桜の枝 |
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蛙: おぼかたちゃんを見てておもいだした。 |
「なんでワシントンは謝ったんだろうなあ」 譲二は感慨深げに呟いた。助手席に座る彼の手には、桜の枝が握られている。それどうしたの、と聞くと、拾った、とばればれの嘘を吐いたのだった。 「そりゃ、良心の呵責に耐えられなかったんでしょ。でも、あの話って嘘らしいよ」 私は適当に答える。慣れない運転と緊張によって、ハンドルがぶれる。頭の中は安全確認でいっぱいいっぱいである。まともな受け答えをしようと思ったら命を捨てる覚悟をしなければならない。 「なんのための嘘だよ」 「わかんないけど道徳云々のアレでしょ。アレ。悪いことしたら素直に謝りなさい、っていう子供に対する道徳だか、素直に謝った子供は許しなさい、っていう大人の道徳だか知らないけどさあ」 へえ、とこれまた適当な相槌を打ちながら、譲二は桜の枝をぶらんぶらんと振っている。必死で前方をチェックしている私の視界に、まだ蕾のままの桜がちらちらと入ってきて、気が散ることこの上ない。前方の信号が黄信号になったので、右足をブレーキへ置け、とかろうじて脳から体に命令を送る。 「そういえばさ、ワシントンが桜の枝を折った理由も話によって二種類あるらしいよ。桜があまりにも綺麗だったからっていうのと、斧の切れ味を試したかったからっていうやつ」 私はゆるやかにブレーキを踏む。停止線でぴたりと止まる、ナイス。赤信号のおかげで、少しは心を込めて会話が出来る。 「なにそれ、どっちでもいいじゃん」 「でもさ、懲役違いそうじゃん。斧の切れ味とか言い出したら懲役伸びそうだよ。あんたもさ、嘘つきなよ、花が綺麗だったとかそういう美しい理由考えなよ」 「ひき逃げに美しい理由とかあんのかよ」 譲二はこれから自首をしに行くのだ。私は警察署までの運転手である。昨日久しぶりに電話があったと思ったら、ひき逃げしちゃったよう、おれ一人だと逃げ出しちゃいそうだよう、と言い出したので、仕方なく付き合ってやっているというわけだ。 「ほら、子供が産まれそうだったとかさあ。……そんなのすぐばれるかあ。ともかくさ、情状酌量狙いだよ」 信号が青になったので、私はアクセルを踏む。ジョージョーシャクリョーか、よくわかんねえなあ、と譲二がいかにも馬鹿な独り言を呟く。親の死に目だったとかさ、彼女が監禁されてたとかさ、と私が適当な理由を挙げると。譲二はいちいちげらげらと笑った。世界平和を守るためとか、と私がネタ切れになったところで、譲二はようやく笑うのをやめぽつりと言った。 「俺、正直に言うよ。こわくて逃げちゃいましたって。俺ばかだからさあ、きっとばればれな嘘しかつけないしさ」 「そっか。轢かれたひと、死んでないといいねえ」 本当だなあ、そうだなあ。私の言葉に、譲二は素直に頷いている。生きているといいなあ。私は心の底から、顔も名前も知らない人の無事を祈っている。 警察署の近くにパーキングエリアがあったので、そこに車を停めることにした。バックをするたびに、いちいちぎゃあぎゃあと譲二と悲鳴を上げながら、なんとか駐車を終わらせる。 「ここまででいいよ」 車から降り、譲二はそう言った。 「中まで送るよ」 「いやだよ、そんなの、かっこわりいよ」 これから自首する人間にかっこいいもかっこわりいもねえよ。そう言ってやろうかと思ったけれど、彼があまりに真剣な顔をしているので、仕方なく我慢する。わかったよ、と言うと、譲二は今まで見たこともないくらい深く頭を下げて、 「実はこれ、折っちゃったんだよね」 と桜の枝をさしだしてきた。 「なに、それ」 と私がさらりと返すと、 「いや、素直に謝ったら許してもらえるかと思ってさ」 と、泣きそうな顔で、譲二は笑った。私が笑い返すと、彼はほっとしたような表情を浮かべ、歩き出した。ゆっくりと、でもしっかりと目的地へ向かって。 「私は許すよ」 思わず、私は譲二に向かって叫ぶ。 「あんたが正直に話してくれれば、私はなんでも許すから」 また帰っておいで、という言葉を私は飲み込む。譲二は振り返り、へらへらと笑って、ぶんぶんと手を振った。相変わらず桜の枝を握ったまま。ありがとうな、と叫ぶその馬鹿な姿があまりにいとおしくて、涙が出そうになる。唇をぐっと噛んで、無理矢理笑顔を作り、私は手を振り返した。 |
2014/05/27 (火) 03:02 公開 |
作者メッセージ
きせつはずれだ。 |
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