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美しく残酷な優しい世界  へのレス
文章は読み易い。リズム感もあって良いと思うのだが、残念ながら私はこの作品を好きになれない。主人公の考えや行動に全く共感出来ないのだ。

>僕はもちろん彼女を選び、世界を敵に回す事になる。

まずこの世界とは主人公を取り巻く世界に過ぎない。セカイ系のアニメの主人公が選択を迫られる人類すべてに係わる世界とは違う。結局は主人公と彼女の問題であって二人を取り巻く世界の話だ。

彼女を選択した主人公は、つまり自分ではなく彼女とその子供を選択したことになるが、主人公は子供を産んで育てる重さを理解していない。

>それでも未練タラタラだった僕は、結論から言えば産みたいと言う彼女を支え、妊娠が親や学校に発覚して大問題になった中で立ち回り、二人の世界を世界を守るために、まさしくそれ以外の世界を敵に回したと言えるのだけども、中学生がどうかすることができる問題ではなく、現実には奇跡も魔法もないんだと言う事を思い知らされる羽目になったというだけだ。
>僕は満華が生まれてすぐに、転校することが決まったのだった。
>だから、携帯など持っていなかった僕は、それからの二人を知る事は出来なかった。

彼女と子供を放置して誰かに丸投げして逃げただけ。携帯があるとかないとかの問題じゃない。連絡を取ろうと思えば取れるだろう。それすらしない。彼女とその子供の為に何もしない。転校した? 働けよって思う。

いや中学生が女の子を孕ませてそこまで責任を負わせるのは酷な話だけど、でも

>僕はもちろん彼女を選び、世界を敵に回す事になる。
なんて大層なことを言うなら、ちゃんと彼女らの為に現実の重みを不足なく背負えばと思うのだ。一番大変な時期を彼女に押し付けて、子供が手の掛からない時期になったら、偶然彼女と再会してまた寄りを戻そうって? 世界はそんなに甘くないよ。

コロスベシ  作者:うんこ  へのレス
シリアスなのにユーモラスな作品で作者の創作センスは凄いなと。

>ゴールデンウィークなのに蝉が鳴いていた。ミンミンミンミンミン……。
>「鳴くな!!」
ここで爆笑させて貰いましたw でも、

>ナオミの投擲した包丁は林を突き抜け、三丁目を飛び越え、街上空をかっ飛び、幾羽の鳥を串刺しにしながら成層圏を突き抜け、地球の周りを自由落下しながら一周し、そうして目の前のすっかり枯れてしまった桜の木に止まっているアブラ蝉の背中に突き刺さった。ミンミンミンミン……。
これはちょっとやり過ぎかな。

で、夢オチか。でも、

>気づきながらも再び意識を底へ底へと沈めようと無駄な努力をしてみる。
この文章がいいね。悪夢の続きをみたいとカノジョは思った訳だ。つまり今でも元カレを想っている。それも殺したいほど憎んでいる。しかし彼女は夢の続きをみれない。現実の自分、暑苦しく汗まみれで不快でリアルな感覚によって序々に現実に引き戻されていく。そして彼女はシャワーを浴びたいと思う。やっと自分からリアルへと意識を移したのだ。それが夢の終わりというもの。カレへの断ち切れぬ思いも夢で、女は元カレのことを苦しみながらも時間と共に忘れていくだろう。でも完全に断ち切れはしない。夢は何度でも繰り返すのだから。これが人の業というものか。

改善の余地はあるけど完成度の高い作品だと思う。というか、どうみても素人の作品ではない。かなり書き慣れている人の文章だ。誰なんだろう。最初から最後まで真面目に書いた話も読んでみたい。

二人の道  へのレス
文章は読み易いけどストーリーにそれらしいオチがない。

>性格の不一致で別れるカップルは多いけど、僕達の場合は性の不一致が原因だったね
敢えてオチらしきものを探すならこれか。作者はこれが言いたかったのかな?

まぁオチなんて必ずしも必要ではないけど、競作ではもう少しストーリーを工夫してオチもちゃんと付けて欲しかった。今のままでは元カノが性同一性障害だとの話で終わって評価のしようがない。

他の面を評価しようにも、渚のキャラ立てが十分でなく、この作品ならではの独創性も足りない。
そもそも文章量がないのだから、場面を結婚式場だけにして、もっと渚の微妙な仕草を表現したり、会話をユーモア溢れるものにした方が良かったんじゃないかな。

1時間の演劇ならいくつかのシーンを切り替えるが、5分程度の漫才やコントではシーンの切り替えはない。時間が少ないので、そこに込める情報を圧縮して観る人に集中して貰うのだ。この作品もそういった配慮が欲しかった。

作者は印象的なビジュアルばかり頭に思い描いて文章を書いているように感じた。でも読み手がそのビジュアルに興味があるとは限らない。でも笑いとか感動とかそういったものには誰もが興味を持つ筈だ。だから小説は読まれるんだと思う。世界観が素晴らしいと評価されている作家もいるが、そんな人は当然のようにプロだ。創作する側は自分の趣向を漠然と読み手に押し付けるのではなく、どう読み手を楽しませるか意識して作品を仕上げるべきで、特に競作祭の作品ではそうあって欲しいと思う。

プラットフォーム  へのレス
>電車のドアが開くとすぐに黒いスーツ姿の若い男が飛び出してプラットフォームを駆け抜けた。
この若い男が物語に関係するのだろうと読み始めたが実に全くどうでもいいキャラで、この作品は余計なことを書き過ぎだ。

>タカユキはサヨコより二十センチ程背が高かった。

ここも何故こんな説明が必要なのか。少し背伸びして口を寄せたと、二人の身長差を上手く説明する描写が前に入っているのに。

>タカユキとサヨコは恋人同士だ。付き合いだしてもう時期一年を迎えようとしている。タカユキは南の地方にある大学を卒業すると、就職口も決まらないまま手荷物一つで何のあてもなく上京してきた。タカユキはアルバイトで生計を立てていたものの職を転々とした。それから五つ目のアルバイト先である運送会社に腰を落ち着けた頃、出先である下町の小さな機械部品工場に出向いた時にタカユキはサヨコと知り合った。サヨコはその工場に事務員として勤めていた。去年の春の頃だった。二人の職場には若い人が少ないせいもあってか、二人は互いに惹かれ合い、すぐに交際が始まったのだった。

こんなに詳しい説明がこの話に必要なのだろうか。テンポを悪くしているだけに思える。

>空は青く、春の暖かな風が吹くとタカユキの頬を撫でた。陽の光が駅前に並ぶビルの稜角や反対側の線路の向こうにある広告板を鋭く照らしていた。予備校や化粧品の広告板が陽の光によって白く斜めに削りとられていた。

これも必要なのだろうか。情景描写は作品に必要だが、取って付けたように書かれているので違和感が残るのだ。この描写や先程のキャラ説明も、例えば冒頭にあったら私は素直に読めたと思う。文章がストーリーの流れの中に入っているのに脈絡のない情景描写を入れるから、ん? って感じるのだ。文章の構成を意識して書くべきだと思う。

あと過去のマユミとの話、もう少し練って入らないと混乱する。過去の回想として簡潔に書くか、構成を工夫するか、方法は色々あると思う。

で、読み終えた感想としては、キャラの表情や仕草に関する描写がもう少し欲しかった。あとストーリー的にも、例えば、マユミを死んだことにするとか、主人公は自分の死に気付いておらずこの老婆がヒロインの老いた姿だったとか、色々と工夫出来たのではないか。いや今の終わり方もとても自然で清清しくて私は好きなのだが、

>その時タカユキは電気に撃たれるようにして身動きがとれなくなった。
とあったので、衝撃的な展開を期待していて正直肩透かしを食らった思いだ。

モトカノの腹が膨らんだ  へのレス
文章の言い回しに凄く違和感があったので、この作者、大丈夫か? と変な意味で心配しながら読み進めたのだが、あぁ、なるほど、そういうオチなのか、実は自分は犬で、だからこういう文章だったのかと感心させられた。

最後まで読んだ人には高評価される作品だと思う。でもどうなんだろう、私としては祭り作だから全部読んだが、普通に投稿された作品ならまず最後まで読まなかった。

オチは最後まで予想出来ず、素晴らしいものだ。でも文章はまだまだ改善の余地があると思う。ちゃんと書けたら何処かの出版社のショートショートの公募に応募されたらどうか。それ程にこの作品のオチは良かった。

話せない理由  作者:もりそば某  へのレス
非常に良いモチーフであり着眼点は良いが、しかし全体に不器用さは否めず、そのために良い着想を十分に表現しきれていないようなもどかしさがある。

まずこの作品は大きく前後半に分割されている。

前半は無邪気な若者による性を題材とした創作についてであり、後半はその創作を受けて過去を思い出す主人公の恋物語とその心理描写である。

作者がどれ程自覚的であるかはわからないが、この「生徒の無邪気な創作に深く傷つく」というスジは非常にいい。創作についてのいくつかの示唆や意思がある。

『例え作者どれ程無邪気であろうとも、それが誰かを傷つけない保証はない』ということを描くその感性は、創作者としての誠実さを失わないための貴重な資質ではないか?

もちろん『面白ければいい』というのも正論ではあるのだが、『創作が人を傷つけてしまう』ことを恐れることは、むしろそれだけ『創作の力』を信じていることに他ならず、だからこそ夢中になれる資格があると筆者は考える。

その意味で、この作品の前半から後半にかけての流れは好きだ。

しかし、筆の重きが置かれているだろう、後半の教師の心理描写はやはり拙い。

やや技術的な話しになるが、前半部分が長過ぎる。
そのためにこの短い枚数制限の中で、後半の描写が汲々としている。そして、十分に描けなかったと作者も感じているのだろう、最後の一行に『――結局は』と、少し説明的に過ぎる一文が書かれる。

しかし小説とは『――結局は』で語りきればない気持ちがあるからこそ、書かれ、そして読まれるものだ。(『結局は』でまとめられるのであればレポートでよいではないか)

教師の心理描写を丹念に描けなかったからこその一文とは思うが、であれば明らかに物語的な比重の軽い、女生徒の描写やシナリオの部分は思い切って削った方がよい。
(もちろん作者が狙ってのことであれば筆者の誤読ではある)

美しく残酷な優しい世界  へのレス
かなり面白いがその面白さはやや特殊だ。

まず、この作品は現代的なモラトリアム小説であり、そのことを構造的に描けている点が非常に良い。

恐らく作者は物語を描くことに対し自覚的で、ただリズミカルに文章を書くことだけを意識してはいないだろう。


さて、この作品は物語全体を通じて特に何が事件として起こるわけではなくそのために一見して非常に平坦な小説のように思われるが、実際はそうではなく、この作品には『主人公とは何か?』ということについて、フィクショナルな批評がある。

それは物語の前段に「セカイ系」なるメタフィクショナルな評論の紹介があることが理由ではないのだが、そのことについては少し説明がいるだろう。


まず、初めにこの作品では、「セカイ系」と呼ばれる物語のテンプレートが紹介され、その構図に自分はうまくはまらない、ということを饒舌体の自分語りの中で語っている。

ここでの物語の構図はこうだ。

『セカイor彼女が二項対立として描かれ、その彼女をかけがえのないものとして絶対化し、その絶対化したものに命をかけることで、主人公は主人公たる資格を得る』

そして、その構図に、自分はついていけない、とまず早々に宣言している。

次に現実世界の主人公の生活が描かれるが、ここでは先ほどの「セカイと対比されるだけの価値がある彼女」であった存在が“ヤリマンビッチ”として描かれ、その名に「漫子(マンコ)」と偽悪的でメタな名前が付けられている(そして娘の名前は「漫華(マンゲ)だ」)。

この「彼女がヤリマンビッチである」構図とは、つまり先ほど紹介した「セカイ系」なる物語構図と比較したとき、“主人公がそもそも交換可能な存在であること”を示唆している(ように読める)。

言いかえれば彼女からみたとき、主人公は“いくらでも替えがきく存在”なのだ。(そしてもちろん彼女からだけでなく、“セカイ”からみても主人公は中の下で交換可能である)

そして主人公はその自分の“交換可能性(いてもいなくてもよい存在であること)”を直感的に理解しており、そのことを嫌悪し、そこから徹底的に逃避的な態度をとる。

彼に“責任をとる”という言葉はもはやない。

この主人公は責任をとることもセカイと向き合うことも、彼女を守ることからも徹底的に逃げ、饒舌体に覆われた偽悪めいた態度を取り続ける。

前段で紹介された“セカイ系”と言われる物語の主人公の中心が“守る”ことであったとき、この物語の主人公は“(自分の人生を)奪われたくない”というモチーフが中心となっている。

この責任を回避し、守ることよりも奪われないことを目指すその物語は、まさにモラトリアム小説とでも呼ぶべきものであり、そしてそのことを恐らく作者は自覚的に描いている。

なぜなら、この物語のラストに「とりあえず、今は……。」語られる通り、彼自身も現在判断保留の宙ぶらりんな状態であることを理解していることからだ。

短い作品のなかで、うまくまとまっているように思う。

しかし、個人的には前段のメタフィクショナルな部分は思い切って削るまたは短く刈り込んだ方が良いように感じている。

なぜなら、ここで紹介されるアニメや漫画といったものに馴染みがないと読者が感じた瞬間、このお話は自分には関係のない話だな、と読者は感じ、本を閉じてしまうだろうからだ。

ようは、物語の間口を自ら狭くしてしまっている。

もちろん作者が、「ライトノベルやアニメが好きで“セカイ系”なるものを好きな人だけに読んでもらえればいい」と自覚的に行っているのであれば話は別だが、そうでないのなら、極力物語は、広く開かれていた方がよい、と個人的には思う。

美しく残酷な優しい世界  へのレス
敢えて文中の文言を借りると‘ヤリマンの糞ビッチ’である、
主人公の十六年前にして唯一の肉体関係者である元彼女の名前がある種ド直球の満子(ミツコと読むのだろうが……)であることから敢えてのスベり芸的ネタ作品を思わせいわんやそれに外れるとも言い難く感ぜるが反面、読後におかしみとちょっと可愛いかも、的和み感の残る、妙な共感的魅力を持った作品である。
冒頭には、中学生時代満子にまつわり立ち上がり主人公曰くにささやかながらセカイと戦う僕、に繋がる所謂セカイ系について語られるが、自らの人生(ないし自らの存在(感)を商業ベースになど間違っても乗ることのない波風の全く立たない凪いだ海と評する主人公が、果たして一種情けなくも映る優柔不断平和主義的性質ながら生来の気の優しさと押しへの弱さ、根がマジメ人間的責任感から
人間的主張の強い異性(たち)に否応なしに振り回されなし崩し的に逡巡、奮闘し腹を括(りかけ)る、というある種ラブコメの主人公的テンプレートに当て嵌まって見えるのは、仕掛けである無しにせよ面白い。
また、筆者には作中描かれる満子は所謂ド直球のDQN(死語失敬)として映るのであるが(←そのため>昔のかわいらしい見た目を残してよい歳の〜は上手くイメージが結びつかないところはあるにはある、偏見としてならないとよいのだが……)それにして当人(また娘の満華)の、悲壮感を全く感じさせないキャラクターも、僕の物語の一見しては情けなくも軽妙なバランス作りに大いに貢献していると感じる。
筆者は具体的に一郎二郎三郎の下りでクスッと掴まれその後にしてこの作品をキラリとさせるおかしみと和ましさ、妙な清涼さがラストへの数行で纏め上げられて感じるのであるが、
殊に主人公の心中による宣言の後の、最後行
>とりあえず、今は…… が大きい。
中学生ながら、又、必ずしも自分の種とははかれぬ子を宿した「妊娠したw」な元彼女を、それでも支え、未練ながらもオトコとしての責任を果たし戦い守らんとする主人公である。年齢などから致し方ないといえる結果や一見の情けなさはともかくとこの男、やる時はやるのである。主人公的ヒーロー資質を持っている……というか、やるじゃん。と、
人間として好感が持てる。それとて勿論主人公的ヒーロー資質の一つでもあるのだけれど。
その愛すべき性質が、十六年の時を経た偶然の再会からの満子一行ペースのドタバタの、なし崩し的思考の中にも変わらず表れ活きているのが、いい。
例えばのび太の奮闘に時に胸を目頭を熱くすることがあるように、それでもやっぱりのび太はのび太であることにどこか安心しその日常を見るでなく見つめるように、好感の持てる人間的性質にくす、と気持ちを和ませる妙がある。
作中の現在は、現実の現代より少し過去である、また、そうでなく作中時軸=現代の現在だとして主人公の人生観と性質をあらわすための共感性の表現、と考えあわせることも出来なくはないが、一読しては作中に主人公視点で語られる楽曲の選択やヌかずヌル八?等々の表現は三十も越えて少しの年齢としてはちょっとおっさんすぎやしないか?とか、>二人の世界を世界を(タイプミスか重複表現)、ないし>「そういえば、満華も元気よ」〜「満華は大きくなったろ。元気なの?」(成立しなくはないのだが会話として少し苦しく感ぜられる)等、ネタ勝負一発書き的な印象を拭えなくさせる点は割に多く見てとれ、作品として簡単に直すことの出来る基礎的なミスは勿論直すに越したことはないのだが、
一方で、ネタでもいい。こんな小品があってもいいじゃない。と思わせる、不思議な読後的満足感と魅力のある作品であり、こんなラブコメ?セカイ系?も悪くはないな、と好感を持って読み終えたことを記し、感想と締めさせて頂けたらと思う。
キャラクター作りと華美のないシンプルな構成に、作者の実力とある種素直な人間的魅力が宿っているのかもしれない。

コロスベシ  作者:うんこ  へのレス
作風は偽悪的ではあるが、しかし作者のユーモアがにじみ、おかしみがある。

また、どこか軽い、言ってしまえばヘタクソさを感じさせる文章と、ウマさを感じさせる文章とが短い小説の中に混在し、この作風に作者の意図するヘタウマさが表現されているようにも感じる。

例えば前半の青年の叫び声をカッコ書きで書いたりといった小説表現の不慣れさを感じさせる一方、後半夢から覚めた後の気怠さや余韻は静かだが確かに描かれ、その喧騒と静寂のギャップは、この作品の不思議な魅力を生むことに成功している。

また、アパートの郵便受けを介したセックスという描写もオリジナルで鮮烈な印象を受けた。

このやや偽悪的でヘタウマな作風が、作者の意図したもので今後もこの作風を味として伸長していくものと考えているのか、小説を書くことへの自信のなさからくる描きたいものと向き合うことを避けた“変化球”なのかは判断できない。

しかし、この短い作品の中には、これはこれで特有の味わいがあったように思う。

二人の道  へのレス
元カノ・元カレという今回のテーマに対し、「性同一性障害」という「元カノであるがすでに“彼女でない”」というお話を描こうとしたアイデアは面白く、オリジナルな発想を持ちたいという作者の気概を感じる。

また、エッジの効いたテーマではあるが、そこに描かれる世界は決してエキセントリックなものではなく、人間のもつ後悔や再出発といった心理描写が主で、そこを丁寧に描こうとしているところに作者の誠実な人柄が滲んでいるようにも思え、好感を覚える。

一方、気になる点としては三人称による心理描写の視点/アングルにブレがあることが挙げられる。

三人称は、大きく2つ、「人物の心理まで全て理解して語れる神の視点」と、「カメラ的な描写に徹するもの」とに分けられる。

この物語は、渚の内面は推察のみで描写されており、語りの視点としては後者を意識していると思われる。

一方、信彦については、内面に踏み込んだり、踏み込まなかったりと場面によってまちまちで安定しない。

例えば、以下。

――激しい怒りを窺わせる。

ここでは信彦の心理は観察によって語られる。

一方、以下。
――小さな疑問が音もなく胸中に降り積もる。

――振り返った笑顔に信彦は納得した。そうか、と無理に笑って見せた。

ここでは、信彦の内面に踏み込んだ描写がされる。


語り手の登場人物との心理的距離感が安定していないため、この作品の心理描写はどこか自信なさげに言葉を重ね、苦心しているように見える。

例えば、

――両方の拳を握って耐えるような表情で震えていた。

といった表現。

筆者が描く映像は読み手には伝わるが、しかし、その映像は表現として新鮮さに欠ける。

語り手が信彦の内面を直接描写できるのであれば、

――両方の拳を握って耐えた。

と、(良し悪しはともかく)よりスッキリ表現できるだろう。


もし、作者が人物の内面に踏み込まないことを作品のルールとしているのであれば、その試みには非常に共感できるし、是非それが達成されたものを読みたいと思う。

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