提灯行列 |
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貰ったお題を無視して走り出す |
車内に休憩のアナウンスをして乗降口を開けると、夏の夜気が風に運ばれて流れ込んできた。すぐ近くに停車したバスやトラックのアイドリング音もが鮮明になって。 山間を走る高速道路の、あるサービスエリアの駐車場でバスの運転手である男は座席に深く背を押し付けて嘆息。続けて小さく愚痴が出た。 「やってらんねぇよな。今月の残業、何時間になるんだ」 世間が夏休みともなるとバスの運行数が飛躍的にあがる。だが、会社の人員が増えるわけではない。そのツケは社員全員に圧し掛かり、男のように昼に観光バスを運転したかと思えば夜は夜行バス、なんてことも珍しくはない。寝られるのは小休止と次に乗り込むバスの発車時刻までという強行軍だ。 強制的に起こされるスタンガン付きのブレスレットなんかではなく、休みを支給してほしい。 それでも、需要に応えられなければ客足が遠のくというのも分かっている。客席はほとんど埋まっており、車内には寝静まった人の気配といくつかの潜めた話声。人手が足りないからとバスを出さなければ、彼らは次の旅行には電車を利用するだろう。 あと半月は我慢するしかないか――そう結論付けて男は目を閉じるや、エンジンから伝わる振動を背に受けながら寝息を立てはじめた。 悪い予感が体に走り、男は慌て飛び起きた。とてつもなく長く寝てしまったように思えたのだ。 だけど、時計の文字盤を目の前にもってくると安堵から息を深くついた。まだ出発予定時刻までは十分予定があったからだ。 冷や汗に不快な額を袖でこする。ほんの数分しか寝ていないのに妙に気分が冴えわたっていた。 ついに体が激務に適応しはじめたか、そう苦笑しかけるが、それも客席の方へと振り向くまで。バス内の光景に息を呑んだ。 ――誰もいない。眠っていた乗客も、話し込んでいた乗客も。 皆が皆、揃って手洗いというわけでもあるまいし、どうしたことだろう。と、バスの外へと視線を走らせてみれば、サービスエリア内の灯りという灯りが全て消えてしまっている。 男が目を閉じる前には確かにあった月明かりもなく見えるのはバスの回りの数メートルまで。両隣に駐車していた車両はもう出発してしまったのだろうか、地面以外は何もない。 客の全てがその闇の中へと揃って消えてしまうはずもなく、寝ぼけてしまったのかと、男は座席脇のクーラーボックスから缶コーヒーを取り、開けて半分ほどを喉へと流し込んだ。そして再度見回したが――最初に見たものと何も変わらなかった。 「……勘弁、してくれよ」 外へと探しに行こうにも懐中電灯の持ち合わせはなく、携帯電話の光程度では心もとない。 しかしここで延々と待つのも間違った選択のように思え、男は開けっ放しの乗降口から社外へと飛び出した。 「誰かいませんかっ!」 何度か、呼びかけた声が暗闇の中に吸い込まれて消えていく。返事は無い。それどころか、気配というものが全く感じられない。男は不祥事という可能性を意識してしまう。 乗客全員が行方不明。その先に待ち構えているのは会社の倒産と従業員の解雇。原因となったバスの運転手の再就職が滞りなく上手くいくはずもなく、家族にかける苦労も計り知れないものになるだろう。 認めたくなくて、声を振り絞って暗がりへと呼びかけ続ける。声が枯れ膝をついてしまうまで。 と、バスの後方のずっと先に何かが見えた。淡い光が多数、話し声のざわめきと共にこちらに向かってくる。 男は願った。それが乗客の携帯電話の光で、何か珍しいものでも見つけた乗客の一人が皆を誘って見に行ったのだと。そして出発時間になって戻ってきたから、目的地に出発できるのだと。 立ち上がって、男はその光の群れに勤めて朗らかな声をかけ、 「そろそろ出発します。慌てずにお乗りくださ――」 最後まで言えず、喉が凍りつく。置き忘れた缶コーヒーが手から滑り落ちて音をたてた。 大きな髪の長い人の顔――口の両端が裂けて耳まで届く、血走った目でせわしなくあちらこちらを根め回す何か。バスの窓ガラス一枚分くらいの大きさのそれを先頭に、バスの電灯に映るのは手に提灯を掲げた異形としか表現できない群れだった。 竦んだ足は思うように動かせず、手をついて這いながら車内へと転げ込み乗降口の扉を閉める。 運転席に腰を投げ出すように降ろしてキーを差し込もうとするが、 「……どこにやった?」 ポケットだろうか、それとも落としたか。ワイシャツ、スラックスとポケットを探っても馴染んだ手触りを見つけることができず、焦りが口から漏れた。 「――っ!」 口を両手で押さえる。あの大きな人の面が運転席のすぐ脇を通ってバスの前方へと過ぎていった。 それに続くのは、本かなにかで見た、角が生えていたり目が一つしかなかったり、くちばしがついた鴉や獣をを模した顔をした二本脚で歩く者から、蜘蛛などの昆虫や動物まで。バスよりも背丈が大きかったり、見下ろさなければ気付かないような小さい者、様々な取り合わせ。 全てに共通するのは、日常に現れてはいけない。その一点のみだ。 乗降口の方へ逃げようと腰を浮かせるも、そちらも同じく異形が、囁いたり喚いたり。提灯を手に練り歩いている。 今まで幽霊や妖怪の類を全く信じていなかった男だが、目に映るものは確かに妖怪と呼ばれるものに違いない。乗客も皆彼らに食われてしまったのだろうか。昔、祖母がこんな暑い夜に語ってくれた寝物語が脳内によみがえる。夜に出歩けば妖怪に喰われる、と。 仮に客が彼らの犠牲になったのだとしよう。正しいとすれば、残った男が辿る運命はなんだろうか。後を追うのは嫌だ。自分が居なくなったら、残されたあいつ達――家族はどうなるのだ。 頭の中で警鐘が鳴るも、男に何ができるわけもなく。無力感に激しく揺すぶられた男は、意識を手放してバスの床に倒れ込むことしかできなかった。 目を覚まし、男は気絶するまでに何があったのかを即座に思い出す。 身を投げ出していた運転席から車外を窺うと周りに灯りがないのは相変わらずだが、バスの両脇を過ぎ去った群れのざわめきが無いことに安堵した。すぐ左隣から人の声がかけられたのもあって。 「運が無いね、お前さん」 だけど、夜行バスの運転手にかけるものではないと。遅れてそう気付いた男が、しわがれた声を発の誰かの方へと、恐る恐ると顔を向ける。 小さな着物姿をした禿頭の老人が、無表情に男の顔を覗きこんできていた。記憶にないことから乗客ではないはずだ。 「どういうこと、ですか?」 「知らない方がええじゃろうて」 言われた意味が分からず、訪ねてはみたものの老人の応えは要領を得ない。ただ、少しだけ表情を陰らせた。 それが何を表しているのか迷い、考え、思い至った瞬間、 「え、あれ……?」 目の前にいる老人がこちらに向けた憐憫の色が遠くなっていく。老人を中心とした四角形が小さくなっていき、彼は軽やかな足取りで枠外へと消える。何が起きたのかは最後まで分からず、男はまたもや意識を奪われ、それきり目覚めることは無かった。 バスの社外へと出た老人は、振り返ることなく呟いた。 「死ぬまで働くのは人間だけじゃの」 蠢く背後の気配は、亡くなった男の残滓。場所こそ人の世とは切り離されてはいたが、灯りが照らす地面は人が慣らしたものと同じだ。あのバスが停まっていたものと寸分の差異もない。 「それにしても運が無い――」 振り向いて、今度ははっきりと語り掛けた。窓から光を放つバスに向けて。 「百鬼夜行の妖気に中てられてしまうなんて、のう」 バスまでもがこちらの世界へと取り込まれた理由は分からない。だが、それは男の魂を取り込んで、老人と同じ、妖怪へと成り果てていた。 茶トラの猫を彷彿とさせる柄の毛髪に覆われいくつもの足の生えた、バスの妖怪に。 「これ、人間に見つかったら怒られやせんかの」 フロントの猫の頭に向かって言う。バスは、顔を老人へと向け目を細めて小さく鳴いてみせたが、老人には猫が何を伝えたいのかが全く分からなかった。 |
2014/08/04 (月) 01:07 公開 |
作者メッセージ
書いた端から違和感を感じ、書けなくなったる状態を脱せたか。それを試す習作です。 お題をいただいたのですが、結局三つのうち一つを無視する結果になってしまいました。後悔はしていない。 お題は、『夜行バス』『缶コーヒー』『男と女』です。 |
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