りんごの夢を待つ |
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喘息持ち: 刹那を読んで |
喘息の発作がでて、息も細くなり意識が朦朧としていたときのことだ。あの死への疑似体験は甘いものだった。うつらうつらと、苦と楽の緩急に耐えながら待つ。正確に言えば、苦と楽だったという記憶だが、次に意識を無くす瞬間をじっと待つ。 このうつらうつらしていたときの頭の中の夢ともつかない映像をよく覚えている。りんごが脳裏にあった。 爛熟したりんごの甘い匂いが少し離れた闇の中で漂ってくるので、りんごを探すように脳裏の目を凝らす。 ふとさっきまで楽だったのに、と覚醒するたびに甘い匂いを嗅いだような気になる。覚醒すれば飲み込めない固まりが喉をふさいで胸が痛い。 楽になれるりんごの甘い匂いを待った。腐りかけたりんごが示すのは死だろうと何となく思いながら、体は動かなかった。動くより待つ方がよかった。 あのまま死ぬのなら、死はちっとも怖くない。いずれ死ぬしかないのだから、そのときは受け入れられるように恐らく出来ている。 問題は覚醒してしまったときの苦しみだ。 死にきれないときの苦しみは死ぬより苦しいはずだ。俺はそれが怖い。 だが、あのまま甘い匂いを待つ瞬間を楽しみにしている自分もいる。喘息の治療はしていない。死ぬなら家族のためにも病死を望む。 運があればりんごの夢をまた見られるだろう。 |
2014/04/21 (月) 20:26 公開 |
作者メッセージ
死を楽しみに待てるというのは、ある意味幸せだと思う。 いつ死んでも後悔なく死んでいけるのは幸せな死に方だ。 死にたくなくて苦しみながら死ぬよりはいい。 |
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