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なころも本堂
大場康弘: 官能小説に分類されると思うが、この手の匂いは薄い短編作品
「おい、わたしが今からおしっこするから見ててね」
 36回目だったこの瞬間をもはや鬼ばるごんに放棄という名のやるせなくなのだが、下は勃つ、男なのだから当たり前だが、立直にこういうことをやる彼女をおれはいいと思うが、人がねている時間に、しかも俺の家の門の前でやるのはやめて欲しかったが、人が来たら迅速に隠せるとこなどここのほかむずかしい。大体、先日おとうさんが朝食の時「黄色いスープのようなたまりが家の前にあったが、すくうとかいったら、まるで太宰治だな。わはははは」とかかげろうの気持ちでおれは「犬のしっこじゃない。やだね。適当な生物は」と言うと、母は「あら、犬のは白いんじゃない?」などというから、ぼくはいやになって受験の話などにまわして、事をはかった。
 まず、こういう下地を知らないで、音をたてながら、恍惚に照れてるのかかわいくみせたいのかわからないが、瞳をつむって、ちろちろする彼女は、まえに「この意味を知れ、わたしはお前の嫁になるために修業を積むためにお前の家のまえで痕をのこしているんだ。観念とは意味がわからなければとうりすぎていくだけのものだ。お前はそういう男じゃないと思うとる」
 いいけどさあ、まあほんとはほのかにSMにも手を出している二人だけど、なんで女ってほかの男がきらうような暴力性というとちょっと違っていて、どちらかというと摩訶不思議な性というほうが合っていて、性って知能の種類がいくつもあって、こういうのがあるのかな。やはり文化受容体である以上、数学式がいくつも生み出されるように、感じるソースもいくつか生み出されていって多用なプレイを形成しているのかな。
 だったら性の知能性から下性の数学力を鍛えていって社会人に合わせるのもありなのだろうか。そういう子供はどうなるんだろ。意外とその手の奥の士はふかいというし、性が浅はかになく深い子も女を大事にしそうで、いいと思うが、よっていく女の定数という名の絶望を身にもにしないといけないという意味で、社会という限界定数的意味そわかを知るのではないか。
 おれはゆかいに子などと考えたが、こんな女の子は、意外とこういう生き方に成長させたほうがDNAにもあってるのではないかと、別段背中が震えてきた。
 合格発表の日は雪の快晴で、こしのつよい音をたてながら、道をいった。
2018/01/23 (火) 11:12 公開
作者メッセージ
短編ばかりが癖になって、ひやといくんと同人誌だすとき、それだけの枚数かけるかなあ。
そのうち裁判ものとか出したら面白いかも。
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感想・批評
なあに短いの10個書けばそれなりの枚数になるよ。
1:ひやとい <ss1B3ckB>
2018/01/24 (水) 01:38

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