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リモートでコントロールされる
 四年前、引越し先として今の部屋を決めたとき、私はもうすべての妥協を済ませたつもりでいた。
 築年数がかなり経っていることも、ウォッシュレットや洗面台がないことも、風呂が少し狭いことも、ベランダの外が庭になっていて夏場には虫が入ってきそうなところも、家賃がすこし予算オーバーしていることも、まあ仕方がないことだ、と。理想の部屋を探していたらきりがないし、収納の広さはそれらの欠点を補って余りある魅力だった。充分いい部屋だ、と思ったのだ。引越しを済ませ、段ボールに囲まれた部屋で新居での生活への期待に胸ふくらませ、陽が落ちはじめたところで電気をつけようとしたとき、部屋に電気のスイッチがないことに気づくまでは。
 私にとって、電気のスイッチは当たり前に存在するもので、その有無に思い巡らせたことなど一度もなかったので、そこまで考えが至らなかったのだ。もちろん、不動産屋も電気のスイッチの有無になんて言及していなかった。まさか、まさか電気のスイッチがないはずがなかろう。にわかには信じられず、目覚めたら出口のない見知らぬ空間に幽閉されていた人のごとく、壁伝いに三周ほど部屋をさまよった。そうして、そのまさかに直面したらしいことを認め、膝から崩れ落ちた。
 新居での生活は、山積みの段ボールの中から電気のリモコンを探す旅から始まったのだった。

 ということで、我が家はリモコンなしでは電気をつけることができない。しかし電気のリモコンはいつも気まぐれで、すぐにどこかへ隠れてしまう。帰宅するたび、真っ暗な部屋のなか手探りでリモコンを探す毎日だった。決まった場所に置けばなくならないとわかっているのに、どうしてもその“決まった場所”を決められなかった。今日から“決まった場所”に置くんだ、ここを“決まった場所”にしよう、と朝に決意しリモコンの居場所を決め家を出た日も、帰宅したときにはもうどこが“決まった場所”だったのか忘れ、結局部屋中をひっくり返す始末だった。布団のなかでまどろんで、さて寝るかと電気を消したあとに、“決まった場所”とやらに戻すため布団から這い出るなんて芸当もできなかった。リモコンは結局ひとところに収まることなく、猫のように我が家を自由にうろつき、いつも私を困らせていた。

 そんな私の愚かさを見透かした恋人から、クリスマスプレゼントとしてスマートデバイス『Nature Remo Mini』をいただいた。
 これは赤外線式のリモコンを登録すればスマートフォンで操作できるリモコン代わりになるというもので、電気はもちろんエアコンやテレビまで外出先からでも操作できるようになる優れものだった。私は早速浮かれ気分で電気をスマートフォンに登録し、ついでにSiriとの連携も済ませた。「Hey Siri、電気つけて」の一言で電気がつく生活。子供のころ憧れていた未来が、ようやく私にも訪れた。そうして、私はリモコンを探す必要がなくなった。帰宅するたび、Siriに命令するだけで電気がつくことにいちいち感動し、本棚の上にきちんと置かれている電気のリモコンを見つめてほくそ笑んだ。もう私はおまえを探す必要がないんだよ、この役立たずが。文明の進化が私に勝利をもたらした、はずだった。しかし、心の隅になぜか小さな違和感があった。用済みとなったリモコンに申し訳なさを感じているのか、と考えてみたが、そこまで愛着を抱くものでもないし、そもそもリモコンとのかくれんぼバトルにはほとほとうんざりしていたのだ。ただスマートライフに慣れていないだけだろう、と思うことにした。しかし、二週間くらいそうして過ごして、帰宅後Siriが照らしてくれた部屋で、相変わらず、そう相変わらず本棚の上にきちんと置かれている電気のリモコンを見て、ようやく違和感の正体に気づいた。

 そうだ、物は、“決まった場所”に置いておけば、なくなるはずがないのだ。

 『Nature Remo Mini』を手に入れてから、電気のリモコンを手に取ることはなくなった。つまりリモコンは常に本棚の上という“決まった場所”から動かなくなり、あれほど私を困らせていた“決まった場所”問題が解決していたのだ。私にとって電気のリモコンはいつもどこにあるかわからなくなるもののはずで、だからこそ文明の力を借りて勝利をもぎとったのに、その結果リモコンが本棚の上という“決まった場所”を見つけてしまった。使わなくなったリモコンが、雑多な私の部屋のなか、ひとりだけ整然と“決まった場所”にいた。自分が用済みになったことなど、一切意に介していないように見えた。それはひどく不気味だった。そしてさらに恐ろしいことに、私はリモコンの“決まった場所”をもう覚えてしまっていたのだ。
 気づかなければよかった。気づいてしまったから、Siriに命令するたび、本棚の上にあるリモコンの姿を確認するようになってしまった。楽しかったはずのスマートライフに暗雲が立ちこめた。私は、「電気のリモコンが手に届く場所にあるとわかっているのに、あえてSiriに命令している人」になってしまったのだ。いかにも文明にあぐらをかいていて、AIが進化したら真っ先に殺されそうな人間だ。リモコンが私をあざ笑っているような気がした。だが、だからといってリモコンを使う生活には戻れない。リモコンを使うようになれば、私はまた“決まった場所”に置くことを忘れ、リモコンを探し続ける生活に逆戻りするだけだ。せっかく掴んだスマートライフを、おいそれと手放すわけにはいかなかった。
 だから、リモコンを押し入れにしまいこんだのは必然だった。リモコンさえなければ、私は純粋に文明の進歩を享受できるのだ。問題の棚上げならぬ押し入れ収納。勝利の喜びはなくなったが、敗北がないぶんまだましだと思うことにした。電気がつくたび本棚の上を確認する癖はなかなか抜けなかったが、とりあえず平穏が訪れた。もうリモコンのことは忘れることにした。目につくことはないのだから、忘れられるはずだった。

 それから一週間ほどした日のことだった。帰宅後にいつも通り「Siri、電気つけて」と命令したところ、「わかりました」と聞き慣れた無感情な返事が返ってきた。しかし、部屋は暗闇のままだった。何度か同じように命令し、Siriもそのたび快諾の返事を返してくるものの、電気がつくことはなかった。もしやと思い『Nature Remo Mini』を確認すると、エラーを知らせる赤ランプが点滅していた。Wifiの接続が不安定だったようだ。必死で再設定を試みたが、暗闇の中ではうまくいかなかった。とりあえず電気をつけなければ。しかし、電気のリモコンはもちろん“決まった場所”にはいなかった。ガラクタの巣窟と呼ぶにふさわしき押し入れの中に、私が追いやったのだ。
 もちろん、押し入れのどこに入れたのかなんて、覚えているはずがなかった。
 台所から漏れ出るわずかな光の中、押し入れを手探りで漁った。必死の形相だった。そうしてようやくガラクタに紛れたリモコンを見つけ出し、スイッチを押して部屋が光に包まれたとき、私はたしかに安堵してしまった。リモコンが勝ち誇ったような顔をしているように見えた。――所詮、お前は俺なしでは生きられないんだよ。
 ああ、私は一生こいつに勝てない。そう気付いてしまった。

 今日もリモコンは本棚の上に鎮座している。帰宅してSiriに電気をつけてもらうたび、ついその姿に目がとらわれてしまう。そして毎日暗い敗北感に苛まれる。
 この使いもしない電気のリモコンこそが我が家の王なのだ。これからもずっと。

2019年12月27日ー2020年1月21日 自宅にて
2020/01/21 (火) 20:29 公開
2020/01/21 (火) 20:44 編集
作者メッセージ
何が書きたかったんだっけ。
この作品の著作権は作者にあります。無断転載は著作権法の違反となるのでお止め下さい。
 
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感想・批評
相変わらず上手いよな。なぜこの路線で外海へ出ようとしないのだお前は。
2:<U4lT3cjz>
2020/04/10 (金) 00:27
最高 10点
ちゃんと伏線張ってあるエッセイも珍しいというか。
いや小説なんだろうなあこれは。まあどっちでもいいけど。
1:ひやとい <YVSLGvZT>
2020/01/24 (金) 19:48
普通 6点

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