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ふたつの機上死
MOJO: 久しぶりに書いてみた。
 一

 確か、あれはノースウエスト航空の香港発、成田経由、ニューヨーク行便だったと記憶している。
 私は、成田からお客たちを連れ、その便に乗り込んだ。当時の私の職は、旅行代理店の添乗員である。
 バブル景気の頃で、機内は混雑していた。香港からの乗客がエコノミー席の半分以上を占め、我々の予約席にも、ひとり座っている。
「エクスキューズミー」
 私はボールディングパスを示し、慇懃にその席は我々の予約席であることを訴え、席を空けてもらう。
「:@¥〜〜$%」
 何を言っているのか判らないが、パリっとした身なりの爺さんは、快く席を立ってくれた。総勢約二十人、私の客たちが機内中央付近のスクリーンがよく見える席にひとかたまりになって座る。
 夕刻に成田を発ったボーイング747は、順調にフライトを続け、そのうち、機内食が配られはじめた。チキンとビーフが選べるのだが、ノースウエスト、エコノミークラスのそれらはあまり美味くない。当時はバブル景気で、エコノミークラスのシートでも、アルコールを含むドリンクサービスは無償だった。今度のお客は、皆、善良そうだ。添乗員が機内で酒を飲んでもクレームにはならないだろう。私はそう判断し、ジントニックを頼み、不味いチキンを肴に飲んでいた。
 我々の席に座っていた爺さんは、私の左側のシートに座っている。スコッチの水割りを片手に、皺しわの笑顔でしきりに私に話しかけてくる。左耳に障害がある私は、彼が何を言っているのか分からない。英語なのか、広東語なのかも判別がつかない。私は酔いにまかせ、なんとなく頷いたり愛想笑いを浮かべたりしながら、爺さんが
「こいつとは話しても無駄だ」
 と諦めるのを待っていた。
 日付変更線を越えた辺りで、爺さんは私に話しかけなくなった。と、爺さんの様子がおかしい。顔がみるみる土気色になり、何やら苦しそうだ。私はコールボタンを押し、 客室乗務員を呼んだ。
「アーユーOK?」
 金髪碧眼のスチュワーデスがしゃがみこみ、爺さんに話しかける。爺さんはますます苦しそうで、片手を胸に置き、もう一方の手は虚空を握ったり開いたりを繰り返している。
 そのうち、機内放送が流れ、乗客の中に医者がいるか、と訊いている。
 しばらくすると、カジュアルな服装の、中年紳士がスチュワーデスと共に爺さんの席に来る。おそらく彼が医者である。スチュワーデスと英語で話していたから、香港人なのだろう。その紳士が爺さんのケアをするが、爺さんはいよいよ苦しみだし、ついには動かなくなった。スチュワーデスに向かって首を横に振る紳士。スチュワーデスは顔色を変え、その場を離れた。機長やチーフパーサーに知らせに行ったのであろう。なんと、爺さんはノースウエストの機上で逝ってしまったのだ。
 私が爺さんの死を確信したのは、微かに屍臭が漂ってきたから。それは、子供の頃に飼っていた犬が死んだときの匂いに似ていた。 私は激しく動揺したが、連れてるお客の手前、変な態度は見せられない。ジントニック三杯のせいもあり、私は冷静を保つことができた。
 死んだ爺さんは、機内の何処かへ移される、と思っていたが、満席の機内に爺さんの居場所はないようだ。
「添乗員さん、なんだか嫌な匂いがするよ」
 お客のひとりが私に訴える。
「はあ、でも今はフライト中なので、私にはどうすることも出来ません」
 私はスチュワーデスに
「ヒーイズデッド」
 と言ってみた。
 すると、スチュワーデスは
「アイノウ」
 と言い、私には理解出来ない早口の英語でなにやらまくし立てた。
 結局、ニューヨークに着くまで、爺さんの死体は私の隣にあったのである。
 機体がニューヨークに着くやいなや、三人の白人男性が大掛かりな器械を曳いて爺さんの席に来た。電気ショックを与え、爺さんを蘇生させようとしたらしい。スイッチが入れられる度、爺さんの身体が座席から跳ね上がる。だが、爺さんが蘇生することはなかった。
 そういうことがあると、飛行機は大幅に遅延する。我々のノースウエスト便も、JFK空港に着陸したはいいが、なかなか機内から外に出ることが出来ない。しかし、それが幸いした。
 ニューヨークに着いたのは早朝だった。通常であれば、ホテルにチェックイン出来る時刻になるまで、時間を稼がなくてはならない。
映画『ワーキングガール』でお馴染みのスタテン島までフェリーボートに乗り、引き返してきたり、ジョン・レノン射殺で有名なダコタ・アパート付近をチャーターバスで流したり。
 今回は、フライト中に死人がでたので、飛行機が着陸してから、我々がチャーターバスに移るまで三、四時間はかかった。よって、スタテン島にもダコタ・アパートにも寄らずに、ホテルにチェックインすることが出来た。
 結果、添乗員は、楽をしたわけだが、死ぬ直前に、しきりに私に話しかけてきたあの爺さん。いったい何が言いたかったのだろう。

 二

 タイ国際航空、成田発、バンコク行のフライトは順調だった。
 今回のお客は、建材メーカーの代理店を営む小さな会社の社員たちで、総勢十二人のこのツアーは、彼らの慰安旅行である。
 不特定多数の者たちが集まるツアーと違い、こういうツアーは添乗員にとっては楽である。なぜなら、彼らのうちのボスさえマークをしておけば、大抵のことはスムーズに運ぶから。
 今回のボスは、この中小企業の社長で、壮年の、物分りの良さそうな男だった。
 しかし、フライトもあと僅か、四十分を残したあたりで、雲行きが怪しくなってきた。
乱気流に巻き込まれたわけではない。フライトはあくまで順調である。しかし、機内クルーの一人が、突然前方から走ってきて、最後尾のトイレの中に向かって何やら叫び始めたのである。
「お! 何が起こったんだ?」
 思う間もなく、五、六人のパーサーとスチュワーデスが、血相を変えて最後尾のトイレに向かって走ってゆく。
「ああ、これは何か重大な事が起きたぞ」
 私は確信した。そして「墜落」の二文字が頭をよぎった。
「添乗員さん、いったい何が起きたんですか?」
「この飛行機、何か問題が生じたんですか?」
 矢継ぎ早に質問してくるお客たち。
「いま、クルーに聴いてきます」
 私も焦りを隠せない。
 私は席を立ち、最後尾に向かう。
「どうしました?」
 私は、スチュワーデスのひとりに英語で話しかけた。
「ナッシング」
 スチュワーデスは応える。
 そのうち、白いカーテンのような布が持ち込まれ、クルーたちはその布でトイレの周りを隠してしまう。私は再度、何が起きたのか訊いてみる。
「大したことではないので、お席にお戻りください」
 スチュワーデスは言う。
 そうこうしているうちに、飛行機は無事、空港に着陸してしまった。
 しかし、それからが長かった。我々は、いつまで経っても機内から外に出ることが出来ないのだ。その理由もアナウンスされない。「墜落」の恐怖からは解放されたが、白い布の向こうで何が行われているのか、それが気になる。しかし情報はどこからも入ってこない。温厚そうな社長も苛々しているのが見て取れる。
 結局、我々がチャーターバスに辿り着いたのは、着陸から三時間以上経っていた。
 開口一番、現地ツアーガイドに何が起きたか訊いてみた。
「自殺がありました」
 ガイドは言う。
「麻薬の密売人が最後尾のトイレで手首を切ったんです」
「へー、そうだったのか。また死人がでたのか」
 
 こういう仕事をしていると、世界の各地でいろいろな目に遭う。だが人が死んだのは、このふたつの機上死だけである。

2013/11/23 (土) 22:50 公開
2013/11/24 (日) 22:26 編集
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感想・批評
>4
好意的な感想をどうも。
「無駄のない文章」はいつも心がけていることで、そこを評価してくれて嬉しいです。
ありがとうございました。
5:  <GJUEG4AJ>  2013/11/29 (金) 21:15
MOJO
無駄のない文章で、雑味なくスッと読んでいけるのが気持ちいいです。
僕の場合、癖が出てベタっとした文章になってしまうので正直、羨ましいです。

一の経験があった主人公が、二で「へー、そうだったのか。また死人がでたのか」と、死亡事件を軽く流す終わり方が、澄んだ文章の流れに合っていてよいです。

墜落での自身の死ではなく、誰か分からない麻薬の密売人が爺さんの死に続いて、人と人、そして人と死の距離感を上手く表現されているなと。

もう少し終わり方を工夫されれば、読後の余韻を高められたような気もしますが、そういうことをしようとするから、あざとくなって、雑味になってしまって、だから僕は駄目なのかな、とか思ったり…。いろいろ考えさせられる作品でした。
4:  最高 10点 <zWf23exl>  2013/11/29 (金) 07:01
上級読者
>1
感想をありがとう。
実際は、死人がでたことは、クルー以外は、爺さんの席の周りの数人しか知らなかったんだ。
おれが変に脚色して書いたからリアリティが希薄になってしまったかも。
ともあれ、的確な指摘をどうもでした。

>2
どうも。
お久しぶりのMOJOです。
おれも、ここ最近は、板に来るのは稀なんよ。
たまたま数日前にに来て、文芸部スレを見つけたから、お、アリの代わりができたじゃん、ってことで、WEB日記に書いた掌編を上げて見た。
杉井のことは知ってる。
きっと業の深い人なんだと思う。
3:  <gVhBgUJG>  2013/11/26 (火) 20:30
MOJO
MJの名前を見て懐かしくなって読んでみた。そうそう、こんな感じ、変わらんね、という印象。文芸板もいろんなのがいたけど、残ったのはあんただけかもな。杉井の件は知ってるだろ? せっかくプロになって何冊も本出してるのに、なんであんなことやってんだろ。
感想になってないって? すまんね、過去に浸りたくなったんだよ。
2:  <LUL8Fuda>  2013/11/26 (火) 03:56
けっこうな事件が起こってるわりに、すべてが無機質に流れていて不自然に思いました。
添乗員が冷静であれたとかは、いいとしても。密室な空間で死人が発生すれば、客にとって相当なインパクトでしょう。
おそらく、旅行地の印象よりも強烈なはずです。
(一応、会話文くらいはあるみたいですが)そのへんの描写がきっちりしていないため、嘘くさいストーリーになっているのだと思います。

>「へー、そうだったのか。また死人がでたのか」

しかし、まあ、この添乗員もすごいですけどね。
こんなとき、どんな行動をするだろう。とか、もうすこし想像した方がいいかと思います。
1:  <sdpr2/ny>  2013/11/25 (月) 22:14
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