あるときはそんなことも言った。 |
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月子祭り参加作品 |
砂漠にいた。昼と夜とが目まぐるしく行き交い朦朧とした意識の中で、俺は横たわっていた。体中の水分が砂に吸い込まれていくのを止めることが出来ない。与えられた一本のペットボトルはとっくに空になっていた。痛い。暑さと乾きが極限に達すると肉体は痛み、やがて寒気とともに痙攣が始まる。痙攣というと女を思い出す。コルトレーンのサックスを聞きながら俺は、いや、俺たちは女の中へ代わる代わる射精していた。俺たちにとっては遊びにすぎなかった。街でナンパした大学生をバーに連れ込んでスピリタス入りのグラスホッパーを飲ませれば、三十分も経たないうちに女は正体なく眠ってしまう。バーテンダーも仲間だった。時折スピリタスの配合を間違えると、女は白目をむいて体を痙攣させた。こうすると、締りがよくなるんですよ。頬のこけたバーテンダーは言った。酒よりも葉っぱの方が好きな男だった。配合を間違えるのは決まって黒髪の清楚な顔立ちの女のときで、要するにそれはバーテンダーの好みだったのだ。一九六ニ年録音の「バラード」が、そんなときには、必ず店内を満たしていた。あの男も哀しかったに違いない。 砂漠である必要がないと俺は気がついた。言葉の通じない髭面の男たちに放り出されてから、少なくとも月はふた回りしたはずだ。たとえここが新宿の路上でも、学生時代を過ごした六畳間でも、女に貢がせた西麻布のワンルームでも、大した違いはない。欲するときに水や食物を体に入れることができないという点を除いて、体を横たえる空間は、結局どこだって大差はないのだ。死に場所も。人が死を経験できるのはたった一回だけ、どんな大富豪でも、どんな偉人でも。いかに清廉潔白に生きても、いかに救いようのないクソな生き方をしても、その点だけは平等だ。当たり前のことだが、今更ながらに俺はその事実に感動を覚えた。泣いた。乾ききった体のどこにそれだけの水分が残っていたのか不思議なほど、涙は流れ続けた。 日中、入念に砂を熱し続けていた陽がようやく沈む。恐らく俺にとって最後の一日が終わろうとしている。空腹は去った。痛みもない。細胞の大部分は既に死んで再生する見込みはない。最後に残ったのは視覚と聴覚だけだった。俺は一発逆転を狙った賭けに負けた。女を裏切った。自業自得といえばそれまでだ。女を裏切った。最後まで残っていたあの肉体、いや、精神なのか? 今となっては確かめようのない一つの感情を俺は裏切った。スピリタス入りのグラスホッパーを飲もうとした月子の手を握り、俺はバーを出た。仲間たちが俺を睨んだ。構わない、俺は女を救いたかっただけだ。肉を焼く煙とネオン、クラクションが渦巻く街を俺たちは舞って、溶けた。 無数の星が天を覆って、月の光が砂を覆う。 目の前に女が立っていた。 「月子か」 女は微笑む。 「やっと俺もお前の元へいけるよ。信じていた。最後に俺に安楽を与えてくれるのはお前だ」 女は俺の耳元で囁いた。 「シーユーアゲーン、なにもあげーん」 |
2015/06/12 (金) 00:00 公開 2015/06/12 (金) 00:28 編集 |
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