モトカノの腹が膨らんだ |
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元カレ元カノ祭参加作品 |
夕暮れ、散歩に出る。 木の芽時をすぎた街はすっかり風趣ををあらたにした。 躯をしんなりとさわがせる風が湿りを帯びて、決めごとのように訪れる長雨が家々を舐めまわす日もすぐの予感がある。 オレは雨が嫌いだ。 理由なんかない。とにかく生理的にイヤなのだ。 東京の閑静な一等地に建てた犬小屋から一歩も出られない生活が続くと、ほんとまいる。 散歩好きのオレにはレインコートで身をくるみ、いつまでも止まない雨滴の音を耳にするのは末期がんのステージ4にいるより辛い。なにしろ視野が制限され、狭い通りを奔る立派な車が視界から外れ、飛び退くことも暫しだ。無謀なドライバーに心象を悪くし、猛然と吠えたところで、その行為は徒労というものだ。何の経済効果も生み出さない。 連れが、そんなオレの心情を袖に、垣根から覗く花に心を奪われ、ため息を吐く。 「いいわよね、あじさい。子どもがアレルギーじゃなかったら、庭をウスムラサキ色で染め上げるんだけど」 狭い庭を窮屈にしてどうする。郊外に行けば、あじさいだろうが、大根だろうが植え放題だ。息子だって、いきいき瞳を輝かすんじゃないか。 そう、オレは悪たれを吐いてやりたがったが、とにかくこの女は見栄っ張りで、散歩のときも隙を見せない。出かける態勢のオレをいつまでも玄関で待たせる。 ほら、前から二丁目角の邸宅に住む女が姿を見せた。 この時間、避けているはずなのに、先方に何か都合があったのか、いきなりのはち合わせだ。嫌な予感にオレは意味もなく塀を見上げた。 眼前から迫るミセスと小学校の集会でバトルがあった。ささいな息子のトラブルを、くどくど散歩のたびに聞かされて、うんざりだった。 この通りに脇道はない。さあ、どうする。 ちょっとばかりワクワク感がアタマを持ち上げたとき、オレは愕然となった。 視線を逃していた塀の上。お立ち台に似たバルコニーに。あの女がいる。アバンチュールの相手だ。出会い系サイトではなく、出会ってすぐに恋に堕ちた。オレにはそんな性癖がある。これぞ、と感じた女は徹底的に言葉攻めでモノにする。 ひとり公園でたたずむ女を上手く誘うスキルをオレは長年費やしてモノにしていた。そのテクニックをムック本として上梓すれば、べストセラーは揺るがない。 女を喜ばせるのに言葉はいらない。ただ、献身的に裸身を舐めまわすことだけ。これで、深い愛情を勝ち得ることができる。 オレが背後から犯すのに、激しく見悶えたモトカノだ。 この家の娘だったのか。 焦ったオレは電柱の陰に姿を隠す。幸いにも連れは眼前から迫りくる天敵に意識を奪われている。 ここで、オレは衝撃的な事実を知った。モトカノの腹が膨れている。これは、明らかに身ごもっているのではないか。 誰の子を腹におさめたのか。 焦った。 落ち着け、オレ。 冷静に考えろ。 あの娘と激しく燃えた日からいく日も過ぎている。オレたちは自然消滅的にその関係を終えたはず。 ならば、オレの種ではない。このことは歴然たる事実ではないのか。 ここで、モトカノの門扉の奥から声がかかる。 「あら、ケンイチロークンのお母さん」 庭を手入れしていた主婦が連れに気づいた。連れはというと眼前から迫りくる獣をどうやり過ごそうかと思案のなか。ためらいもなく、門をくぐった。 「まあ、きれいなあじさい」 「もうすぐ美しい色あいに染まるのよ」 門の外を巨大な獣が尻を振り振り、過ぎ去る。オレは顔を上に向けた。そこにモトカノの姿はない。 「そう、そう。ウチのモモちゃんがおめでたなの」 「あら、それは、それは……奥さまもたいへんですわね」 「そうでもないのよ。もう、ブリーダーの仕事が愉しくて」 オレはワン、と歓喜した。 |
2015/05/01 (金) 19:28 公開 |
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