| あるときはそんなことも言った。 へのレス |
もったいないと思った。
せっかく途中まで無頼でドライな都会派の若者を描いていていたのに、そしてそこに若者の暴力や悲しみ、幻想のようなものを描こうとしていたのに、最後に照れ笑いのようにダジャレがはいってしまう。
もちろんこれはこれで味なのかもしれないけれど、(私には)どこかで作者が作者自身の“味”に自信が持てていない、自分を信じていない筆のように感じた。
まぁといっても私の偏った読書体験並びに感性によるところだから、“そこがいいんじゃん”という人もいるかもしれない。
が、私個人としては、“せっかく書くなら肩が壊れる位投げ切った方がいいのにな”という印象をもった。
ただ、正直に言えば題材というか道具立てには、全体に無理してるような、背伸びしているような印象は受けた。
作者の文体というか雰囲気としてはスピリタスを混ぜて飲ませて犯して泣くより、鼻くそを丸めて飲ませてゲラゲラ笑って家に帰って情けなくて泣いちゃう、みたいな方がしっくりくるような気がする。(もちろん純粋に良い意味でです。ユーモラスな雰囲気があるということを言いたい)
文章としては読めるものの、もったいないな、と感じたので6点とさせてもらいました。
|
| わたしの月子 作者:ヤマモト へのレス |
惰性で書いたらダメだと思うんす。 きっと真面目に小説書いてる人で、公募とかそういうのやってる感じですね。 普通に書ける。だけど、これはだめ。 どんな舞台でも、いちおう観客がいるわけだから、手抜きはだめよ。
|
| 月子と陽子 へのレス |
これは一読して理解できなかったので、あとから再読してみようと思いつつ読んでいたんですが、下から8行目ですか、焼き魚をほぐしている父が唐突に登場されて、 正直、これはついていけないなと思ってしまいました。 つまり途中放棄です 再読してちゃんとした感想を入れられなかったのは済まなく思います。
|
| 月子と陽子 へのレス |
ひとつひとつの文章をできるだけ丁寧に書こうとしているとは思える。
また、全体に(恐らく読み取ったところによると)面白い話を書こうと思っていることも伝わる。
最初は一読してよくわからなかったのだが、二度、三度読むうち、あぁ、一種の叙述トリックを用いたストーリーを作りたかったのだな、と気づいた。(私自身は未読だが、イニシエーションラブとかが該当するのかな?)
ただ正直に言って一読して読み終えたとき、叙述トリック以前のところでわからないところがかなり多く、せっかくのトリック部分の面白味にたどり着くまで苦労した。
以下にまず“こんな話を書きたかったのかな?”という私なりの読みを前提として書きます。 次に“私はこんなところで読んでつまづきました。なのでこんな風だと読みやすかったかも”というのを書きたいと思います。
私なりに読んだストーリー(全然違うかもですが)
・まず構成としては、月子と陽子という二人の主人公がいる。 ・話は、彼女たち交互の視点で語られる
月子パート) 月子は美術部の男子生徒に恋をしていて、彼にバレンタインデーに彫刻刀をプレゼントする(彼の下駄箱にいれる)
陽子パート) 一方陽子もある男子生徒にチョコをプレゼントしようとする。 陽子はその生徒の靴箱に先客がいることを知る。 陽子は自分の意に反しその先客のものを持って帰ってしまう。 陽子は自分の底意地の悪さに落ち込んでしまう。 (ここでは読者は月子のプレゼントが陽子に持ち去られたと思っている)
共通パート) しかし、じつは月子と陽子は親子だった。(月子が母、陽子が娘)。 現在形で二人の少女の恋路が描かれているようで、その実月子の描写は全て母親の回想シーンだった。(ここがトリック部分) 陽子が持ち帰った箱は、月子が彼(=現在の夫=若き日の陽子の父)に送ったプレゼントでは当然なかった。 それは恋する男子生徒が授業で使う彫刻刀を持って帰るのが面倒くさくて下駄箱に隠していただけだった。 陽子は自分が恋敵の邪魔をしたわけでないことを知り、ホッとする。
2)どこでつまづいたかの例 まず一行空け毎に陽子と月子の視点が切り替わっていきますが、あくまでこれは作者がこの作品に導入した独自ルールであって、読者に普遍的に通じるルールではありません。
例えば、以下の文章を見ます。※@〜Cは私が振りました。
>>@スマホを見ると「当たって砕けろ! 何事も前傾姿勢で!」友達のような母から暑苦しいアドバイスが入っていた。Aでも、確かにそうかもしれない。
※↑ここまで陽子パート ↓ここから月子パート
>> Bざわついた教室に後ろのドアから入り込み席に着くと素早く携帯を取り出して外界を遮断した。Cその動き、忍者のごとき月子である。
この時、読者は、@Aを陽子の動作として解釈しながら読みます。次にBに入り、(作者の中では)月子の動作が始まるのですが、Bの文章に主語がなく、読者は通常は陽子を主語に据えて読み進めます。しかしCを読み終えて初めて「あ、Bって月子の動作だったのね」となり、先ほど読み終えた文章を再度読み直すことになります。
こうした“作者には自明でも読者には不明瞭な視点の切り替え”が短い文章の中で頻発しており、「あれ?今なにが起こっているの?」と読者は混乱してしまいます(少なくとも私は混乱しました。)
複数の主人公ごとに描写を切り替えるのであれば、いっそ空行ではなく、「月子パート」/「陽子パート」とか明示した方が親切かな、と思います。(確かイニシエーションラブとかはA面/B面とかにしてた気がします)
それがダサいとなれば、各文章ごとに主語を適切に入れた方がよいかと思います。 (通常主語の削られた文章は直前の主語を補完しながら読まれることが多いからです)
叙述トリックに挑戦したことをもって評価するものの、文章が伝わるものになっていないことで、5点とさせてもらいました。
小説を書くのが楽しく、面白い話(アイデア)が頭にあるのは伝わってきました。 ただ基礎的な部分でそのアイデアを伝える前に読者が離れる危うさがあります。
個人的には小説よりも、一度映画の撮影テクニックについて解説された本を読んでもいいかもしれません。 どういう撮影の仕方をしたら観客が戸惑うかの実例を見て見るのがよいと思ったからです。 役立つかはもちろんわかりませんが、ご参考までに。
長文となりましたが、せっかく面白いと思えるアイデアが思い浮かぶのであればそれが伝わる形になっていくことを願っているが故、と思ってもらえれば幸甚です。
|
| バーテンと月子 へのレス |
エッセイのような小説のような文章からにじみ出る雰囲気は平素簡明ではあるが、しかし最終的な感想としては“怖いな”というものだった。
内容全般は、ここまでの感想と同じく私も極常識的なことが書かれていて、淡々と普通の人が普通のことを普通の口調でただ書いている、という印象を受けた。
しかし一方で“月子”という存在への結構な執着がこの文章にはある。
文章後半にて“人は〜〜”という主語のもと、繰り返し月子についてもっと知りたい、ちゃんと知りたいという願望が書かれているが……。
その実この“人は”という主語は本当は、“私は”ではないのかと思ってしまう。
本当は、“私は”、“月子”というものを深く知りたくてたまらなくなっている、そしてそのことを本人はまるで自覚なく淡々と描いている。 その静けさに、私としてはむしろサイコな雰囲気を感じ恐ろしかった。(もちろん創作物に対する感想だから悪い意味ではない)
狙ったものかどうかはおいておいて、常識的な文章を淡々と書くその根っこに話し手も気付いていないどうにも人とズレた感覚があるように読めて、それは面白かった(私は怖かったけど)。
「月子」の理由と点数は揃えた。5点。
※本作の直接の感想ではないですが、“月子”さんって凄い人気の方だったんですね。
|
| バーテンと月子 へのレス |
感想は、
「月子」の理由
と、ほぼ同じなのでそちらを参照にしてください。
こちらは完成度が低い分、点数も低くなります。
|
| 花と月子 へのレス |
描写は良くても、話が面白くない。
|
| わたしの月子 作者:ヤマモト へのレス |
アイディアはとてもいいと思う。 話もすらすらと読ませるし、5枚の話として良くまとまっていると思う。 もう少し、登場人物の感情というものが出ていれば、もっと良かったと思う。
>>1の月子が書いている
>>このとき「実体」は明子のまま、精神は月子になってパパの元へいたんでしょうか?
と言う部分ですが、自分は普通に
(わたし(朋子(月子))と母)が住む家から、月子(わたし(朋子)が父に付いて家を出た。 と読めましたけどね。
|
| バーテンと月子 へのレス |
野暮な事は言うものではない。 解っていても言わないのが粋。
|
| バーテンと月子 へのレス |
丁寧に書かれていて読みやすかったけど、内容は「常識人の意見」という感じで、特筆するような事はなかったかな、というのが素直な感想です。 以下は意見です。 私的には月子が証明とかをする必要はないかなと。 だって仮に月子が男だった場合には、「月子」という役割を果たすことができなくなってしまうからね。
|