クソについての話 |
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蛙: クソ |
とうとう私の20代が終わろうとしている。 20代最後の1年について思い返してみると、憧れの漫画編集職に就いたはいいものの、メンターとあまりに合わず、もともと根性がないことが相まって、メンタルがあっさりやられ、半年で退職することになり、好きだった漫画を読むのも一時期はしんどくなり、自分がほとほと嫌になって、酒に溺れ、だけど周囲の人々はそんな私を見捨てるでも詰るでもなく優しく見守ってくれて、改めて感謝を抱いて……といったことを書いてみたのだが、つらいばかりなのでやめた。どれだけ言い訳を書き綴ったとしても、私が落伍したことは疑いようがない。 挫折経験は忘れるべきではないだろうが、忘れたくとも忘れられないし、それならばつとめて思い出す必要もあるまい。 なので、クソの話をする。 私は常に、鍵をかけ忘れた気がする、エアコンを消し忘れた気がする、トイレの電気を消し忘れた気がする、といった不安を抱えて生きている。そう言うと強迫神経症のようだが、実際に鍵はかけ忘れるしエアコンは消し忘れるし、トイレの電気に至っては消していることのほうが少ないので、どちらかというと痴呆に近い。洗濯機を回したのに洗濯物を干し忘れたり、カップ麺にお湯を入れたまま食い忘れたり、料理に使おうと溶いた卵を一日放置していたり、ゴミの日を忘れて家にゴミ袋が積み上がったりする。こういうのを天然というのではないか、もしかしたらかわいいやつなのではないか、と自己肯定につなげてみようとするのだが、「天然を自称する人間は天然ではない」という意見が現代日本で幅をきかせているので、はたから見れば脳のネジが何本か抜けた養殖ブスにすぎないのだろう。 だが鍵をかけ忘れようがエアコンを消し忘れようがまあいいのだ。仕事や重要な事柄においてはメモを取るなり手帳に記すなりして忘れないように努めている、ときどき書いたことも忘れるがまあともかく、基本的に人に迷惑をかけさえしなければいいのだ。人に迷惑をかけさえしなければ。 何が言いたいかというと、クソの話である。 メンタルをやられ半年で職を投げ捨てた私は、改めて1ヶ月就職活動に勤しみ、なんとか新たな職を見つけた。再びまったくの未経験の仕事ではあったが、好きなものに携われる仕事で(前職もそうだったが)、会社も小規模ながら悪い雰囲気ではないように思え、そして何より無職生活で堕落し労働に飢えてしまうくらいに病んでいたので、安心感は大きかった。 転職して4ヶ月になるが、今のところ煩わしい人間関係もなく、際だって嫌な同僚もいない。なんとか仕事もできている。社員10人程度の小ぢんまりとした会社だが、人付き合いは得意ではないので、それほど気を遣わずに済むのはありがたい。だが、小さな会社には、小さな会社なりの大きな問題があった。 誰がトイレに行ったのか、すぐわかるのだ。 別に頻尿というわけではない。サボるためにこまめにトイレに行きたいという話でもない。ただ、私がトイレを済ませた後に誰かがトイレに入ると、不安がもたげてくる。 私、トイレ終わったあと、ちゃんと流したっけ。 私は家の鍵をかけ忘れるしエアコンも消し忘れるしトイレの電気も消し忘れる。つまり(?)、トイレを流し忘れることもままある。 小ならまだいい。問題は大だ。さすがに家の便器にアレが残っていたときは、感情を殺し、レバーをひねって証拠隠滅するくらいしかできなかったが、それでも家ならば己のメンタルがやられることを除けばなんの被害もないからどうでもいい。だが会社だとそうはいかない。男性社員5人のうち営業部が3人なので、内勤の男は私と社長の2人のみだ。私の後にトイレに入る可能性が一番高いのは社長なのだ。 私が社長だったら、トイレを流し忘れる人間には給料を払いたくない。 一方で、若手社員がトイレを流し忘れていたとして、「君、トイレを流し忘れていたよ、次からは気をつけようね」という注意もなかなかできないだろう。相手は幼児ではなく、30を前にした社会人なのだ。 つまり、私自身に知らされぬまま、「あいつはトイレを流さない人間だ」と思われている可能性があるのだ。 陰で「あいつはトイレを流さない」というレッテルを貼られているかもしれない、という不安が常に拭えない。 もちろん、いつも流そうと意識はしている、はずだ。家はともかく、外出先では常に絶対の緊張感を持ってトイレに入るようにしている。見ず知らずの人間に不快感を与えるわけにはいかない、というくらいの社会性はある。だから、会社でも流しているはずだ。ただ、流したかどうかをはっきり覚えていない。トイレを流すという行為に脳のメモリを割くことができない。だからひどく不安なのだ。社長がトイレへ向かうたび、息が苦しくなる。大丈夫、私は流したはずだ、と呼吸を落ち着かせようとする。 「はずだ」。いつも「はずだ」だ。「流した」とどうして言い切れないのか。どうして自信を持って、私はトイレを流したんだと、私は汚物を便器に残すような人間ではないと言い切れないのか! 言うまでもない。私が家の鍵をかけ忘れるような人間だからだ。3ヶ月に1回は傘を無くし、2週間に1回は財布を忘れ、1日に1回はトイレの電気を消し忘れる人間だからだ。毎回反省したような振りをしながら、同じ失敗を何度も繰り返す、学習能力のない人間だからだ。 そして、憧れの仕事を半年で辞めてしまうような人間だからだ。自分を信じることが、どうしてもできないのだ。 自己肯定感が低くても許されるのは若いうちだけだ。20代ならばトイレを流し忘れても許されるだろう(許されるはずだ)。「私、トイレを流し忘れちゃうんだよね、本当にダメだよね」と言っても「そんなことないよ! トイレを流し忘れるって自覚できてるだけ偉いよ!」と返してくれる人がいるだろう(いるはずだ)。だが、年を取るとそうもいかなくなる。 だから、30代の目標は、自信を持って「私はトイレを流した」と言い切れる人間になる、にしようと思う。 そう、私はそこから始めなければならないのだ。 この30年間、一体何をしてきたんだ。 2018年11月27日 職場にて |
2018/11/27 (火) 00:54 公開 2018/11/27 (火) 02:28 編集 |
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感想・批評 |
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もやもやと思い出すものって一回文章にしちゃうとぱったりと思い出さなくなっちゃうよね。おじさんだけかな。
てかお医者さんにかかったらどうかしら。 1:ひやとい <o8aABX.N> 2018/12/21 (金) 02:50 |