イケメンにチーズバーガーをぶつけると死ぬ(2015) |
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苗字名前: 行うかどうかを判断するかどうかを知るかどうかの話かどうか。 |
起きて半畳寝て一畳、缶詰の如き部屋は暗い。 まるで味気の無い味付け鰯に成り果て、夢も希望も無い俺は夢うつつのまま湿る布団から起き上がるなり日曜の朝に延髄蹴りを食らわしたつもりが壁に足を打った。 本当に辟易としている。こんな足の指の痛みにも、慰めにもならない僅かな休日にも。それらに誤魔化される自身にも。 それになんだか、脳味噌の方向からシュールストレミングの臭いがする。うんざりだ。 その日、俺は近所のハンバーガー屋に向かった。 洋風肉挟みパンの類など滅多に食わない俺は、店に足を踏み入れるなり、爽やかで騒がしい音楽に怯んだ。 暖色の制服に清潔なエプロンを引っ掛けた張り付き笑顔の奴さん、開口一番「店内でお召し上がりですか?」と問う。言うに事欠いてこれだ。 前言を直訳すれば(お前みたいなドブ臭い下種がこのハイセンスな店内で犬食いしてると美的景観を損ねるから買うもん買ったらさっさと荒屋に帰れクズ)となる。明らかに。 言いたい事は痛いほど分かる。 勿論、俺だって自分が公の場に相応しくない醜い蛆虫という自覚は位はあるし、恥や外聞や理性の欠片くらいは残っている。分相応に野良で食うつもりだった。いいえ。 間髪入れず俺は「チーズバーガー」と一言付け加える。そこへ奴さん半笑いで言葉を被せて清涼飲料や揚げた芋なんかを勧めてくる。 他人様の食生活に干渉してまで売り上げを伸ばしてえのかこの社畜め、と口には出さず、口に合いもしない身の丈に合いもしない「ポテトとジンジャエール」をまんまと追加注文した。 人間と会話したのは何日振りだろう。 暫しの後、渡された紙袋は、右手に温かく、左手に冷たい。 ―――先週の日曜日の事だ。 総合家電量販店の個室トイレに入って屁を捻り出していた俺は、蛍光ピンクのチョークでドアに大きく書かれた”それ”に度肝を抜かれた。 《イケメンにチーズバーガーをぶつけると死ぬ》 全く意味が分からない。 ただ、その呪詛めいた断言が、全く無根拠な為に却って凄まじい説得力を帯びて、抜かれた度肝が床でのたうち回っている間に、トイレットペーパーが彫刻刀となって俺の頭骸骨内側にその言葉を透かし彫りした。 そして劣化した蛍光灯の点滅が透かし彫りの隙間から忍び入り、コールタールの浴槽に浮かぶ脳味噌に低温熱傷でその言葉を刻んだ。 俺の糞尿同然の自意識が一般人の青春や幸福といった光明に晒される度に腹の底で熱暴走していた胆臓へ、火傷のような二十文字の弔辞を与えられた気がした。――― 本当かどうか、試したくてみたくて堪らなかった。 だが、チーズバーガーを手に入れ、いざ実行出来る体勢が整うと、はたと思い止まった。 公衆電話の上からドバトが言った(怖気付いたか馬鹿者よ)いいえ。 その不特定なイケメンとやらには、何の縁も恨みも無い。 通りすがりの該当者に実験の協力を仰ぐ事も出来るが、もしも万が一、相手方を死なせてしまったら取り返しが付かない。 俺は殺人者になりたい訳ではない。事の真偽を確かめたいだけだ。 しかし、死を勧めるに値する知人も憎悪する個人も居ないからには、手近な他人で試す事が出来ない。 ここは(古今の開拓的科学者達がしばしばそうしたように)自らを実験体とする他に術は無い。 近所の公園に着き、脚部が太いスプリングになっている遊具の青い馬に跨った。 何故青い馬かと聞かれればなけなしの俺の騎士然とした決意の表れであるとしか言い様が無い。 紙袋からチーズバーガーを取り出し、柑橘類の皮を剥く要領で洒落た包み紙を開いた。 食欲をそそる匂いカタチ温度のソレを、空中へ向けて低く放った。 頭上を見上げながら、空に跳ねっ返るソレの落下地点に照準を合わせて首を体を傾けた。 唸る青い馬。 息を飲んだ。 目を瞑った。 頭に感触。 軽く鈍い音。 どうなったか。 息を吸った。 目を開ける。 地面には二つに割れたパンが転がり、チーズのついたハンバーグが砂まみれになっていた。 何よりも、まだ俺は生きていた。 この結果から、いくつかの可能性が考えられる。 仮説「イケメンにチーズバーガーをぶつけると死ぬ」はイケメンをx、チーズバーガーをy、ぶつけるをa、死をzとすれば「x∧a(y)→z」となり、まず「俺が《イケメン》という条件に該当しなかった(^x)」か(これは当然の大前提だが)、あるいは「この《チーズバーガー》とは違う《チーズバーガー》でなければならなかった(^y)」か、「ぶつけ方がまずかったか(^a)」そもそも「《イケメン》は《チーズバーガー》が当たっても死なない(^z)」か、様々な反証が頭蓋骨内部のコールタールに浮き沈みした。 ただ一つ、確実に立証されたのは「俺にチーズバーガーをぶつけても死なない」という事実だ。 本当にどうでもいい。一体昼間から何をしているんだ。青い馬を嗾けて、前後に揺れてみた。何も進まないし、何も起こらない。 その言葉を口に出してみた。 「イケメンにチーズバーガーをぶつけると死ぬ」 非道く悲しくなって、俺は泣いた。 汚れたパンとチーズハンバーグを拾い、雑に整形して紙袋に戻した。 その地面に蹲った姿勢のまま、昆虫の羽を抱えて歩く蟻を目で追っていた。 蟻の抱える羽に太陽光線が反射して、色相を揺らせて輝いた。 俺の湾曲した背中に、生け垣の中から顔出したドバトが言った(思い知ったか馬鹿者め)はい。 近くのベンチに腰掛け、パンを千切って放り投げると、何処からともなく鳩や雀が飛来し、掠め取っていく。 季節は木々の色を吸い上げては冷たい風を吐いている。 どんなに有り得ない事だと思っても、たとえ誰かに笑われても、何と言われても、 こうして一つずつ着実に確証を得ていくしかない、誤魔化しの利かない現実に俺は味を占めた。 |
2015/01/04 (日) 06:55 公開 |
作者メッセージ
5年前に描いたショートショートの書き直し。 |
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