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マジュヌーン 悪魔憑きの救命師
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セカイがぐにゃぐにゃしていてる。
ああ、これはきっと夢の中だな、と思っていたら、そこへ、『何か』が入って来た。

【やあ、はじめまして】

誰も来れない筈の夢の中に響く声。

【いきなりで悪いけど、すこし君の夢の中にお邪魔させてもらうよ。僕かい? 僕は|妖霊《ジン》あるいは悪魔、と呼ばれているモノだ】

悪魔は、早速だけど取引をしないか、と言った。

【得体のしれない悪魔とは取引したくないか? だけど、このままだと君は遠からず、死ぬ】

死ぬと言われても、実感がある様なないような。
最期にちゃんと目が覚めていたのはいつだっただろうか。

【君は『悪いもの』を惹き付けてしまう体質だ。僕と契約してくれれば、僕が君を『悪いもの』から守ろう】

悪魔の癖に、まるで物語の騎士様の様な事を言うヤツだ

【対価に魂をよこせ、なんて言うつもりはない。ただ、このまま君の中に僕を住まわせて欲しいだけだ。誓って、君や君の家族に危害を加える事はない】

こんなぐにゃぐにゃな夢の中に住みたいなんて、物好きが居たものだ。
勝手にすればいいんじゃないだろうか。どうせ、私には追い出すことも出来ない。

【僕の名はラーゼス。契約するのなら、君の名を教えてくれ】





アリスは、パチリと目を覚ました。

昨日まで、熱に浮かされていたのが嘘のようにすっきりしている。
そういえば、なんだか怖い夢を見た気がするが、よく覚えていない。

ふと横を見ると。アリスの横で母さんが突っ伏して寝てしまっていた。
寝込んで熱を出したあいだ、ずっとそばに居てくれたから、きっと疲れてしまったのだ。
とりあえず、被せてくれていた家じゅうの毛布を母さんにかけてあげて、体を起こす。
どうやら父さんは畑仕事に出かけたようだ。

立ち上がって、水瓶から水を一杯掬って、ごくりと飲む。

「身体が軽い。昨日まではあんなに重くて熱かったのに」

【君の中で暴れていた『悪いもの』は、僕が追い出したからだ】

アリスの独り言に答える声は、なんと頭の中から聞こえてきた。
アリスはきょろきょろと周りを見回すが、布団に突っ伏した母さん以外の人の姿はない。父さんは畑に行ってしまった筈だ。

「え?え?誰?」

アリスは訳が分からずに、声に向かって尋ねた。

【僕は、ラーゼス】

再び、答えが帰ってくきた。さっきと同じように、父さんの声より高くて、母さんの声よりも低い声が、頭の中から響く。
そして、そのラーゼスという名前には聞き覚えがあった。

「ラーゼス……きのう夢に出て来た、悪魔?」

【そうだ。その悪魔、ラーゼスだ】

まさかとは思いながら、恐る恐る尋ねた結果の返答は、やはり肯定。
恐ろしくなったアリスがうずくまって頭を抱える。

「あっち行って!!」

【僕が去れば、君はまた変なモノを呼び込むぞ】

「信用出来ないわ! 母さん言ってたもん。余所者のいう事を聞いちゃダメって」

【それはまあ、そうだな。だが、いきなり信用しなくてもいい。契約は既に結ばれている】

「契約?」

【僕が、君の中に居てもいい、という契約だ。夢の中で結ばせて貰った。なんとなくは覚えてるだろう?】

アリスは、徐々に夢の中でのやり取りを思い出した。
このままだと死ぬと言われて、契約すれば守ってやるから、名前を教えろ。
そう言われて、確かにアリスは自分の名前を教えてしまったのだ。

「そ、そんなのずるい」



「アリス?」

布団に突っ伏していた母さんが目をしばたせながら顔を上げた。
騒いでいたアリスの声で、母さんが目を覚ましたみたいだ。

「あ、母さん、おはよう」

「アリス!もう平気なの?熱は?」

母さんはがばりとアリスを抱き寄せて、額に手を当てて熱を確認した。

「ああ、もう平気ね!熱が下がってるわ」

母さんは、安堵のため息を吐いた。目には涙が浮かんでいる。
アリスは少し迷ったが、悪魔に憑りつかれちゃった、とはなかなか言い出せず、喜ぶ母さんに頷くことしかできなかった。

「うん、もう元気だよ」

「こらっ調子にのっちゃあダメよ。今日は寝ていなさい!」

母さんの眉がきりりとつり上がって、声がおっかなくなる。
アリスは押し込まれるように、布団へと戻った。

しばらくすると、母さんが雑穀で雑炊を煮てくれた。

「食べれる?」

「うん、おなかすいた」

昨日まで、ぜんぜん食欲がなかったのが嘘のようだ。
ぺろりと一皿の粥を食べてしまった。

「じゃあ、母さんちょっと出てくるから、アリスは寝てるのよ。約束よ」

「うん」

母さんが出て行ってしばらくしたら、アリスはむくりと起き上った。
だって元気になったのだ。

【ついさっき寝ていろ、と言われただろう】

また頭の中からラーゼスが、呆れ気味に文句を言って来た。

「まだいたの!?うるさいなあ。あっち行ってよ」

【体力が落ちてるのは間違いないから、寝てなさい】

「眠たくないのに寝てるなんて、嫌」

アリスが口を尖らせてラーゼスに言い返す。母さんの言う事はともかく、こいつの言う事を聞く必要なんてこれっぽっちもないのだ。

【君に体調を崩されると僕も困る。ふむ、君が布団に戻るなら、代わりに遠い国の珍しい話を聞かせてやろう】

「遠い国の話?どれくらい遠く?村の外?」

アリスは期待に目を輝かせた。

【勿論、村の外だ。もし歩いたら、大人の足でも何月も何月もかかる様な遠い遠い場所だ。砂と岩だらけの大地や、見渡す限りの草原、そして尽きる事のない水をたたえた海……話を聞きたいか?】

「うん、うん」

【なら、さっさと布団に入りなさい】

アリスは、うん、と頷くいて布団に潜り込んだ。
もう先ほどまでラーゼスを疎ましく思っていた事は頭から消え去っている。

「入ったわよ!」

布団の中でそわそわとするアリスを少し焦らすようにラーゼスは考え込む。
そうして、こう切り出した。

【では……とある医者の話をしよう】

「イシャってなに?」

【人々のケガや病を直す手伝いをする人たちの事だ】

アリスが尋ねると、ラーゼスが簡単に説明してくれた。
じゃあすごくいい人だね、とアリスは笑う。

【その医者は旅人でもあった。色々な土地を周って、そこに暮らす、色んな人々を治療していたんだ】

「いいなあ、旅人。私も色んなところ行きたい!」

【砂と岩だらけの不毛な土地には、なんとか水の湧き出るオアシスがあって、そこ渡り歩いて旅するキャラバンは色んな種族が色んな交易品を持って集まって、砂漠を超えて旅してた。
 果てしなく草原には、騎馬の民とケンタウルスの諸部族が駆け抜けて、互いに助け合ったり争ったりしながら暮らしていた。
 海辺には漁をして魚や貝を採る漁民や、港から港へと商品を運ぶ商人達がいた。海の沖には、一生を船の上で暮らす海の民や、海の底で生きるマーマンたちがいた。
 鬱蒼と生い茂る森に暮らすのは、強靭な体で森の獣を狩る獣人たちと、木々の恩恵を受けて生きる賢いエルフたちだ。
 鉱山に穴を掘り、槌を振るって鉄を鍛える事を生き甲斐に暮らすのは背の低い屈強なドワーフたち】

ラーゼスは異境の地とそこに住まう人々たちの話を見てきたように語る。

草原を駆ける事を誇りとするケンタウルスたちは足を折ったら自決するとまで言われる中で、医者が足を折ったケンタウルスの少年を治療した話。

歌声が枯れてしまったマーマンの歌姫セイレーンに、医者が喉の薬をあげたら、歌声に引きずり込まれた水夫が溺れ死にかけた話。

キャラバンでは治療の対価に珍しい薬草の種や鉱石、書物を得て、その医者は後にそれらを大いに役立てた話。
ドワーフは頑固だが、自分の作品に付いて語るのが大好きで、その医者が酒好きのドワーフと一緒になって酒精を抽出しては飲み比べた話。

獣人はプライドが高くて、ケガの治療をする事すら軟弱だと言って嫌がったので、治療をするために決闘騒ぎにまでなった話。

エルフは薬草や魔導に造詣が深く、医者にとっては宝の山のような知識をもっていたが、閉鎖的で掟に縛られた生活をしていて、受け入れてもらうまでがとにかく大変で、受け入れて貰ってからは出ていくのが大変だった話。

ある国の貧救院で働いていた時に貧乏人のために、診療どころではなくただひたすら芋粥を作り続けた話。

反対に、金持ちの老人を相手に相談に乗り、性格のひん曲がった馬鹿孫を貧救員でこき使って根性を叩き直して、大金をせしめた話。

【歓迎された土地もあれば、追い出された土地もあったが、ケガをする人、病になる人は、どこにでも、どんな種族にでもいた。だから、その医者は旅をした】









途中までうるさいくらいに間の手を入れていたアリスは、すっかり静かになっていた。
やはり疲れはたまっていたようで、ぐっすりと寝てしまっている。

【……その医者は、晩年に禁忌を破るようになった】

ラーゼスはアリスを起さぬように、ひっそりと物語の終章をささやく。

その男は、知識のために死体を切り刻み、治療のためには生きた人間の腹をも裂いた。
様々な種族と部族の秘術と呪いを暴き、収集し編纂した。
禁じらていた力ある|妖霊《ジン》との契約にも手を出した。

【いつしか|僕《・》は悪魔と呼ばれ、最期には火刑で焼かれてしまった】

かつて賢人とも悪魔とも呼ばれた医者こそ、アリスに取り憑いた悪魔、アル・ラーゼスであった。



アリスが暮らす村は、畑は少ないが周りの山と森は豊かだ。
だから生活にも自然に山と森との関わりが多くなり、川での水汲み、洗濯、薪拾いに山菜採り、アリスも森と山に入る機会は事欠かない。
村の周囲には狼や魔獣も滅多に出ないから、アリスのような子供でも一人で森に入る事も多い。
アリスは森に入るのがすこし怖くて、あまり好きではなかった。

だが、最近は違う。
ラーゼスと共に、アリスは毎日のように森に入っていた。

【葛くずは色々な場所でとれる。この山の近所にも結構あるだろう。主に使えるのは根と花だ】

「花はいいとして、根はどうするの? 根を食べるの?」

【根を掘り出した後、潰して水にさらしてから漉す、その後灰汁を分離して粉を取るんだ。工程には手間がかかるがな】

「ふうん」

ラーゼスがアリスに憑りついてからといもの、ラーゼスが森の中で色々な話を聞かせてくれるおかげで、
その話が聞きたくて、森に山に入るの機会が自然と増えていた。

【やってみるか? ちょうどあそこに、それなりに大きな根がありそうだ】

「わかった。やってみる!」

素直に頷くアリスは、すっかりラーゼスに気を許してしまっていた。
ラーゼスから聞くお話が面白いというのもあるが、ラーゼスが来てからというものずっと体調がいいのだ。
母さんもアリスの心配をしなくてよくなってから、ずいぶん元気になった気がする。
だから、悪魔だと名乗ってはいたけど、ラーゼスはアリスにとってはありがたい存在だった。

【رفعラーフ】

周囲に人がいない事を確認してから、ラーゼスが葛の根元に向けて呪文を唱える。同時に宙に茶色の魔法陣が浮かび、ぼこりと地面が盛り上がった。
ボロボロと土が崩れて、アリスがようやく抱えられる程の立派な太い根が少し見えてる。

「おー便利」

さっそくアリスが手で葛根の周りの土を取り去り、先っぽの方は折ってしまって肩に担ぐように持ち上げる

「う、結構重いわ」


【葛の根は葛根といい、これからとった葛粉は湯に溶かすと、とろみのついたかすかに甘いくず湯になる。また、これを配合した葛根湯グーゲンタンは頭痛、鼻水、鼻詰まり、肩こり。神経痛に効く薬だ】

「へええ」

ラーゼスは草木の種類とその効能について、村の誰よりも詳しかった。
大抵、話を聞いた後は、今日のように折角だから集めて置けと言われて、いつの間にか、なにかしらついでに収集する事になっている。
曰くタンポポの根は煎じて飲めるから掘っておけ、とか。
曰くどんぐりの渋い種類は灰汁抜きの手間がかかるが灰汁も使えるから集めて置け、とか。
とにかく、人使いが荒い。

それでも、アリスが乗せられてしまうのは、やはり元気になったので身体を動かすのが楽しいからというのと、ラーゼスの語る逸話が面白くて、退屈な時間もあっという間に過ぎてしまうからだ。

「じゃあ、また秘密基地に持って行くの?」

【ああ】

ラーゼスの口車サポートの影響で、アリスの行動範囲はずいぶん広がっていた。
そして、ラーゼスが色々なものをアリスに拾わせたり作らせたりするので、それをしまっておく場所が必要になった。

アリスは村の裏の森の獣道からちょっと逸れた方向に葛の根を担いで分け入っていく。

そしてしばらく歩いて、木々が茂る小高い丘の斜面に着いた。何度も来ているので迷う事はない。
斜面の一角に草と蔦で編んだ覆いが置いてあり、それをとると、小さな洞窟の入り口が現れる。
獣の巣だったと思しき洞窟を少し広げて、色々なモノを詰め込める場所を作って、木の蔦や草で入り口を隠したのだ。
アリスとラーゼスの秘密基地である。
これはアリスの子供心を非常にくすぐったので、とてもやる気を出して頑張った。

とりあえず、ずっしりと重たい葛の根を基地の中へ下ろして、ふう、と一息つく。

「重かった……それでどうするの?」

【まずは、ナイフで革を剥こうか】

基地の中には集めた薬草や木の実の他に、ラーゼスからこっそりもらう報酬えさもここにしまってある。
例えば、こういう時に便利な石のナイフだ。

これは固くて密度の高い石を選んで、それをラーゼスが不思議な魔導の力で綺麗に割って作り出した代物で、石で出来ているにも関わらず、とても鋭く、形も整っている。
波打つような紋様に、所々に雲母のきらめきがあってとても綺麗なので、アリスのお気に入りの宝物だ。

切れ味も、ちゃんとした鉄のナイフには負けるが、悪くない。
ただ、力を入れ過ぎるとすぐ割れてしまうのが欠点だ。すでに切っ先は欠けてしまっている。
ラーゼスによると、材料が石なので、こればっかりは仕方ないらしい。
予備にもう一本作ったから、消耗品と割り切って使えばいい。

石ナイフの脆い歯を折らない様に、土に汚れた葛根の太い根の革を剥いていく。


「剥けたっ」

【では、次にそれを砕いて水に漬ける】

ラーゼスのあっさりとした指示に、アリスが辟易とした抗議の声を上げた。
葛の根は結構な大きさだったから、それを丸々漬け込むとなるとそれなりの量の水が要る。

「うぇえ……今から水汲み?」

すでに今日は一度家の水汲みをしている上に、葛の根を抱えてこの秘密基地まで移動している。
動けないという訳ではないのだが、アリスとしては不平を言いたくもなった。

【しかたない、どんぐりの砕いたのを灰汁抜きしていたヤツで代用しよう】

奥に置いてあった桶には、どんぐりの殻をむいて砕いたものが入っている。
渋みの強くないどんぐりは村でもそのまま炒った後に殻をむいて食べたりするが、灰汁の強い者は食べない。
だけど、灰汁の強いドングリでも。こうして砕いた後に水に晒せしておけば大丈夫らしい。
その灰汁が溶け出した水を使うという。

「あれでいいの?」

【ま、みてなさい】

【まず、そこに溜まった粉と混ざらない様に、水が溶けた上澄みだけを取る】

【فقاعةフッカー】

ゴポリと濁った水だけが球状になって宙に浮かぶ。


【次に、水の中の不純物を取り除くために、一度気化させて、再び凝結させる】

【التقطيرデドクティエル】

しゅわーと音を立てて、濁った水がドンドン熱もなく沸騰していく、そして、その真上に新たな透明な水の球が出来上がっていく。

「わ、すごい」

【錬金術の基礎と水の魔導を組み合わせた技法だ】

小さな灰汁の塊がポトリと落ちるころには、透明で綺麗な水の球が元と変わらない分量で浮いていた。

【根を二つに切って水の球の中へ放り込め。本当は良く潰してから入れるんだが、今回は省略しよう】

根を入れると、水の球は大きくなったがそのまま浮いている。

【خطورةㇷトゥーラ】

めきめきと、水の中で根が潰されてぐちゃぐちゃになっていく。
同時に水が茶色く濁っていく。

【一旦潰れた葛の根を手でよく揉め。根の繊維から成分を水の中に溶かす】

アリスは指示に従って、水の球の中に手を突っ込んで揉み洗いの要領で水に溶かしていく。

【終わったら、これを布で漉す。】

「布で漉すのは魔導で出来ないの?」

【魔導で細かい網目を作ってそれで異物を取り除けない事は無いが、恐ろしく無駄に高度な技量が要る。少なくとも僕一人では難しい。布を使った方がはやい】

「そっか」

「そっかー。なんでも楽は出来ないのね……」

漉すのに使う布は、裁縫の練習用に貰った端切れだ。ごめんなさい母さんとアリスは心の中でちょっと謝ってから使う。

褐色のドロドロが上から下に通り抜けて、布切れが根の繊維を漉し取っていく。

【さて、ここから分離作業だ。本当は静かに一晩おいて沈殿させた後、上澄みを取り除くという灰汁抜きを数回繰り返すんだけど、まあ、ちょっと省略しよう】

【خطورةㇷトゥーラ】

呪文と共に、魔法陣が浮かび上がる、すると水の球に色の変化がゆっくりと現れ始めた。

「だんだん、下が白くなってる?」

そう、褐色だった水の球が、上から下の方に白っぽい層と黒っぽい層に分かれていってる。
ゆっくりと二つの層の境界が落ちてゆき、同時に白い層は濃く、小さくなってゆく。

【力をかけることで沈殿分離を促している。この白い部分が落ち切って、しっかりと固まればそのまま取り出せる。】

「へええ」

それから、しばらく見つめていると白い層が小さく水の球の底に沈み切っていた。
ラーゼスに、もういいから取り出してみなさい、と言われて、アリスは水の玉に手を突っ込んでそこに溜まった白い塊を取り出した。
表面はべとべとしているが、意外としっかりと固まっている。

【この白い部分が葛粉だ。純粋に食用なら繰り返し精製するが、薬と兼用の場合はこれくらいでいいだろう。純粋に薬として作るときは逆に粉の抽出はやらずにそのまま干したりする】

「こんなにちょっとしか採れないの?」

【大体、元の重さの一割も採れないと言われてるな】

ラーゼスが仕上げに魔導でさらに乾燥させてから、きれいな発破にくるんで基地の中に仕舞った。
こうやって色んな場所に足を延ばしては色々集めて秘密基地へ持って帰ったり秘密基地で加工したりするのがアリスの日課になりつつあった。


「近頃、帰って来るのが遅いわね?」

こんな風に母さんに叱られてしまう事もあるくらいだ。
日暮れまでには帰って来るようにしているが、それでも毎日帰りが遅ければやっぱり少し叱られてしまう。

「ゴメンナサイ」

「遊ぶなとは言わないけど、アリスは女の子なんだから。外で遊んでばっかりじゃねえ」

「まあ、寝込むよりいいじゃないか。ちょっとやんちゃな位が一番だ」

母さんに小言を言われた時は、父さんが大抵こうやって味方してくれたから、山や森に入り浸っても、多少は笑って許してもらえている。

「ケガレ谷には近づいちゃいけませんからね」

「うん、分かってる」

ケガレ谷は近づいてはいけない場所だ、とだけ子供たちには教えられていた。
だが、子供たちの間では、何となく噂になっていた。
曰く、ケガレ谷には毛むくじゃらの恐ろしいケダモノ人間が住み着いている、と。
村に来たのを見たことがあるという子供もいた。家畜が死ぬと死体を取りにやってくるというのだ。





【ケダモノ人間か……獣人の事かな?】

ラーゼスが穢れ谷の住人について憶測する。
獣人は部族毎に姿も違い、大きな範囲に住んでいる。この村の近くに獣人の集落があっても不思議ではない。
アリスは周りに聞こえないよう、かすかな小声でラーゼスに問い返す。

「じゅ、獣人て人間を食べたりするの?」

【獣人だからと言って人間を食べるわけではない。草食の獣人もいれば、人間を喰いものにする人間もいる】

だが、獣人に交戦的な部族が多いというのも事実ではある。
狩猟を中心とした生活を送っている部族が多いし、戦士を貴ぶ文化も顕著だ。

「そっか……でも、やっぱりちょっと恐わい」

【まあ、さほど心配ない。この程度の距離に住んでいて全く交渉がないとは考えにくい。恐らく普段は互いに不干渉と決めているんだろう。つまり、ケンカはしないが、仲良くもしない、という事だ】

「仲良くしちゃダメなの?」

【姿や考え方の違う者と共に暮らすのは、口で言うほど簡単ではない】

関わり合いが増えれば、軋轢や衝突は避けられない。種族の溝は、ささいな対立を容易に激化させる。
よほどうまく舵取りをしなければ、流血が発生するのは時間の問題だ。
ならばいっそ関わりあいを持たない方がお互い平和、という判断は十分妥当なものだ。

アリスも、すぐにそれを知ることになる。





村の近くの森には薬草園と呼ばれる、色々な薬草が群生している場所があって、誰が管理している訳でもないが、村の共有の場所として大事にされている。
昔の住人が時間をかけて集めた栽培場所だったんだろう、とラーゼスは言っていた。

村の住人が使い道を知らない草についてもラーゼスは詳しかった。
アリスたちはちょくちょく行っては少しづつ色々拝借していた。
その日も薬草園へ向かったのだけれど、明らかに村の人間ではない先客が薬草の群生地でしゃがみ込んでいた。
まだ子供だ。その頭には、二対の獣の耳が付いていた。

「……ケガレ谷の獣人?」

アリスは驚いて、取りあえず草陰に身を隠すと、その時、別の方から声が上がった。

「あっこの薬草泥棒っ」

アリスと獣人の少年は、びくりとして声の方へ顔を向けると、やって来たのは数人の村の少年たちだった。
この時期の薬草集めは子供たちの仕事になることが多いから、鉢合わせるのは珍しい事ではない。
だが、ケガレ谷の住人がこんなところへ来たことは無かった。

怒鳴り声を浴びせられた少年は、頭から生える二対の耳をピンと立てて、ぐるぐると威嚇のうなり声を上げた。

「ケガレ谷の連中だな!? こんな所まで来やがってっ」「さっさと、でてけっ」

村の少年が口々に罵声をあびせ、うち一人などは興奮して石を投げたがが、一方の獣人の少年は動ずる事なくさっと身をかわし、背を向けて逃げるどころかむしろ目に灯る闘争心を露にし、村の少年たちの方へゆっくり近づいていく。

「や、やるのかこいつっ」

村の少年たちのなかでは一番年上で、獣人の少年よりは頭一つ分以上に身長が高いライルが、手近な木の棒を拾って両手で構える。

すぐに激しい喧嘩が始まった。

アリスには固唾を飲んで見守ることしか出来ない。
獣人の少年は素早い動きで相手を翻弄して、村の少年に蹴りやげんこつをお見舞いしていたが、多勢に無勢では長くは保たなかった。
後ろから尻尾や足を掴まれて動きを封じられてしまうと、一方的な展開になった。
最初は引っ掻いたり噛み付いたりと、もの凄い勢いで暴れていた獣人の少年も、殴る蹴るの乱暴を受けて、
ぐったりしてしまった。

そして派手な引っ搔き傷を負わされたライルが、お返しとばかりに獣人の少年の胸へ強烈な蹴りをお見舞いした。

「がふっ」

少年が胸を押さえて、ぴくぴくと痙攣しながら崩れ落ちた。

「ふん、みたか。これに懲りたらここいらには近づかない事だな!」

ライルは獣人の少年が薬草を集めていた袋を奪いとると、いくぞ、といってそのまま村へと引き返していってしまった。
ライルをはじめ、引っ掻かれたり噛み付かれたりで、だらだら血が出てる者もいたからだろう。

【まずいな】

成り行きを黙って見ていたラーゼスが呟く。

「まずいって?」

【あの少年のところへ行け。放っておけば死ぬかもしれん】

「え、死ぬ!?」

男の子たちが、喧嘩で蹴られるくらいの事はよくある事だったが、言われてみれば確かに様子がおかしい。
獣人の少年は地面に倒れたきり動かない。当たり所が悪かったみたいだった。

恐る恐る倒れ臥した獣人の元に近寄ったアリスに、ぼやぼやするなとラーゼスが指示を出す。

【まずは、姿勢を直して頭を天に向けるんだ】

アリスは、身体を何とか仰向けにして、頭を上に向けた。

【首の横に手を押し付けて脈を確認しろ】

アリスが震える手で、ぐったりして動かない獣人の子の首にギュッと手のひらを押し付ける。
産毛に覆われたちくちくとする肌は、まだ温かい。

【不味いな。脈がない。やはり心臓震盪だ】

「しんぞうしんとう?」

心臓震盪は外部からの衝撃で一時的に起こる心臓の麻痺だ。
胸の筋骨の発達がまだ不十分な子供は、当たり所が悪いとこの状態に陥ることがある。
心臓が麻痺すればやがて呼吸も止まり、死に至る。

【この子の胸を踏め!】

「なんで!?胸を踏むなんて」

【心の臓がショックで止まってる。たたき起こさないと死ぬぞっ。さっさとやれっ】

アリスはいきなりのラーゼスの指示に戸惑うが、ラーゼスの気迫に押されて意を決し、倒れた獣人の少年の胸を踏む。

【何度もだ。一定のリズムで。もっと強く、早く】

「こ、こう?」

アリスは必至になって、何度も踏む。
こんなに強く踏んでるのに、まだ少年は眠ったままだ。

「ねえ、起きないよ?」

アリスの目に涙がにじむ。

【仕方ない。|代わりなさい《・・・・・・》】

ラーゼルがそう言うと、同時にアリスの手足から意識が抜けだした。

【ふえ?】

いきなり裏側に回されて戸惑うアリスを無視して、アリスの体が動き、てきぱきと獣人の少年が纏っていた皮の服をはだけて胸を露わにする。
少年達がさっさと行ってしまって、周囲に人がいなかったのはむしろ幸いだった。

【なに、これ?】

アリスが慣れない感覚に戸惑いの声を上げた。
だが、ラーゼスは今それを説明している暇はない。

ラーゼスは左脇腹と右肩、心の臓を対角に挟み込む形で手を当てると同時に、アリスの体から魔力を引き出す。
もともと、ラーゼスの依代に成り得るだけあって、アリスは子供ながら魔力豊富である。
ラーゼスはアリスの体から引き出した魔力を使い、細心の注意を払って魔法陣を展開した。

術式は超局所双極雷撃式。

ラーゼスにとって難しい術式ではないが、他人に憑りついた状態で魔導を使うのは初めてだった。
威力の調整には気を付けなければならないが、悠長にしている時間もない。

『|الرعد《アルラット》!』

バチリと雷の弾ける音と共に少年の体が跳ねた。
心の臓は筋肉の収縮で血を全身に送り出していて、電気によって心の臓の筋肉を強制的に収縮させ、一時的に麻痺している鼓動を再開させる事が出来る。
重要なのは雷撃を通す向きと威力、そしてなるべく早く対処することだ。

少年の姿勢を整えつつ、首筋に手をやって脈を確認する。

【あ】

とくん、とくんと脈打つ鼓動がアリスにも伝わった。

「よし、脈が戻った」

【すごい、すごい】

アリスが嬉しそうに頷く。
ラーゼスは少年の口元に耳を当てて呼吸音を確認した。

「呼吸も大丈夫のようだな」


かはっと息を吐き出して、獣人の少年が目を開けた。

「っお前……」

獣人の子がアリスを押しのけてバッと体を起こして、立ち上がろうとした。
だが、まだ体にしびれが残っているのか、うまく力が入らずに、その場にへたり込んでしまった。

「大丈夫か?」

ラーゼスが落ち着いて獣人の少年に尋ねると、少年はぐるぐるとうなっていたが、絞り出すように答えた。

「なんともない、平気だ」

「薬草が欲しかったのか?」

「姉じゃが熱を出して寝込んだ。薬が要る」

「熱か。くしゃみは? せきはどうだ?」

「なんで、そんな事聞くんだ」

獣人の少年が、ぐるぐると敵意を露にしだす。

「お前が採ろうとした、薬草、どうしようとした?」

「姉じゃに食わせようとしたに決まってる!」

「アレは乾燥させてから湯に溶かして飲むモノだ。生で食ったら腹を壊すぞ」

獣人の子がうっと言葉につまっている。
すrと、ラーゼスが唐突に裏へと引っ込み、アリスに呼び掛けた。

【アリス、この子をあそこまで案内してやれ】

アリスはいきなり体に戻って「えっ、あれ」といいながら目を白黒させて、ぺちぺちと自分の体を確かめた。が、獣人の少年がいぶかしがるのを見て、慌ててやめた。

「く、薬分けてあげるから、付いてきて。私は、アリス。あなたは?」

「ルーオだ」

むすり、とした感じで獣人の少年が返事をする。
感じ悪いわね、とアリスが小声でつぶやくと、ラーゼスがさっき殺されかけたんだ、機嫌が悪いの位は大目に見てやれ、とたしなめた。
それもそうか、とアリスは気を取り直して、ルーオをアリスの秘密基地への案内を始めると、ルーオは素直について来た。特に辛そうな様子もない。

【一時的に心の臓が麻痺してしまっただけで、手当てが早かったおかげで特に後遺症は残らなかったようだな】

「そっか、よかった」

例の丘の斜面にある秘密基地に着いて入り口を開くと、どれを渡したらいい?とアリスはこっそりラーゼスに聞いた。

【タンポポの根とドクダミの葉、ショウガの根を乾燥させたモノを湯に通して、その湯を飲ませるようにいえ。あと、食欲が落ちているようだから、灰汁抜きしたどんぐりの粉と葛粉も渡してやれ。重湯にして飲ませるといい】

ラーゼスの指示に従って、アリスはルーオに蓄えた品を渡すと、獣人の少年は手の中のものとアリスの顔とで視線を行ったり来たりさせて戸惑っていた。

「……貰って、いいのか?」



「いいの。病気の人を助けるのは当たり前でしょ」

アリスがえへん、と胸を張って格好をつける。
どんぐりの粉は灰汁抜きや殻むき、それに粉にするのが大変だったし、葛粉も作るのは大変でちょっとしか採れないのに、あげてしまうのは正直勿体ない、という本音は黙っておいた。
ラーゼスから聞いた医者のお話に感化されているのは間違いない。

「そうか。ありがとう。この礼は、きっとする」

獣人の少年はアリスに頭を下げ、受け取った荷物を服の上着で包むと、ケガレ谷の方へと走って帰っていった。
死にかけていたとは思えない程、足取りは軽く、力強い。






「ねえ、ラーゼス」

アリスが少年を見送りながら、なにかを決心したようにラーゼルに話しかけた。

【ん?】

「あたしにも、あの魔導の技を教えて」

アリスはいつになく真剣に言ったが、ラーゼスとしては軽々に頷ける事ではない。

【魔導の技だけ覚えても危険なだけだ。それを正しく扱う医の道の心得がなくては】

「心得るもん。あたし、お医者になる!」

むう、とアリスが口を膨らませて言いかえした。

【人を助けたいのか?】

「うん」

ラーゼスとしては、自分の知識を伝える事に抵抗は無かったし、むしろ成長を見守るのは楽しいとすら思っていた。
だが、医者になるというのなら、それなりの覚悟が必要だ。

【人を殺すかもしれなくても?】

「ころす?……どうして」

【助けられたかもしれない患者を、死なせてしまう事もある。それでも次の日には、別の患者と向き合わないといけない】

真剣に人を救おうとすればするほど、生死の狭間で戦い続けなくてはならない。それは避けては通れないし、避けてはならない。

【患者は十人いても薬は一人分しかない事もある。流行り病の前になす術がない事もある】

ラーゼスは今までアリスには、暗い話をなるべく語らなかったが、医者として血なまぐさい光景もたくさん見て来た。

「ううぅ」

アリスは目に涙を溜めて、口をへの字に曲げた。

「それでも、助けられる事もあるんでしょう? 今日みたいに」

アリスが真っ直ぐな問いに、ラーゼスは応えるよりなかった。

【ああ、あるとも】

「なら、がんばるもん。一人でもたくさん助けられるよう、がんばるもん」

死にかけた命が息を吹き返す、あの瞬間の手ごたえは、忘れようにも忘れられない感触だ。
ラーゼスにも確かに覚えがある。遥か昔に最初に助けた命の事。

アリスが入れ込むのも無理はない。

【いいだろう、ならば教えよう。私が学んだ、薬学、錬金術、魔導、哲学、そして医学を】

アリスは、おどろいて目を丸くした。

「ぇ、おおくない?」

【バカ者っ、全部必要なことだっ!!】

ラーゼスは苦笑しながらアリスの頭の中で小さな弟子を怒鳴りつけた。
2015/05/01 (金) 18:02 公開
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感想・批評
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アラビア語の呪文等が混じっていて、ここでは表示できておりませんでした。
また、頂いた指摘については、何点か修正も入れました。
(人称については、アリスの一人称がアリスになっていて分かりにくくなってしまっているのだと思います。)
3:  <VfLIXJxU>  2015/05/18 (月) 15:28
tz
文章に時々?はあるのですが、けっこう読めてしまいますね。
ここまでのストーリーは面白かったです。なので文章の指摘をします。

>果てしなく草原には、騎馬の民とケンタウルスの諸部族が駆け抜けて、

>【まずは、ナイフで革を剥こうか】

果てしなく続く、あるいは果てしなく広がる、もしくは果てのない。
革は普通皮でしょかね。
他にも上記のような文章ミスがちょこちょこあります。

>ふと横を見ると。アリスの横で母さんが突っ伏して寝てしまっていた。

こうした一人称みたいな三人称みたいな。違和感が、全般にあります。
只、文章じたいがシンプルだから読めます。絶対にいけないというわけではありませんが。
意識しないでやってるなら、一考してみてください。

とりあえず以上です。
2:  <TJdjexsi>  2015/05/12 (火) 23:24
非常によい。

作者がこの「お話」を楽しんでいることがこちらにも伝わってくる。

この小説はいわゆる児童文学に近く、その読み手は大人ではなく子供であろう。

魔的な医者ラーセが千夜一夜の物語をアリスに聞かせるシーンは、読み手のこちらの想像力を刺激し、「そのお話の続きは?」と聞きたくなる魅力がある。

また、文体はやや擬音多く、漫画チックであるものの、端々の描写に作者の筆力がただ子供めいているだけではないことを匂わせる。


こどもは皆、夢現(ゆめうつつ)をひょいとそのみずみずしい感性と想像力とで乗り越え、行き来するものだ。

大人になるにつれその想像力はしおれ、または形を変えるが、ある種の人間はそれを大人になってもなお「お話」として子供に読み聞かせるものを作ることができる。
(もちろんそのお話がお金になるかは別問題だが)

この作者が、単に子供で夢中なだけなのか、大人であるもののあちら側に飛んでいける人物なのかは今の時点ではわからない。

しかし、いずれにせよ、この作者がこれから自らの「お話」を豊かに膨らませることを望むのであれば、夢の世界を描く修練を積むと同時に、現実世界の知識を深く身につける必要があるだろう。

優れた児童文学は、その柔らかな感触の底に確かな知識が必ずある。

単なる作者の妄想か、広がりのある豊かなお話になるか。

作者には是非、小さな女の子が「続きは?」と聞きたくなるようなお話を作ることを目指して欲しいと勝手ながら思う。
1:  好感 7点 <rOsxKjMA>  2015/05/02 (土) 00:22
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