食慾堂 |
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ヤマモト: 食欲の秋祭り参加作品 |
「食慾堂」という電飾看板の置かれたその店は、地下街の一番奥で、ひっそりと営まれていた。 ガラスケースに入れられたメニューの見本を見ると、和食も洋食も中華も入り混じっていて節操がないが、料理を食べさせる店であることには違いない。 私はそのように思い込んでいた。店の中に入るまでは。 客は一人もいない。カウンターと、テーブル席が4つ。二十人は優に入ることのできる広さを備えている。 内装におかしな所はなかったけれど、壁に貼られたパネルの上に何枚かの顔写真が並んでいるのが、ちょっと気になった。 それと、三人の男性店員たちの、態度。 仕事着も、頭の被り物も真っ白で、外見上は何の問題もないけれど、なぜか訝しげな表情で、私のことを見つめているのだ。 給仕の女が盆に載せた水を運んでくる。私はわけもなく急かされたような気分になり、その場で注文を出した。 「じゃあ、カツ丼もらおうかな」 店内に、私の声が虚しく響く。店員たちの反応は鈍い。年配の店員が私に言った。 「お客さん。違うんですよ。この店は、そういうんじゃないんだ」 と、そのとき、出入口のガラス戸が、ガラリという音を立てて開けられた。 「いらっしゃい!」 私の時とは違って、やけに店員たちの愛想が良い。 痩身の、一人の老人。杖をついている。そして、彼を支えるようにしながら、娘と思しき中年女性も一緒に入ってきた。 老人は、いちばん近くのテーブルに腰を下ろし、壁に貼られた顔写真を眺めた。そして、 「カツ丼大盛り」と注文を出した。 店員たちが「ヘイ」と声を張り上げる。 老人と店員たちとの遣り取りを目の当たりにした私は、これは一体どういうことだ、と心の中で呟いた。頭の芯が熱くなる。 怒鳴り付けてやろうかと、息を吸い込んだその瞬間、老人が再び言葉を発した。 「スギヤマちゃんは、いるかい」 「へい。おります」と店員。 「お客さん済みません。いま説明しますんで」と、年配の店員が私に言う。 この男が店長であろうか。 数分後、奥から体格の良い若者が姿を現し、スタスタと歩いてきて老人の向かいに腰を下ろした。そのあとに続いて、大盛りのカツ丼が運ばれてくる。 「あんたが一番だよ」 老人が目を細めて若者に話しかけた。「食べっぷりがね。それじゃあ、まず、味噌汁を一口やってくれ」 若者が、味噌汁を一口すする。老人が顔を寄せ、かぶりつく様にそれを凝視する。 「もっと音たてて。よし、じゃあ、次カツ丼だ。端からな、豪快に食べてくれ」 老人は涙を流していた。「もっと下品に。ガツガツとやってくれ。そう。その調子」 老人の隣に座っている中年女性も、目に薄らと涙を浮かべながら、若者がカツ丼を食べるのを眺めている。 「……お客さん。分かっていただけましたかね」 いつの間にか、店長と思しき年配の男が、私の隣に立っていた。 「表にも説明書きを貼ってたんですがね。この店はね、食べられない人が来る店なんです。その人たちに向かって、うちのスタッフたちが、代理で食べるんですよ」 私はただ呆然と男の説明を聞いていた。 「胃ロウって言葉、ご存知ですか。喉を患って、普通の食生活を送れない人に施す処置なんですが。ここにはそういう人たちが、たくさん来るんです。表の看板の字、ご覧になられましたか。食欲って、空腹が満たされれば、それで済むってもんじゃないんです。心の問題なんですよ」 私は、頭を下げてその店を退散するしかなかった。 そして、改めて、飲食店を物色し始める。 健常者として普通に食事ができる幸福と空腹感を、噛み締めながら。 |
2014/10/06 (月) 02:02 公開 2014/10/10 (金) 20:39 編集 |
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