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秋吉君: 食欲の秋祭り |
僕たちは、ひと月かふた月に一度出かけて、旬の物を食べた。旬の物を食べるのは、彼女の嗜好であった。僕が知っている女の中には、季節も時間もおかまいなしに、食事に誘うといつでも焼肉が食べたいと言う娘もいたが、彼女は違った。僕たちは梅雨明けのころ知り合い、手始めに鮎を食べた。七月には新子を食べに寿司屋へ行き、秋になると上海ガニを食べ、年の暮れには鳩のジビエを食べた。彼女が気に入ったので、ジビエを出すビストロへは、翌月も出かけてヤマウズラを食べた。 「私、食欲が素直なんですよ。旬の物を食べると体が悦ぶんです。野生の感性が働くみたいで」 彼女は幾代と名乗った。銀座のクラブでカクテルを作っていた。小柄だが顔立ちはすっきりしていて、年も若い。酒は幾らでも飲めるし話が楽しいから、ホステスとしても十分通用したはずだ。むしろ、そこらのホステスなんかよりも余程華のある女だった。僕は馴染みの娘よりも幾代が目当てでクラブへ通うようになった。 「素直な食欲なんて、そんな言葉はないよ」僕は言った。可笑しかった。 幾代とクラブの外で会うようになり、向き合って食事をしながら、寿司をつまむ指、カニの脚肉をしゃぶる唇の端、クリュッグが注がれたフルートグラスを傾け露わになった喉元、猪口に顔を近づけた時のうなじ。そういった彼女の部分を盗み見た。 僕が抱えているのは邪な食欲に違いなかった。ところが、食事が進み腹がふくれてくると、欲が散ってゆくのだった。僕も四十五歳を過ぎた。食事を終えると、僕たちは健全に別れた。そんなことを、一年以上も続けていた。 彼女と出会って二度目の夏が過ぎたころ、僕たちは護国寺の天ぷら屋へ出かけた。秋野菜と松茸が目当てだ。 「来月からリスボンに行くんですよ」幾代は言った。「半年か、一年か。気に入ったら一年以上住むかもしれません」 僕はその晩少し工夫をした。腹がふくれすぎないように、女将に言って僕の分の天ぷらを少なくしてもらったのだ。 「ファドってご存じ? ポルトガルの演歌みたいなものだけど。私、近所の教室でポルトガル語を習ってるんです。そこの先生が来月帰国するから、一緒についていって、向こうの学校でファドを習うんですよ」 店を出ると、風が冷たかった。女将のおかげで、腹には余裕があり、暫く会えないかもしれないという思いもあった。並んで歩きながら、僕は手をのばして幾代の指先を追ってみたが、彼女は自然な動きで手をよける。とうとう触れることも出来ず、僕たちはその晩も健全に別れた。別れるとき、旅費の足しにと十万円を幾代に渡した。 僕は神楽坂へ引き返し、バーの扉を開けた。 「いつ来ても客がいないね」 「ええ、そうですね」グラスを拭きながらバーテンダーが答えた。 僕はモヒートとコイーバを頼んだ。コンソメスープと自家製の干し肉が出てきた。 彼女は若い。肉体はこれから旬を迎える。幾代は、夜な夜なリスボンの居酒屋でファドを謳いながら、客からのチップでバカリャウの煮込みやタコの塩焼きを食べ、ワインを二瓶も三瓶も平気であけ、終いにはポルトかマデイラをやりながら甘ったるい焼菓子でもつまむに違いない。そんな空気が似合うと思った。似合いすぎていて、白々しい気持ちがする。もとより幾代なんて名前も出鱈目だろうし、ポルトガル語だって怪しいものだ。 彼女はもう、僕とは会わないつもりなのだと気がついた。食材に旬があるように、人との交わりにも時季というものがあるのだろう。素直な食欲は、野生の感性とやらで僕の指先をかわした。僕も四十五歳を過ぎたのだ。 「人も食い物も似たようなものだね」 「ええ、そうですね」 バーを出ると先刻よりも強い風が吹いてきた。誰にも背中を見られたくない、どうしてだか分からないが、そんなことを思った。旅行の話が本当だろうが嘘だろうが、どちらでも良い気分になった。ほどけそうな靴紐を固く結び直し、路地を曲がった。 |
2014/10/09 (木) 02:02 公開 |
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