硝子の少年 作者:卯月京 へのレス |
最大の問題は、作者が他愛のないくだらない話を書いたことではなくて、読者が最後まで読まないとこれが他愛のない下らない話だと分からないために、楽しめないことだと思います。どうやら大人が高校時代の自分に転生して生きなおす話のように見えるわけですが、この転生前の大人がどうだったのかは隠されていて、転生後の高校生が「俺は二十七歳で死ぬんだ」とか言ってるのです。するとこの二十七歳での昇天はただのセリフとしての笑点なのか、今度は死から免れてやる! という物語の焦点なのか、わからないです。「ここ笑うところなの?」という疑問(悪口でいうのではなくて、本当に疑問なのです)が最後まで消えないということです。そしてどうやら笑うところだったらしいと分かると、落胆します。笑うタイミングを失っただけでなく、二十七歳で心ならずも死んでしまう男が若き日の自分に転生し、生き残りをかけて再挑戦する話の方がここに書かれた話より面白そうだからです。くだらない話をかくときは、誤解を招く筋はどんどん消して、くだらない路線しかないというのをはっきりさせてほしいと思いました。 そもそも小説家といってるのに「ロックンロール」なのも意図がつかみにくいぼけだと思います。無頼派の文士で押すか、ほんとにロックンローラーにするかどっちかにしてほしいです。こういうのが増えると「叶えばなれる」も意図したぼけなのか作者が間違ったのかというあたりからわからなくなってしまいます。
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テレクラと2ちゃんねる 作者:ブルーアイリス へのレス |
時々、日本語の不自由(誤字脱字程度のものですが)なところがあります。
たとえば、 >原宿やら柏やら、思ったとおりに、甘いデートの記憶がある。 >今後2ちゃんねるはだから、携帯電話を通話にしか使えない人種と同様、匿名のもどかしさを抱えながら、次第にネット感性の出遅れた人たちだけが残る。 こうした文章です。
さて、肝心の内容ですが。 回顧するエッセイとテレクラを交えたネットの比較が書かれていて、作者さんがどのように考察しているかは理解できました。 只、異性との会話、デートやセックスを目的としているテレクラ。 憂さ晴らし、真面目な語り、おちゃらけ、煽り、炎上宣伝等々、各人の参加目的がバラバラな2ちゃん。 比較するなら、こうした違いを明示して始めないと、同じ土俵には上がらないと思いました。
それと、これは個人的な感覚ですが。 テレクラに近いのは、むしろ、MIXIやツィッター、フェースブックではないかと。 ですから、作者さんがテレクラにはまっていたのなら、MIXIやツィッター、フェースブックで人とつながりたい。 と考えるのは自然だと思います。 2ちゃんで(特に名無しとの)出会いを求めるのは、なかなか難しいかと。たぶん、大方の名無しの書き込み人は、そんなものを求めていないでしょうし。その辺が、作者さんが2ちゃんを気に入らない原因の一つではなかろうかと推察しました。
そういうことで、書いてある内容は的外れで、おそらく作者さん自身も、自身を考察しきれていないのかな。と思いました。
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屋根やね へのレス |
これは漫才風にした、語り系ですかね。正直、評価の難しい作品でした。 すべりまくってる感じの漫才師。幽霊と思われる和服おんなと火事にあった呉服屋のオチ。 狙いはわかりました。でも、笑えない。これがすべてですかね。 この手のは、笑わせたら勝ちだと思います。 しかし、どうしたら笑わせられる作品になるのかは、わかりませんね。
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室伏君 作者:オチツケ へのレス |
『悪魔』の方にも感想を書いたので、重複する内容は少し省く。
個人的にはこちらの方が『悪魔』よりも好きだ。
省略された物語が読者の想像力を喚起し、そのことをもって読者に作品を読み返させ、考えさせる力があったように感じる。
淡々とした文章は無駄が省かれ、詳細な心理描写の代わりに状況の描写が静かに、――穏やかな程に――なされていく。
けれどその穏やかさの奥には、「どうにもしようがないんだ」という『僕』の戸惑いや悲しみがある。
恐らくは『僕』は学校という場への馴染めなさから、自殺を図ろうと――それに近い何かを――したのではないか? ここで登場する『室伏君』は、恐らくは『僕』のオルターエゴ(僕自身の一部)なのだろうと私は読んだ。
ただここで物語的に重要なことは、『僕』自身が『自分自身の学校生活への不適応さ』を自分で理解することも、誰かに説明することもできない点にある。 『僕』は『室伏君』にその想いを『託す』しかない点にある。
『僕』は自分自身で自分の『不適応さ』を掴み、正当化し、誰かに語ることができない。 『社会への怒り』を表現することができない。 だからこそ彼は、『彼以外(室伏君)の言葉』を借りてしか、自分にとっての何かを語ることができないのだ。
『僕』はどこにも行けずにいる。 だから『室伏君』に世界を見ることを託そうとする。 けれど『僕』は『僕』自身の『室伏君』を理解することができない。 そうして『室伏君』は『僕』のもとに帰ってこないまま物語は終わる。 『僕』を社会に馴染ませようとする未来が待っている……。
なぜ小説を書くのか? 読むのか? そのひとつの答えの典型としての物語がここにはあると私は思う。
もちろんそのことがどれくらい『誰か』にとって意味があることなのかはわからない。 けれど私は「面白かったですよ」とひとまず作者に伝えたい。
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悪魔 作者:オチツケ へのレス |
良かった。
2の感想にある通り、いわゆるショートショート、星新一的なSFではあるのだけれど、端々にふっと浮かび上がる主人公の気持ちの“波”が、読み手の――少なくとも私の――感情を揺さぶるものがあった。
2作(『室伏君』)続けて読んだが、読み終えて、「あぁ、ちゃんと書こうとしているのだな、そういう人もいるのだな、嬉しいな、頑張ろう」、そう思えたことは良かった。
確かに描写は淡泊であるという意見もでるとは思う。 納得もできる。
ただ個人的にはその淡泊さはこの書き手の誠実さ(大事なことだけ書こう、大事なこと以外は削ろうという気持ち)の表れであると私は思う。
また二作続けて、学校という空間“への義務感”と、“からの逃避願望”とが語り手の中で切実な葛藤となっていることが感じ取れた。
そしてその葛藤自体が、――短いとはいえ――ひとつの切実な物語となっている。
そのこと自体に、私自身は強いシンパシーを覚える、感じ入るものがある。
と、ここまでは作者自身への一種の共感の表明。
次に一定レベルにあるだろうこそ、作品自体について少しだけ書こうと思う。
まず、筋立てについて。
希死願望のある男が死を目前に悪魔と出会い、生の大切さに想いを馳せるというこの筋立て自体はまぁありがちであると言えばありがちである。
「ありがちだな」と言って終わらせられる可能性がある点は、自分なりに考えておいた方が良いように思う。
個人的には、“『過去となった未来』とは人にとってどんな意味があるのか?”というこの作品独特の手触りこそは、深く掘る価値があるのではないか、と思ったりもする。
次に、『双眸』など、いくつか――感覚的な指摘で申し訳ないが――日常的でない単語が使われている。 両目ではダメなのだろうか? 特別な意図や想いがあるのだろうか?
ここで言いたいのは、『“かっこ良く見えそうな単語”わざわざ使って読者に負荷をかける位なら、日常的な単語に置き換えて読者をさっと物語に引きずり込んだ方が良い』ということだ。
もちろん、「この単語でないとダメ」、という場合もあるし、そういった単語を積み重ねることで、日常から少しずつ物語を切り離すという作風はいくらでもある。
けれど私の読む限りでは、この作者の持ち味は「日常的な言葉を積み重ねた先の切実さ」にあるように感じる。
なので、もったいないかな、と感じた。 作者の特質に合わない言葉のチョイスであると感じた。
いずれにせよ、この作品に(も)ある、作者の行く当てのない、そして他罰的でない哀しみのようなものは、私は好きだ。
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室伏君 作者:オチツケ へのレス |
【GhtksqLU】さん ユーモラスな感想をどうもどうも。僕の作品よりあなたの感想の方がおもしろいのではないだろうか。 書いた本人でありながらなるほどと納得させられる。とても勉強になりました。
【1PwfS3nd】さん 最後のシーンは、室伏君というのは実は主人公のもうひとつの人格だったということにしようかな?どうしようかな?と迷いに迷った結果(5分くらい)のモヤッです。作者の中でもモヤッです。 率直な感想をありがとう。
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悪魔 作者:オチツケ へのレス |
感想ありがとうございます。 元々ショートショート用に書いたものだったけど、たしかにどうせ上げるならもっと肉付けすればよかった(うまくできたかはわからないけど)。 ガンバリマス!
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室伏君 作者:オチツケ へのレス |
語り系の物語だと、なるほど、描写不足でもけっこうすんなり読めました。 それにしても、最後のシーンがよくわからなかったです。 要は、心療内科にいるのでしょか? だとしても、モヤッとします。 室伏くんが語られるところと、繋がってるようで、繋がってないような。 モヤッ です。
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室伏君 作者:オチツケ へのレス |
教師は、もう保護を必要としなくなりつつある年齢の生き物に対して受験という圧力をかけて、学校生徒として存在し続ける張力を期待する。 しかし、6,3,3の12年は長すぎる。特に中学高校という「似たような建物、似たような集団生活を受験を前提とした雰囲気で生きる」生活デザインに飽きがくるのは当然だ。 ごく自然に教師と学校は陳腐化し、エスケープこそが精神的に健康な道に見えてくる。 大学受験が辛いのは、ただ単純に勉強の質量が厳しいという話ではなく、この「学校生活への飽き」にいいかげん自覚してしまう頃だからなのかもしれない。 もう少しの間鈍感でいられるか、若しくは意志力で飽きの自覚を潰せる者が、正しい受験生として学校生活を全う出来るのだろう。 エスケープ中に遠くから聞こえるチャイムの音は、学校生活を全うしたかもしれない自分との距離を伝えてくる。長年続けた学校という環境に対する郷愁のようなものが、早くも強力に発生しているのだ。
というような考えをリロードさせられる作品でしたが、そこを前提としてもう一つ展開が無いのはもったいないと思いました。あと室伏というネーミングから、砲丸を回転させながら学校をエスケープしていく姿がビジュアルイメージとして浮かび、このミスマッチは味わい深いと思いました。
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悪魔 作者:オチツケ へのレス |
文章がすらすら読めます。ですが、淡白すぎる感想です。 もう少し描写をしたほうがいいかと思います。 作者さんの個性もあるため、 どのようにするかは、最終的に作者さんで答えを出してほしいですが。
> 母親の声には答えず、青年は無言で家を出て、夕暮れの中を何か考えるように俯きがちで歩いていった。いつものため池の前までくると彼は傍のベンチに腰を下ろし、生気のないくすんだ双眸で薄緑色の池面をじっと眺めた。
たとえば、上記の文章だけでも、けっこう描写ができると思います。
母親の声には答えず、青年は無言で家を出た。夕暮れが影を延ばす歩道を、いつもと同じに、何か考えるように俯きがちで歩いていく。青年の足音がひとつ、人とすれ違うことはほとんどない。遠くにカラスの鳴き声がするのも、いつもの景色だった。 そうして、いつものため池の前までくると、彼は傍のベンチに腰を下ろし、生気のないくすんだ双眸で、いつもと変わりない薄緑色の池面をじっと眺めた。 次第に黒くなっていく水鏡に、ベンチを照らす外灯の光が映り込む。そよ風に揺れてか、それとも魚の悪戯か。時折にしか音をさせない、ため池と同じく。ほとんど身じろぎをしない青年だったが、その心のうちは、大風に揺れ、大魚にかき回されているかのように荒れていた。
これは、もちろん例でして、作者さんのイメージと一致せず。また、必ずしも良い文章とは限りませんが。作者さんらしい表現は、もっとできると思います。ようは、今書いている文章から、もっと風景であれ、時間感覚であれ、人物の動き(心身)であれ、を連想していくことです。 只、連想を増やせば、文章が読みづらくなったり、グダグダになったりなど。正直、塩梅が難しいのはあると思います。そこは、何度も書き直しながら、自分でつかんでいくしかありません。と言うことで、ガンバッテください。
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