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ミラ
私書店
一日、どのくらい鏡と向き合いますか。
洗顔、出社、登校、前。
車窓に映る自分もカウント。
コンビニウィンドウの姿もカウント。
そっと掲げたスマホの陰影もカウント。

ふたたび……
生きてるあいだ、鏡に映る自分とどれだけ視覚交換ができるのだろう。
おそらく生涯出会えるひとの数には劣る。

あんがい。自分の顔をじっと見るときって選ばれた時間ではないのか。
たとえば、大切なひとと会う前。
たとえば、皮膚の表面に違和感を感じたとき。
たとえば、いやな自分に出会ったあと。
たとえば、たとえば、たとえば……

五代目古今亭 志ん生の話。
遠い昔、父親孝行の息子がいた。
なにかとオヤジ、オヤジ。と慕う。
だがその父が死に、哀しみのなか遺品をかたづけていたとき。
手もとに愛する父があらわれた。
おとっつあん。呼べど、叫べど、手の中の父は無言。
息子の手にあったのは手鏡。そこに映るのは、
亡き父が残した息子の顔だった。

ミラーにはライブの自分が映る。
だけれども、たまさか過去、現在、未来の自分が、透けて見えることがある。
それはミラーの仕事ではなく脳鏡のマジックだ。
ブレインミラーはライブミラーの前後にひそむ自分を探りあてる。

だから。病床のなかで、人生を振り向かせるのは
あんがい、そっと手のひらにしのばせたコンパクトではないのか。

私は人生を終える瞬間、鏡と向き合いたい。
それがちっぽけな願い。




だから、愛する妻よ。
私にちょっと小粋な手鏡をプレゼントしてはくれないか。

2019/03/21 (木) 13:48 公開
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感想・批評
クリシンが脳梗塞をやったとき、鏡をマヒした手の位置に置き、自由な方の手を映してリハビリしてたらよくなったというのを思い出しました。メルロポンティがどうのこうのとかいう認識論の応用だそうです。
1:ひやとい <gV0KT8YK>
2019/03/21 (木) 15:21
普通 4点

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