taboo |
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節句 |
taboo 山々が深い濃淡を刻む麓に火ノ畑村はひろがる。 ところどころに背後の山並みが産み落としたふうな樹木の集まりが膨れ、そのあいだを細い道が蛇のように這う。そして地が裂けたように流れる貧しい川を挟んで、ぽつり、ぽつりとこれもまた粗末な小屋が翳る。平地のほとんどを占める田畑には、村のほとんどの者が腰をかがめ、陽が丘陵に姿を呑みこまれるまで四肢を忙しくする。 ときおり訪れる者は実に風光明媚な村だと口にする。だが、夏に天へ向かい悠々と稜線を描く頂きから吹きおろされる冷涼な北東風は、作物を脅かす存在でもあった。 ところが村人がイナセと呼ぶ風は、忌み嫌われるものではない。なぜか。それは森の神からもたらされるみことのりだと信じられているからだ。 日々の糧を求める行為が、しばしおざなりに済まされることがある。その頃を見計らったふうにイナセは延べ縮めする村人のきもちを引き締める役割を担うのである。 その気づきといったものは、おそらく村人が『モリビト』と呼ぶ、きょうだいの祈りがあまつ空に舞いあがったとき起こる。そう誰もが胸に刻んでいた。 シーシャは月に一度、火ノ畑村へ赴く商人であった。白いひげにおおわれた頑強な顔を持つシーシャが担いでくる多種の笊は、とても手に馴染み使い勝手もよく、村人から篤い信頼を得ていた。商いを終えたシーシャは、笊のかわりに米やイモなどの作物を背負い、こころもとないケモノ道を探りながら、ひたいに汗の玉を宿していた。 「やれやれ、いく度歩いても躯に馴染まぬ道だわい」 三度の休息を終えたシーシャが深い森のそのまた深くに視座をあて、鼻から荒い息を放った。いくども草掻きのまねごとを行った果てに、ようやく目的の苫屋が赤黒くかわりつつある梢越しに、すぐにでも崩れそうな危うい姿を見え隠れさせている。 「モリビトどの、おられますか。麓の商人でありまする」 戸口でまっすぐに姿勢を正して、シーシャが大声で怒鳴ったことに、戸が呻り声にも似た音を発し、脆弱な者が息をつくようにぎこちなく開いた。 「おお、メークラどの。いつも見目うるわしい限りで。さても、身どものこころが洗われるおもいです」 「またか。シーシャは決まって同じようなことを言う」 ふっと指のすべてを口もとに添えた少女は瞳をくっきりとさせたまま、揉み手をする商人を招き入れた。 「おお、イザリどのに、ローアどの。ツンボーどのもたいそうおだやかなたたずまいで。よろしゅうございました」 シーシャは深く腰をおると、背の荷を足もとへ置き、草鞋を脱ぐことなく床のふちに腰を据えた。それから荷のなかをひとつひとつ、あらためるように丁寧に床へ並べる。そのどしり、あるいはずしり、そしてさわりといった音を頼りに、メークラがそれらへすらりとした細いゆびを添える。 「どれも見事な出来栄えだ」 メークラが女神から借りうけたようなほほえみをこしらえた。 「どれどれ、ほう、いつもに違わずつややかじゃ」 笊を編む手を休めた長兄のイザリが擦り寄り、瑞々しい大根をメークラの頬にあてた。白くしなやかなカタマリがよほど冷たい雰囲気にあったのか、「きゃっ」とメークラが躯を反らせる。それをまのあたりにした次兄のツンボーが「ぐ、はあ、は、はあ、は」とくぐもった笑いを撒き散らす。そのことに末弟のローアは終始無言のまま、奥からさまざまな笊を抱えきて、シーシャに捧げた。 「ほう、これはまた繊細な。水も漏らさぬような仕立てではないか」 細く、しっかりと紡がれて体を成す笊に、シーシャはひとしきりあごを引く。それらを宝玉のようにうやうやしく、担ぎカゴに納めようとした手が留まる。 「そう、そう。中あいの祠でおもしろきモノを見つけたので、置いてゆきましょう」 きょうだいは、中央に置かれたモノに意識を集めた。商人が厳かに献上していったカタマリが、板の間に鎮座している。 「ふむ。さても見事な出来栄えだ」 イザリが腕を組上げ、しきりにアタマを傾げた。その仕草がツンボーに理解が及んだのか、「しっとりと、それでいて眼を射るような輝きを放っている」舐めるような視線をあてたまま口にした。 「確かにツンボー兄さんのおおせのとおり、つややかに感じられます」 そっと撫でるようにモノへ添えた手を、胸の前であわせメークラがため息を吐く。その仕草は満足がいかない、とでもいったように美しい顔をわずか曇らせた。ところがローアだけが興味を失っているのか、無言のまま仕事の手を休めない。その背にはモノをつくる業の者としてのあからさまな嫉妬が見え隠れしている。そうイザリは汲みとり、「だが、口が閉じたままではないか。これでは壷の用を足さぬ。本来のしつらえを誤ったか」と頬に薄く笑みを浮かべた。 その言葉に反応したローアが腰をあげ、壷をかかげ見た。そのときだった。壷のつややかさがつくる滑らかな手触りに、おもいのほか差異があったのか、するりとローアの手から離れた。壷は宙で一転、二転し、板の間に砕け散った。同時にあたりに霞みがかかり、きょうだいはなにが起こったのか瞬時に判断ができない状態に堕ちた。 「おお、立てる。わしは自分の足で立てたぞ。だが、なぜ暗闇なのだ。壷がつくった霞みはそれほどひどい在りようではなかったはずだ」 「イザリ兄さん。霞みは晴れつつあります。あっ。しゃべれる。みんな、おいら口がきける」立ちあがろうとしたローアだったが、あまりの歓喜に足が震えたのか、足がしっかりしないことに、しきりに苛立ちを見せた。 そのかたわらで、壷の破片に映るわが身を見据えるメークラの肩がわなないている。そのさまといったものは、感動を口にしたいのだが、おもいつく言葉が上手くのどをとおらないもどかしさにマブタがいく度も爆ぜていた。 千千乱れる輪からわずか遠のいた場所で、ツンボーが両の耳に手をあて、口をしきりに小川の鮒のように開け閉めする行為をつづけている。 やがてすっかり霞みが消え去り、床に散乱した壷の残骸と、それをとり巻くきょうだいの姿がしっかりとしたものになった。 「結局のところわしらにもたらされたのは、それぞれの痛みを知ることだったのだな」 光を感じることのできない眼で、イザリが頭上を睨んだ。 「でも、おいら、しゃべることができる。だけれど立てない、歩けない。けれどもそれほど辛いことではない気がする」 と、末弟のローアが口にしたことに、ツンボーがしきりに言葉を返そうとするのだが、あいかわらず口もとから声が洩れることはなかった。そのことで大きくたわんだ肩へいたわるように、メークラがそっと手を乗せた。 「なにを哀しんでるの。あたいに言葉は聞こえないけど、みんなの顔が見えたことは神さまからの贈賜として歓びたいよ」 メークラがツンボーの手を握りしめたが、その手にチカラが加わることはなかった。 「ひとはそれぞれ痛楚を抱えて生きてゆくもの。ときに神さまは罪なことをなさるが、希望までないがしろにすることはないのだろう」 苫屋のすみでひとりごちたシーシャは、「よいしょ」とカゴを背にすると、おぼつかなくなった足もとを確かめるように、ふたたび嶮しい闘いへ向けて歩を進めた。 (了) |
2014/05/01 (木) 19:36 公開 |
作者メッセージ
連休の前半に書いてみました。 |
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