鰤鰤タイム14/05/16 |
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押利鰤鰤 |
■早朝ハイテンション 部屋の戸が勢いよく開いた瞬間に目が覚めた。 部屋に入って来たのは親父で、少し焦った表情で慌てている様子で言う。 「正壱(仮名)が仕事に来なかったんだってよ。家にも帰ってきていない。お前、昨日はどこまで送っていった?」 午前0時の仕事に合わせて、通勤時間を考えると、いつもは23時に家を甥っ子である正壱(仮名)は出ていた。 いつもは地下鉄の乗り場まで、正壱の祖父であり、私の父親が車で送っていたのだけれど、昨夜は家を出る直前に親父が足を吊ってしまったために、急遽代打で私が正壱を地下鉄の乗り場まで送ってやったのだった。 その正壱の消息が知れないと言う。 スマホの時計を見てみると、午前六時になったばかりだった。 「地下鉄乗り場へ下りていく姿は確認したけど。連絡は取れていないの?」 「どうも、地下鉄のホームで待っているウチにベンチで寝てしまって、終電が終わってから地下鉄の駅員にシャッターを閉めるから出て行ってくれと言われて起こされたと、メールで連絡があったきりなんだと。その時に、スマホの電池の残量が残り少ないとも書いてたったらしい」 居間に降りてみると、弟が家に来ていた。 今年の三月に弟が、いつまでも引きこもっていてもどうにもならないし、自分が働いている店で人手が足りないからバイトを募集しているのだけど、来ないので正壱を簡単な仕事で働かせると言い、本人を納得させて連れて行ったのだが、その弟の面目も丸つぶれであるので、かなり殺気立っていた。 「どうした。朝からずいぶんご機嫌だけど、なにか良いことでもあったのか?」 そんなことを言いようものなら殴りかかってきそうな感じであった。 とりあえず、家にはいないことだし、早朝でもあるので、営業している近くの店は限られており、祖父と二人で探しに出かけることにしたようであった。 ちなみに私はまだパンツ一丁だった。 まだ寝起きである。 ライントークでメッセージを送ってみるが、やはり電源が切れているのか昨日から送っていたいくつかのメッセージに既読の標示は付いていない。 私もすぐさま着替えて家を出て、思い当たる場所を車で走ってみたが見つかるわけがないのである。 せめてスマホが繋がれば、話でもできるのだけど、その可能性は薄い。 そのまま仕事に行こうかと思ったのだけれども、気になるので時間にもまだ余裕があるので一度家に戻ることにしたのだった。 警察に捜索願いを出さねばならないかと思いながら家に着くと、親父の車が止まっていて、私に気が付くと「いた」と口を動かした。 「どこにいたのさ」 車を降りた私は、親父にそう聞いた。 「近くの公園のベンチに座ってた。二時間かけて仕事先まで行ったんだけど、中に入れなくてまた二時間かけて歩いて公園まで戻ってきたんだとよ」 気持ちは解らなくはないが、そんなことをしてしまえばさらに状況を悪化させると言うことくらいは解らないはずがないのだけども、状況を悪化させても出勤するという選択をすることはできなかったようである。 「あの野郎、自分で何もできないと解っている正壱を連れて行って、それで仕事ができないからと正壱をぶん殴るとか何様のつもりだ」 親父の怒りの矛先は孫ではなく息子に向かっていたのである。 「7年も学校にも行かず、働きもせずに引きこもっていて、なにもできないと解っていて面倒をみるからと連れて行ったんだろう。それなのに何もできないのが限度を超えているとか意味わからんだろう?こっちは最初から言ってたんだからよ。何もできないぞって。あいつ言ったからな。全部自分が被ってるんだぞって。当たり前だろうが、その覚悟もないのに連れて行ったのかって 。身内を紹介して一緒に働くというのはそう言うことだろうが」 「俺もそう思ってたんだけどな。俺はとてもじゃないけど一緒に働こうとか思わない」 「偉そうに自分のことは棚に上げて、正壱に説教するのさ。だから、言ってやったのさ。お前、いい加減にしろよ。さんざん借金作って親に被させておいて、どの口でそんな偉そうな口聞けるのよって。そしたらよ、後は二人で話すから、年寄りは黙ってろ。さっさと消えてくれだってよ。ぶん殴ってやろうかと思ったけど、周りの目もあるからな。言い合いになって、殴り合いになって近所に警察でも呼ばれたら困るから黙っていたけどよ」 テンション高いな。 まだ朝の七時だぜと思ったが、きっと同じ居場所にいたら、私もかなりキレキレになっていたとは思う。 「で、結論は?」 話が長くなるのも、出社時間まで限りがあるので聞いてみた。 「もう行きたくないってよ」 2ヶ月お勤めご苦労様でした。 ■だんごだんごだんごむしのこうびはどっぐすたいる 「え?ゾウリムシじゃなくて?」 「ゾウリムシじゃないですよー、ダンゴムシですよー。ウチのマンションの周りには両方いますよ?」 何でその話になったのか、今となってはすっかり思い出せないのだけれど、すでに入社して三年目を迎え、社内に置ける立ち位置と、ポジションを手に入れた同僚のOさんは自信に満ちた表情で、そう言った。 「ダンゴムシの存在は知っているけど、子供の頃から一度も自分の生活している範囲では見たことはないよ。だってダンゴムシを見たことがないから、ゾウリムシを捕まえては体を無理矢理丸くして、ダンゴムシって言っていたくらいなんだから。たぶんこの街にはダンゴムシは生息していないんじゃないだろうか」 私はそう言った。 「いや、いますって。毎日見かけますもの。コロコロしていて可愛い奴なんですよ。じゃぁ、こんど捕まえて持ってきてあげますよ」 「いや、いいから」 ネットで検索してみると、やはり本来ならば私の澄む地域はダンゴムシの生息圏ではないのだけど、内地から引っ越しなどで付いてきたダンゴムシの繁殖が限られた地域で確認されているという。 ゴキブリも同じである。 「きっとOさんの住むマンションに、内地から引っ越してきた人がいたりして、それでOさんの近所で局所的に繁殖したんだろうね」 私がそう言うと、Oさんは納得したようで、 「こんど捕まえてきますから」 と笑ったのだった。 「それで、昨日仕事から帰ってダンゴムシを捕まえようとして捜したんですけど、ぜんぜん捕まらないんですよ」 翌日の朝一でおはようございますの挨拶と共に、ダンゴムシの話を始めるOさんであった。 「いつもは沢山いるのに、捜し始めると見つからないなんて、まるでマーフィーの法則かと思いましたよ。それで仕方ないから少し大きめの石をひっくり返したりしてみたんですよ。そうしたらようやく見つけたんですけど、何かいつもと違うんです。よく見たら……交尾してたんですよ」 Oさんは満面の笑みでそう言うと、スマホで撮影したダンゴムシの性交画像を見せてくれた。 「犬とかと一緒ですよwワンワンスタイルですよw」 「初心者に優しい後背位っていう奴ですね」 まるで昆虫図鑑の貴重な写真のようなダンゴムシの性交画像を見せられたのだけど、さすがにちょっとリアルで引いたよ、Oさん。 ■疵 仕事が終わって家に帰ると、正壱問題はだいぶ片づいたらしかった。バイトを辞めるそうである。 双方いろいろ言い分と事情はあるのだろうけど、もう正壱の心は少なくとも今の職場には無いようであった。 ここ暫く、ずっと行きたくないと思っていたそうであった。仕事ができないから怒られる。怒られると行きたくなくなる。それでも、口にすることもなく頑張っていたようではあるが、連絡の行き違いでバイトをすっぽかしたとか、それで説教喰らうとか、またすっぽかしちゃったとか。 最初は優しく迎えてくれたバイト先の人々も、ここ数日で態度がすっかり変わってしまったのだという。 激しく叱責され、飛んでくる拳。 それでも働かなければならないと思う気持ちと、行きたくないと言う気持ちのせめぎ合いが、いつも乗っていた時間の地下鉄に乗り遅れたことで、すっかり気力を無くしてしまったのだという。 仕方ないじゃん。それが仕事だし。それで、仕事をしなくて良いなら俺も働いたりしないって。 と、正直言えば私はそう思ったのである。 経済的に余裕があるわけでもなければ、何でも選べる学歴があるわけでもない。 雇われたという事が幸運と思うか、そうは思わないかは、それぞれの人の考え方であり、頑張るにしても、頑張れるそれぞれの人の心の器の大きさは、人それぞれに違うのであるから、誰かにはまだまだ余裕で頑張れる器の大きさがある人もいれば、コップ一杯の量に表面張力だけで溢れそうな頑張るという気持ちの持ち主と、本来ならばさほど問題になるような話でも問題はないのである。 明け方の公園のブランコの上で、星空を見上げながら、どれだけの時間を過ごしたのかは解らないのだけど、あと家まで200メートルくらいしかないのに、家に帰ることもできずに佇んでいたと言う姿が切なく思う。 少しは家を出て行った母親の気持ちがわかるようになっただろうか。 解らなくていいんだけども。 |
2014/05/16 (金) 00:41 公開 2014/05/16 (金) 01:38 編集 |
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