僕の胸でおやすみ |
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ソルダード: 名曲祭り |
薄暗い部屋の赤茶けた色の壁や白い天井に回りだした照明のピンクや紫色の光が映える。 ドラムスのゆっくりとしたテンポの拍子とともに曲のイントロがはじまった。シンセサイザーの心地よい音色が聴こえてくる。曲はB,zの『BLOWIN’』だ。僕は膝の上に手を置き、その曲に合わせて指でリズムを刻んだ。やがてモニターの画面に歌詞があらわれる。しかしミチアキはそれには眼もくれず虚空を睨みつけ、左手を天高く突き上げながら金切り声で『BLOWIN’』を熱唱した。 シャボンの玉のようにきらめく照明の光は、赤や黄色、緑色やオレンジと様々に色を変え、時にはストロボになった。その光によって僕とミチアキの姿は一瞬浮かび上がり、マイクを持って仁王立ちしているミチアキは気高い者の、背中を丸めて腰かけている僕は軟弱者の、それぞれを代表する名もなき芸術家によるひとつの彫刻作品にでもなったような気がした。仮にその彫刻にタイトルをつけるとしたら「二人の寂しい男」とでもなったかも知れない。 曲が終わると僕は小さく拍手をした。それからこちらに向かって歩いてくるミチアキとハイタッチを交わした。僕はバラ色の硬いソファに座っていた。僕の隣に腰を下ろしたミチアキは顔に玉の汗を浮かべ、その汗が一筋だけ首筋を流れていた。 「相変わらず上手いな」 「いいよ、そんなお世辞は」そう言いながらミチアキは手で額の汗を拭った。 二人でカラオケにでも行かないか?そう誘ったのはミチアキだった。今日は今年一番の真夏日だった。暮れかけた陽がちぎれ雲やビルを茜色に染める夕暮れ時、暇を持て余していた僕は本屋で二時間ばかり立ち読みをした後、アパートへと帰る途中だった。そこで偶然ミチアキと出会った。しばらく疎遠にしていたので、久しぶりの再会となった。俺今暇なんだよ、お前もそうだろ?去年の今頃までみんなでよくつるんでたよな、俺とトオルは正直親友のようなものだった・・・、久しぶりにこれでも行くか?なあそうしよう、そう言ってミチアキは口元に握った右手をもっていき、マイクで歌う素振りをしてみせた。 昔から馴染みのあるカラオケボックスに向かって二人で歩いている途中、お前すごく肥ったよな、街で会った時、トオルのほうから声をかけてくれなかったら俺は相手が誰なのかわからなかったよ、そう言ってミチアキは苦笑した。僕はそれを聞きながらただ息をきらしていた。 僕たちはお互いに二十一歳で、同じ大学に通う三年生同士だった。僕は辞めてしまったので最近のことはわからないが、同じテニスサークルに所属していた。いわば仲間だった。そして僕はミチアキが指摘した通り、この一年で体重を約二十キロも増やしていた。だから少し歩くだけでも全身汗びっしょりとなり、すぐに息が切れてしまうのだ。 次に僕は宇多田ヒカルの『ディス・イズ・ラブ』を裏声で歌い、ミチアキの失笑を誘った。 それから僕たちはポテトチップスをつまみにウーロンハイで乾杯した。ミチアキはそれを一息で飲み干し、新たにレモンサワーを注文した。誰も歌う者がいなければ、当然部屋の中は静かだ。 「女っ気がないとカラオケも寂しいもんだな」そう言うとミチアキはソファの背凭れに身体を預け、煙草を吹かした。 「うん」 ミチアキはイイ男だ。鰓骨がやや張っているものの整った顔立ちをしていて、鼻筋は通っている。肩まである長い髪はディップで後ろに撫で付け、左耳には小さなシルバーリングのピアスをしている。おそらく鍛えているのだろう、細身ながら胸板は厚く、腕は筋肉で筋張っていた。白ヌキの文字で胸にJUST CHASE THE CANCE Arizonaと刻まれた赤いTシャツを着て、カモフラージュ柄のカーゴパンツを穿いていた。 「小説家を目指すとか何とか、そんな寝惚けたことまだ言っているのか?」 「まあそうだな」 「それでガッコーにも出てこないで部屋に引きこもっているわけだな」 僕は返事をせずに黙っていた。ミチアキに比べ僕はみすぼらしい格好をしていた。髪は手入れをしておらずボサボサのままで、無精髭を生やしている。アディダスの三本ラインの入った紺のジャージを穿き、上はヘインズのVネックの白いTシャツだった。まるで寝巻姿のようだ。 ミチアキがバンプ・オブ・チキンの『天体観測』を歌い、僕はオリジナル・ラブの『接吻』を歌った。次にミチアキはサカナクションの『ユリイカ』を歌った。ミチアキは部屋には二人しかいないにもかかわらず、歌い終わると必ず僕の隣に来てソファに腰を下ろした。ミチアキが上から下へと僕を眺め回す。 「トオル、やっぱり最近肥り過ぎなんじゃないか」 「そうかな」そう返答したものの、確かに僕は肥っていた。 「ろくに鏡も見てないだろ。だって二年の夏頃まですごく痩せてたじゃん。テニスをやらせても俊敏で、サークル内でも一番上手だったし」 「まあ、あの頃から比べると二十キロぐらいは肥ったかも」僕は顎の下の弛んだ肉をつまみながら言った。 「そうだろ、だからサナエちゃんだってそりゃ言うわけだよ・・・おっと」 「何を?」僕は顔色を変え、ミチアキを問いただした。サナエというのは僕の彼女のことだ。 ミチアキは神妙な顔つきで前屈みになり、僕に顔を近付けると、股の間で手を組んだ。 「お前さ、サナエちゃんと別れたんだろ?」 「はあ?何言ってんだよ、そんなことないよ」僕は思わずカッとなり語気を強め、ミチアキのほうへと顔を向けた。 「だってユリコが言ってたぜ、もうトオル君とは会わないんだとさ、サナエちゃん。違うの?」 ユリちゃんは僕たちの一コ下でミチアキの彼女であり、サナエの親友でもあった。 「そう言えば一ヶ月前に僕の部屋でサナエの誕生日のお祝いをしてからサナエとは顔も会わせていないし、連絡もとれていない」と僕は困惑して言った。 「だろ?」そう言うとミチアキはレモンサワーで喉を潤した。 「トオルさ、お前サナエちゃんの誕生日に俺からのプレゼントだとか言って、フォークソングの弾き語りを披露したそうじゃん」 「ああ、それがどうした」そうなのだ、僕はサナエの誕生日を祝うそのためだけにアコースティック・ギターを購入し、一曲弾き語りをサナエに聴かせてみせたのだ。 「なんでもそれが別れる決定的な理由になったらしいよ」ミチアキよ、僕はまだサナエとは別れていないのだが。 「で、なんて曲だったの?」 僕は黙ったままミチアキを睨みつけた。 「わからないな、わからないよ。どうしてそれが別れる原因になるんだろう」 「聞きたいか?」 「ああ、ぜひ聞かせてくれよ」 「じゃあ覚悟して聞けよ。お前が満足気に一曲ぶった後、それを聴いていたサナエちゃんがどんな感想をもったのか知りたいか?」 「いや、サナエは嬉しい、そう言って拍手してくれたけど・・・」 「いやいや、彼女のほんとの気持ちさ」 「なんだよ、ほんとの気持ちって」 「知りたいか?」 「ああ知りたいね」 「鳥肌が立って、キモオタのデブ死ね、って思ったんだとさ」そう言ってミチアキは笑った。 僕は絶句した。キモオタノデブシネ、なにかの呪文のように聞こえた。 「なんの曲を弾いたんだよ」ミチアキはしつこい。 「今から聴かせてやるよ」僕はそう言うとカラオケ入力用のタブレットをとり、タッチペンを握った。曲はかぐや姫の『僕の胸でおやすみ』だ。立ち上がり、モニターの前へと歩く。 僕の笑顔の むこうにある悲しみは 僕のとどかないところにあるものなのか ふたりで歩いてきた道なのに なんてさびしい 古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ 曲の途中からしゃくりあげてしまい、声が出せなくなった。僕は泣いていた。もう一年以上もまえのことだった。サークル内のミックス・ダブルスのトーナメントで僕とサナエはペアを組んだ。僕たちはそれがきっかけで親しくなり、やがて付き合うようになったのだ。ぼんやりと自分がチャンピオンシップ・ポイントでサービスエースを決め、駆け寄ってくるサナエを抱きとめた時の姿が脳裡に浮かんだ。涙が両頬をぽろぽろと零れ落ちた。 「どうした?歌えよ」 ミチアキが火の付いていない煙草を口にくわえながら僕の隣に来てそっと肩を抱いてくれた。僕は肩を震わせ声にならない声をあげ、涙を流し続けた。 僕は必死に顔を上げ、続きを歌った。 ふたりで歩いてきた道なのに なんてさびしい 古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ 僕の胸でおやすみ 滲んだオレンジや紫色の光彩が視界に溢れ、その光が鮮やかに部屋中を満たしていた。 |
2014/10/23 (木) 08:32 公開 |
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