プラットフォーム |
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元カレ元カノ祭 |
電車のドアが開くとすぐに黒いスーツ姿の若い男が飛び出してプラットフォームを駆け抜けた。堰を切ったように大勢の人が電車の外へと流れていく。五分程停車しますという車内放送が響いた。 「タカちゃん、さっきから何見てるの?」サヨコはドア付近の手すりに掴まりながらタカユキの耳許に少しだけ背伸びして口を寄せた。タカユキはサヨコより二十センチ程背が高かった。 「いや、あのお婆さん・・・」タカユキはそう言ってフォームにあるベンチの傍にいる老人を陽の当る窓越しに顎で示した。 「なに?」 「何してるのかなと思ってさ」 白髪で小柄な老婆は窮屈そうに腰を曲げ、ベンチの下を覗きこんでいた。 「何か探してるんじゃないかしら」サヨコは手にしたスマートフォンを意味もなくいじりながら興味なさそうに言った。 タカユキとサヨコは恋人同士だ。付き合いだしてもう時期一年を迎えようとしている。タカユキは南の地方にある大学を卒業すると、就職口も決まらないまま手荷物一つで何のあてもなく上京してきた。タカユキはアルバイトで生計を立てていたものの職を転々とした。それから五つ目のアルバイト先である運送会社に腰を落ち着けた頃、出先である下町の小さな機械部品工場に出向いた時にタカユキはサヨコと知り合った。サヨコはその工場に事務員として勤めていた。去年の春の頃だった。二人の職場には若い人が少ないせいもあってか、二人は互いに惹かれ合い、すぐに交際が始まったのだった。 「俺ちょっと行ってくる」そう言うとタカユキはシューズの底を鳴らして小走りに駅へと降り立った。 空は青く、春の暖かな風が吹くとタカユキの頬を撫でた。陽の光が駅前に並ぶビルの稜角や反対側の線路の向こうにある広告板を鋭く照らしていた。予備校や化粧品の広告板が陽の光によって白く斜めに削りとられていた。フォームを行き交う人を縫ってタカユキは老婆の傍に近寄ると、膝に手を当てて中腰になって話しかけた。 「何かお探しですか」 老婆は不信そうに顔を上げた。 「ええ、まあ・・・」 「何をお探しですか?」 「髪留めをね、ここら辺りで落としたみたいなの」老婆はタカユキの顔を見ず、ベンチの下に手を入れながら言った。 「どんな?」タカユキは左右に眼を配りながら老婆に訊いた。 その時タカユキは電気に撃たれるようにして身動きがとれなくなった。前にも似たようなことがあったことをタカユキは思い出していた。そうしてタカユキは深い感慨に耽っていった。頭上から射す春の陽が暑い程だった。 「タカちゃん、何見てるの?」 自分の顔をジッと見つめるタカユキを不思議に思い、マユミは訊いた。プラットフォームにはタカユキとマユミの二人しかいなかった。三月の終わりの強い風が吹くとマユミの茶色に染めた短い髪も風に揺れた。朝日が眩しかった。タカユキはジーンズに黒いブルゾン姿で、手には青い大きなドラム缶バックを一つ持っていた。マユミはジーンズにグレーのパーカーを合わせ、その上にタカユキとお揃いの黒いブルゾンを羽織っていた。二人は二年も連れ添ってきた恋人同士だった。 「しばらく会えなくなるから・・・」そう言うとタカユキは意識的にマユミから視線を外した。線路の上を滑るように幾つかの枯葉が舞っていた。 「別れるわけじゃないんだし。それに私ゴールデンウィークになったら上京するからさ」そう言ってマユミは笑った。 タカユキは傍のベンチに腰を下ろし、煙草に火を点けた。 「やだ」 マユミがいきなり大きな声を上げた。 「どうした」煙草の煙を旨そうに吐き出しながらタカユキは訊いた。 「どうしよう、私財布落としたみたい」 馬鹿、そう言うとタカユキは笑いながらマユミの傍へ行った。マユミは今にも泣きだしそうな顔をしていた。それを見てタカユキは軽くマユミの頭を撫でた。 「私あっち探してくる」 そう言い残してマユミは片田舎の小さな駅の改札口に向かって一目散に走りだした。小さくなっていくその背中をしばらく見つめたあと、タカユキは辺りを見回した。明け方の太陽の光がプラットフォームで跳ねている。それからさっきまで自分が座っていたベンチの下を試しに覗いてみた。するとあっけなくもそこに小さなピンク色の財布が落ちているのを見つけた。タカユキは膝を着き、手を伸ばしてその財布を拾った。 「おーい、あったぞ」タカユキはマユミの走り去った方角に向かって大声で叫んだ。声が届いたのだろう、マユミはゆっくりと歩いて戻ってきた。なかばふてくされるようにして、その瞳に涙を浮かべながら。 「瑠璃色の髪留めなのよ」 しかしタカユキの耳には届かなかった。タカユキは思い出していた。マユミがゴールデンウィークに上京してこなかった日のことを。二人は遠距離恋愛という形になってからどちらから切り出すともなく自然消滅的に別れることになってしまった。あれからもう四年の月日が流れていた。 怪訝に思ったものの、老婆はもう一度タカユキに呼びかけた。 「なんですか」慌ててタカユキは応えた。 「だから、亡くなった主人がくれた思い出の品なんです。私が探しているのは綺麗な瑠璃色をした髪留めなんです」 それを聞いてタカユキは少し躊躇してから問い直した。 「すいません、瑠璃色って何色でしょうか」 老婆はビックリした表情を浮かべたあと、口許を手で抑え笑いだした。 「あら、ごめんなさい。今の若い人にはわからないかしら。瑠璃色っていうのは、何と言えばいいのかしら、紫がかった青というか、そんな色のことよ」 「そうですか」 タカユキはそれを聞いて顔を赤らめた。その恥ずかしさを隠すようにタカユキは立ち上がり、反対側のベンチや少し離れた場所にあるベンチの下を隈なく探してみた。老婆はあいかわらず同じベンチの下を覗きこんでいる。停まっている電車の窓から二人の様子を怪訝な顔つきで見ている者もいた。その中にはサヨコの姿もあった。サヨコはドアから身を乗り出してタカユキを呼んだ。しかしタカユキは耳を貸さず、あてどもなく瑠璃色の髪留めを探した。 「タカちゃん、もうすぐ時間だよ」 サヨコは再度呼びかけた。発車のベルが構内に響いた。それを聞いて仕方なくサヨコもプラットフォームへと降り、タカユキの傍へ寄った。 タカユキは膝を着き、白いチノパンを汚しながら地べたに顔をつけ自動販売機の下を覗きこんでいた。サヨコは呆れながら訊いた。 「で、何を探してるの?」 タカユキはその時陰になった奥の方に鈍く紺色に輝いているものを見つけた。あれかも知れない、そう思ったタカユキは着ていた黒と白のチェックのネイルシャツの袖を捲り、自動販売機の下へと手を伸ばした。 「ねえ、聞いてる?」 「ああ、聴こえてるよ、あれは思い出さ」タカユキは身を捩りながら手を伸ばし、そう応えた。 「思い出?」 「そう、思い出さ」 ベルが鳴り止むと、タカユキとサヨコの乗っていた電車のドアが閉まった。電車は次の駅へ向けてゆっくりと動きだした。 |
2015/05/02 (土) 00:17 公開 |
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