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テレクラと2ちゃんねる
ブルーアイリス
昔、1992年ころだったが、デザイン事務所を辞めて、ぶらぶらしているときに大宮のテレクラやツーショットカードにハマッた記憶がある。まともな恋愛をしたことの無かった私は、出会いを求めて、テレクラ試したことがあった。結果は、大仏様のような顔をした女子高生と、今は無い春日部文化劇場でクレヨンしんちゃんの映画を見ただけで終わったが。
その当時テレクラがブームで春日部・一ノ割駅前でも地元のテレクラがティッシュを配っていたのを思い出す。
そして1995年、ウィンドウズ95の発売と共にインターネットが台頭し、IT革命が叫ばれる中、自分も新しいコミュニケーションの手段としてWEBチャットに傾倒していった。その頃になるとテレクラやツーショットカードの存在は忘れていた。
ネットで出会い系サイトがボチボチ出てきたのが1998年くらいだろうか、自分はその頃はAOLを始めて、AOLは最高の出会い系サイトだったと思う。女性の質がよくて、皆ホイホイ会ってくれるから、原宿やら柏やら、思ったとおりに、甘いデートの記憶がある。
1999年、2ちゃんねるが創設されるが、自分はほとんど興味が無かった。ネットのアングラから沸き起こり、内容はひどいものだったので、自分は読むだけ読むが、決して書き込みはしない、このコミュニティには参加しない、と決めていた。この決心は2010年頃まで続く。
2012年、AOLのチャットは無くなり、2ちゃんねるも大分ユーザーを減らしているようだが、自分が出入りしている創作文芸板は、公募落選組の熱気みたいなものがちらほら感じられるが、目だった論争には参加しない方針なのは事実だ。
電車男で、一時期盛り返したようだけれど、大規模規制や、ソーシャルメディアの台頭で、2ちゃんねるはその役目を終えようとしている。
12年間変わらないインターフェースで、工夫があるとしたら、規制の仕方が巧妙になったことくらいで、参加している人間の匿名が故の口の悪さは変わらない。
携帯電話は持っている。通話も良くする、しかし、携帯のメールを使ったことが無いという人間は結構いる。メールの確実さや、利便性を知らない、知ろうとも思わない人間っていうのは、自分の世代から上では結構いる。中学の同級生でもそういう人間がいるのだけれど、携帯メールが使えないのだから、年末の忘年会の案内を送るのが困難になっている。
テレクラ、2ちゃんねる、とたまに検証すると、コミュニケーション・メディアの変遷ということについて、考えることがある。テレクラは、春日部の駅前にリンリンハウスというのがまだある。テレクラの進化系として、花太郎や宝島のように、個室ビデオという形で進化を遂げた商売というものもある。そこでは個室で、エロDVDを見ながら、これまた死滅したと思っていた、ツーショットカードを販売し、そこでコミュニケーションをとる、そういう形態に進化している。
ツーショットカードは、昔は自動販売機で売っていたけど、今はテレクラや古書店などで売られている。一昨年試したが、まだ若い女性がアクセスしているのは驚いた。まだ、電話でコミュニケーションをとる、行動様式の古い人間像が見て取れる。もっともアポイントメントは取れないけれど。もう40歳過ぎちゃうと、年齢で弾かれるので、自分は、もう無理だと、実感している。
その変遷を2ちゃんねるに重ね合わせる。匿名でないと発言できない、あるいは2ちゃんねるのWEBインターフェースの中でのみ生きがよくなるネットユーザーは、だからテレクラにアクセスする30代女性や、携帯メールを使おうとしない40代以上男性と、ネットの土俵の上で等しいのではないかと、思うようになった。
ソーシャルメディアの、MIXIやツィッターやフェースブックなどの、記名の確実さを実感できずに、居ることは、携帯メールを使わないことと同義ではないかと思う。
今、2ちゃんねるにはほとんど参加していないが、話の通じる人はきわめて少数ながら、ツィッターのようにテキストを流す程度のアクセスにしている。
ネットに対する感受性が違うので、匿名言いっぱなしのネチズンには興味が湧かない。ましてや記名で発言するだろう、作家志望なんて人種で匿名でクダ巻いているヒュミントには自分はコミットしないと思う。
今後2ちゃんねるはだから、携帯電話を通話にしか使えない人種と同様、匿名のもどかしさを抱えながら、次第にネット感性の出遅れた人たちだけが残る。パソコンの時代になってもワープロを捨てきれなかった作家や事務職のように。携帯電話は持っていても携帯のメールが使えない人達のように。
自分はフェースブックやツィッターをもう一回見直して、もっと、しっかりしたソーシャル・ネットワークを築いて行きたいと思うようになっている。
時代は記名個人のネットワーク形成だと思う。もっともツィッターは匿名度が高いし、フェースブックも例えば創作文芸のキーワードで人を探すのは難しいのだけれど、2ちゃんねるの虚しさよりはマシだと思っている。
2015/08/11 (火) 18:50 公開
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感想・批評
オレは同時代の人間だから、よく解る。
的はずれなもんか、これはリアルだね。
オレなんかもAOLには常連してた。
2ちゃん?今も好きになれないね。
オレはnori103だが、あんただれ?w、と作者に投げかける。
この作品のリアル性をオレが担保するとともに、名前晒し顔晒しのAOL的コミュニケーションが、
東京にいる一介の凡人、ちっぽけな無視されがちなオレの、僅かな自己主張の場が存在した事をこの作者は証明してくれようとしているんだね。
自身を考察しきれてない?
いや、そりゃあんたがその時代、場所に居合わせられなかった、それだけの事でしかないよ。

さきの人が言うように、少しよみづらい箇所があるから8点。

nori103@aol.com

2:西村典弘 <EFuQnhoR>
2016/05/28 (土) 11:02
好感 8点
時々、日本語の不自由(誤字脱字程度のものですが)なところがあります。

たとえば、
>原宿やら柏やら、思ったとおりに、甘いデートの記憶がある。
>今後2ちゃんねるはだから、携帯電話を通話にしか使えない人種と同様、匿名のもどかしさを抱えながら、次第にネット感性の出遅れた人たちだけが残る。
こうした文章です。

さて、肝心の内容ですが。
回顧するエッセイとテレクラを交えたネットの比較が書かれていて、作者さんがどのように考察しているかは理解できました。
只、異性との会話、デートやセックスを目的としているテレクラ。
憂さ晴らし、真面目な語り、おちゃらけ、煽り、炎上宣伝等々、各人の参加目的がバラバラな2ちゃん。
比較するなら、こうした違いを明示して始めないと、同じ土俵には上がらないと思いました。

それと、これは個人的な感覚ですが。
テレクラに近いのは、むしろ、MIXIやツィッター、フェースブックではないかと。
ですから、作者さんがテレクラにはまっていたのなら、MIXIやツィッター、フェースブックで人とつながりたい。
と考えるのは自然だと思います。
2ちゃんで(特に名無しとの)出会いを求めるのは、なかなか難しいかと。たぶん、大方の名無しの書き込み人は、そんなものを求めていないでしょうし。その辺が、作者さんが2ちゃんを気に入らない原因の一つではなかろうかと推察しました。

そういうことで、書いてある内容は的外れで、おそらく作者さん自身も、自身を考察しきれていないのかな。と思いました。
1:</xrVLpNw>
2015/08/13 (木) 21:41

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