ヤキニクデビュー |
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ミネルバトンサーガ: 食欲の秋祭り |
絶対食べられないというわけではないが、まぁ好き好んで肉を食べはしない。草食系男子だね、などと子供の頃からおちょくられた。その言葉が流行していて、本来の意味は女性にがつがつしないって事らしかった。言われりゃそれもその通りだし言わせておいた。中学高校と色気づいた同級生に彼女ができはじめても僕は興味なかった。高校では三年間図書委員をやった。最初の学期に任命されたが最後、キャラとして定着してしまったからだ。しかし、お陰で生まれて初めて一人の女子と日常的に会話する仲になった。同じ図書委員のアユミさんだ。毎日ほんの少しずつ雑談していくうちに彼女もベジタリアンだという事がわかった。成績は彼女のほうが数段上だったが、本の趣味も似ていたし、クラスでの立ち居地も男女差こそあれ同類のようだった。三年の秋。僕らは蔵書点検で遅くまで居残り作業をしていた。「結局、大学どうするの?」「僕はB大で確定かな」「そっか。私も」「え、なんで? アユミさんならA大でしょ」「えっと……そんな頑張ってもあれだしね」「そか」「うん」本を裏返してバーコードを確認、黙々と積み直してゆく。室内の蛍光灯が、どこか一本切れかけている。「大学に入ったら、彼女とか作るの?」「え? いやー、どうだろう」「彼女できるといいね」「う、うん。アユミさんもできるといいね」「……」 僕はサークルに入った。一年上には同じ高校出身の松坂先輩がいた。良く言えばリーダーシップを発揮したがる人だ。正直苦手ではあったが、僕も大学に入ったばかりで発奮していた。異なるタイプの人間との交流も積極的にしてゆくつもりだった。「彼女、できるといいね」アユミさんの言葉が頭に残っていた。そういえば彼女とは入学してから一度も会っていない。大学は新しい人間関係の坩堝だ。このまま疎遠になってしまうのかもしれない。新歓コンパは焼肉屋で行われた。僕は小皿の肴をつまんでお茶を濁していた。松坂先輩は僕や周囲の新入生に先輩風を吹かせて楽しんでいたが、暫くするとスマホを弄り出した。彼女を呼ぶと言っている。すぐ近くにいるらしい。この席で彼女を呼ぶという行動がどういう原理、いや衝動で行われるものなのか検討もつかない。しかしこの年季の入った焼肉屋の、白熱電球に照らされた内装にまでタレが染み込んでいるような空間では、いかにも似つかわしい行為に思えた。これが大学生か。と謎の納得をしかけた時、「アユこっちー」松坂先輩が大声を上げた。 アユミさんだった。化粧をしている。気付きもしない様子で僕を通り過ぎ、松坂先輩の隣へ座った。向こうのテーブルから冷やかす声が上がった。松坂先輩は振り向いて満更でもなさそうに「んだよもー」そしてテーブルに向き直る軌道上で、真横に向き合ったアユミさんの顔を覆うようにキスをした。アユミさんは抵抗しない。そのまま壁の方にアユミさんの上半身を傾かせた。僕の方からは、圧し掛かっている様にすら見える。二人の上半身は壁沿いの柱の陰に入り、座の中央からは一応隠れている体裁になったが、どこそこから「あららー」「またかよ」等と呟きが漏れた。僕は二人の行動を呆然と眺めていた。この新密度、もしかすると高校の頃から……だがそれがどうした、アユミさんは別に僕と付き合っていたわけではないんだ。しかし暑い。いや、熱い。気がつくとテーブルに上半身を乗り出していた。網が近い。僕は放置されている肉を黙々と裏返した。蔵書を点検する図書委員のように。「ん…」アユミさんから聞いた事のない音が漏れた。僕の動きは止まった。カルビから肉汁が垂れて、黒っぽい煙が鼻先にすーっと上ってきた。それは肺にゆっくりと吸い込まれ、体内の何かと混ざりはじめた。焦げつつあるカルビを網の脇に置こうとした、つもりだった。だが震える箸先が運んだ場所は口元だった。ひび割れた表面が眼前に拡大されたと思うや否や口の中に飛び込んだマグマの塊。内側から鼻腔の奥をダイレクトに燻してくる炭と脂の香ばしさ。カリカリの表面硬度が保たれたのはほんの一瞬にすぎず、歯が突き立てられると同時に、格納されていたとは到底思えない量の肉汁が吹き出した。世界が爆発的に濃度を増した。その柔らかさの絶妙に咀嚼を止めることは最早ベジタリアンの顎にも不可能で、ひと噛みごとに僕は口の中で溺れた。もう一枚、もう一枚と、肉を敷いては裏返す。アユミさんが顔をずらし無表情で此方を見ていた。その唇は濡れていた。僕の唇も脂に濡れて輝いている事だろう。カルビ、ロース、カルビ、タン……僕はアユミさんと見詰め合ったまま喰らい続ける。またキスをした。狂おしい炎が僕の肉を焼く。胃が締め付けられるようだ。生まれて初めて味わったような空腹感が襲う。もっとだ、もっとくれ! 身の毛もよだつ様な旨みを宿した肉片を。 |
2014/10/09 (木) 22:10 公開 |
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