど通っていない)洋食レストランが醸す誘惑が身の中心で粒立った。 キッチン・キャンベルの店主は、旧いファミコンゲームのキャラにとてもよく似る。だからぼくは、ひそかにマリオと呼んでいた。深夜の店内には先客がいない。ぼくは奥のテーブルに座して、カウンターのなかのマリオへ「チーズハンバーグを」と告げ、グラスの水を口に含んだ。店内にメニューはない。キッチン・キャンベルでは客がそれぞれの満足を求め特別な料理をオーダーするのだ。 そんな洋食店の評判を聞きつけたのか。ネクタイを無残にした酔客が「カツレツのカツ抜きをくれ」とむちゃくちゃな注文をマリオにぶつけたことがある。だが腹の突き出たシェフはいつものように「ごゆっくり」と酔客の前にプレートに盛られたきつね色の衣をまとった料理を置いた。「なんだよ、カツ抜きっていったじゃん」と酔客がカツレツをほぐす。それに視座をあてたマリオが毅然と口にした。「カツを抜いてお召しあがりください」 ミッドナイトのダイナーを金属音が揺らす。入口の鈴を鳴らした客へぼくは顔を向けた……オズの魔法使いの少女ドロシーが、DVDに焼きつけられた衣装そのままに、カウンターの前を横切り、ぼくの斜め前の椅子へ食の座を求めてきた。映像のドロシーよりはるかにいとけない。ぼくは少女が遠慮がちに押し開いた扉を確認した。だがそこに保護者があらわれるようすはなかった。 「あなたが熱心なのは、チーズハンバーグね」とドロシーは卓の皿に貌を向けいう。それからなんのためらいもなく、皿に小指を擦りつけソースをおもちゃのような舌に乗せた。「へえ。そうなんだ」ドロシーの長い睫毛がぱちんと爆ぜる。それからほおに張りついたブロンドの髪を指で触れ動かし、おもわせぶりにこうオーダーした。 「黄金の野菜スウプをいただけるかしら」 マリオが卓の上に乗せた皿には、それこそスープの表面を装飾するようにきらきらと黄金の彩が存在を主張していた。店のとなりで構える質店、マルフクへそのまま持ち込めば、ぼくのマンションの家賃十二カ月分をきっちりそろえてくれる。そうおもえる貴重な輝きだった。ドロシーが銀のスプーンをしずかにすすった。そして、長い睫毛をぱちぱちとしばたたいて「なるほどね」とつぶやき、かたわきのピクニック用バスケットからナプキンを探りあてると、そこへなにかを殴り書きした。 まるで深夜の店内を春の嵐が悪戯をしかけてきたようなこころ持ちをぼくは覚えた。『黄金の野菜スウプ』の皿のかたわらにナプキンがぽつんと置き去りにされている。カウンターからゆっくりと歩を進めてきたマリオがナプキンを手にして、気むずかしい顔ざまをしつらえた。そしてエプロンの前でかかげ見せたナプキンには☆マークの右半分が削られた図形が描かれていた。 つぎにおとずれたキッチン・キャンベルの扉に一枚の張り紙があった。 ――☆マーク三つを求めて、修行の旅へ出ます。それまで料理を提供できないことを深く陳謝いたします。店主拝 と、綴られていた。あのドロシーはレストランの評価を☆であらわすミュシュランガイドの使徒だったのか。 ぼくの耳朶にはるか向こうから響いてくるカテドラルの鐘の音が深く沁み入った。 |
2014/03/18 (火) 01:50 公開 |
作者メッセージ
お題は『野菜スープ』 |
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