感想  名簿  投稿  案内  モバ 
文芸部
ALL  純文  現代  ラノベ  歴史  推理  SF  ホラー  競作  その他
49/82ページ [ 現在 811 レス ] ランキング 
[←]
54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44
[→]

プラットフォーム  へのレス
この小説の味わいは、純文学、ないしは中間小説と呼ばれるだろうジャンルのものと思われる。

この作品の淡い色合いは掌にのりそうなささやかな日常を切り取ったものであるが、しかしその作品の(意図的な)小ささに比して、作者自体の意識や目線は恐らくは高く、自分の小説に対し、挑戦をする意欲があるように感じ、そこにまず好感を覚えた。

まず第一に、三人称に挑戦していることが良い。

次に老婆の落とし物と青年の落とし物にまつわる苦い思い出とを重ね合わせながら、ふとした日常の一瞬に特別な味わいを持たそうと挑戦しているところも良いように思う。

また、特に青年と現在の恋人とのこれまでの馴れ初めを語る数行は、数行ではあるが時間が“ギュッ”と凝縮され、小説表現としての醍醐味の一旦に触れている。

しかし、一方でこの作品の三人称の描写は滑らかとは言い難く、作者の描写の順序、アングルが安定せず、一種“カメラ酔い”を感じさせるものになってしまってもいる。

具体的には、例えば以下の描写に顕著だ。


>>「俺ちょっと行ってくる」そう言うとタカユキはシューズの底を鳴らして小走りに駅へと降り立った。

まずここで、カメラは車内にはいり、ホームへと移動する主人公の姿を追うように映す。

>>空は青く、春の暖かな風が吹くとタカユキの頬を撫でた。

次にカメラは急展開し、頭上の空を写し、さらに間髪を入れず、青年のほほに急接近する。

>>陽の光が駅前に並ぶビルの稜角や反対側の線路の向こうにある広告板を鋭く照らしていた。
>>予備校や化粧品の広告板が陽の光によって白く斜めに削りとられていた。

その後、青年のほほのアングルは維持されず、カメラはグッと引き誰の目線ともいえない目線でホームから見えるビルの風景を描く。
>>フォームを行き交う人を縫ってタカユキは老婆の傍に近寄ると、膝に手を当てて中腰になって話しかけた。

その後カメラはまた急速に主人公により、収束されている。

この短いシーンのなかでこれだけ視点が飛び飛びになると、読み手としてはなかなか連続した風景として見ることができず、つかえ、安定して読むことができない。

もちろん、純文学的な味わいにあっては安定して読めないこともまた価値のひとつではありうるが、しかしこの作品の場合、比較的うまく三人称で描けているシーンもあることから、意図的にカメラを振り回したわけではないだろう。


三人称は作者が何を、どの順番で眺め、語るのか、その巧拙が如実に問われるだけに、難しい。しかしそれを身につけ柔軟に筆を運べるようになれば、描ける世界はグッと広がるように思う。

その意味で、今後も三人称の語りへの挑戦を継続してみて欲しいと思う。

また、やや蛇足ではあるが、この作風であるならば、過去を思い出す瞬間に「――電気に打たれたような」、という表現はやや手垢にまみれた言葉を使っている印象を拭えず、この作品のみずみずしくなりうる資質を損ねているように感じ、そこを惜しく思う。


マジュヌーン 悪魔憑きの救命師  作者:tz  へのレス
非常によい。

作者がこの「お話」を楽しんでいることがこちらにも伝わってくる。

この小説はいわゆる児童文学に近く、その読み手は大人ではなく子供であろう。

魔的な医者ラーセが千夜一夜の物語をアリスに聞かせるシーンは、読み手のこちらの想像力を刺激し、「そのお話の続きは?」と聞きたくなる魅力がある。

また、文体はやや擬音多く、漫画チックであるものの、端々の描写に作者の筆力がただ子供めいているだけではないことを匂わせる。


こどもは皆、夢現(ゆめうつつ)をひょいとそのみずみずしい感性と想像力とで乗り越え、行き来するものだ。

大人になるにつれその想像力はしおれ、または形を変えるが、ある種の人間はそれを大人になってもなお「お話」として子供に読み聞かせるものを作ることができる。
(もちろんそのお話がお金になるかは別問題だが)

この作者が、単に子供で夢中なだけなのか、大人であるもののあちら側に飛んでいける人物なのかは今の時点ではわからない。

しかし、いずれにせよ、この作者がこれから自らの「お話」を豊かに膨らませることを望むのであれば、夢の世界を描く修練を積むと同時に、現実世界の知識を深く身につける必要があるだろう。

優れた児童文学は、その柔らかな感触の底に確かな知識が必ずある。

単なる作者の妄想か、広がりのある豊かなお話になるか。

作者には是非、小さな女の子が「続きは?」と聞きたくなるようなお話を作ることを目指して欲しいと勝手ながら思う。

モトカノの腹が膨らんだ  へのレス
アイデアはいい。

最後の一行で、なるほど、犬だったか、と思わせることに成功している時点で、作者が読者より引き出したい感想の七割がたはすでに引き出せたと言ってもいいかもしれない。

生き生きとアイデアのおかしみに向けて筆が進んでいるのを感じさせるのも良い。

が、その“オチ”をカモフラージュするために描かれる前段のミスリード部分はやや拙いと言わざるをえない。

なぜなら犬というオチを知って再読すると、恐らく多くの読者は「なぜこの犬はムック本(ステージ4/経済効果等々)という言葉を理解しているのだろう?」と疑問を抱いてしまうだろうからだ。

ミスリードを仕込むには、「だまし元とだまし先(この場合、人間と犬)に共通する言葉・行為」をそれとわからぬよう、選択し、忍ばせてやる必要がある。

この小説自身の成功例でいうと「バックでやる」といった性行為の描写をあげることができるだろう。

オチにきて、読み手にはたと膝を打たせ、再読してなお「納得感」を抱かせるには、そのようなミスリードの道具立てに慎重になる必要がある。

その意味でこの物語は、ややアイデアに対し性急に筆を運び過ぎ、ミスリードの道具立てが少し雑になってしまっている感は否めない。

また、話は変わり文体についてであるが、この犬が十代・二十代の“若さ”を感じさせるのに対し、特に導入部分などの文章、硬さのある表現が過ぎ、モチーフと文体にばらつきがみられることも指摘しておく。

描写されるものと描写するものは、いわばモチーフと筆の関係である。

その意味で、もう少し素直にのびのびと、この犬の生活の延長上にある言葉で描写することはできなかったのか?

やや作者が”小説的な表現”に囚われ不自由になってしまっているように思えるのだが、それは筆者の余計なお節介であるかもしれない。

和田竜  へのレス
これは将棋好き、Hさんの作風だな

余興  作者:そうぞうしゅ  へのレス
文章はよみやすかったです。
内容はわかったような、わからないような。ふんわりとした印象を受けました。
端から強く訴えるものではないのでしょうが。
まあ、そうですね。純粋に読者としてなら、俺的には読むのが時間の無駄ですね。
もちろん、俺以外はそうではないかもしれません。
ぶっちゃけあわないのが一番なのだと思います。もうすこし具体的に言うと、薄っぺらに感じるのです。でも、それが作者さんの狙いですかね。只、こういう反発も、最低限の文章力があるからだとフォローしておきます。

(ああ、こういうのは、やっぱだめだわ。時間損した)
ここで感想して、それを確認できたことに意義がありました。

僕の胸でおやすみ  作者:ソルダード  へのレス
惜しい。

主人公のその精神は時代遅れでいわば「時代」に乗り切れていないことを新旧のヒットソングの対比で表現しようとするその試みはいい。

ただ一文一文はこなれず不恰好なままで、にもかかわらず格好のいい文章をという気負いが滲み、読む側としては厳しい。

この主人公は単に彼女に振られたことで泣いているのではなく、自分という存在がついに「場違い」になったことに絶望して泣いているのではないか?

であればよりギリギリと締め付けられる文章であってほしい。




余興  作者:そうぞうしゅ  へのレス
1に追記)

再読。

変わってはいるがその基調は恋愛小説のようにも読めた。

SFという単語を混ぜた恋愛小説。

あと、モチーフに谷川俊太郎の「20億光年の孤独」に近いものを感じる。

悪くないと思う。〆もまさにそんな感じだし。

ただ、やっぱり言葉のチョイスに肩の力入り過ぎかなー。

「目を開けても神様が見えることが宿題」的な詩が谷川俊太郎にあるけれど、

平易な文章で書いても自信をもって書けるようになることがこの場合、作者の宿題かもしれない。

余興  作者:そうぞうしゅ  へのレス
良い。

想像と欲求というテーマのもと、「死」と「認識されないこと」をうっすらと重ね合わせながら「死なないこと」を妄想する姿が、ある種現場実況的に語られる姿はリアルタイムなドライブ感を読み手に与える。


が、おそらくはこの文章は小説未満の「日記」により近く、そのことをして評価は下がるかもしれない。

ありていに言えばこの人物が誰か自分以外と関わったときに生まれるだろう物語を読み手に予感させないため、良いものはあるが広がりは終わりとなっている。

また、文章がやや冗長、リズムを出すためとは思うがしかし不必要と思われる修飾多々あり。

「笑みを噛む私」「この清い喪失」

雰囲気作りに一役買ってはいるが、それが精神的コスプレに堕さぬようゆめゆめ注意されたし。

皆既月食の夜に  作者:秋吉君  へのレス
良い。

ヒョっというしゃっくりの音が心地よく、作者の耳の良さを感じさせる。

物々しげなタイトルや、やや硬質な文明を喰らうという文章に、思わずこちらの深読みを誘う味付けがされている。

それをよしとするか、あざといとするかは人それぞれだが、少なくともこの作品では破綻というほどのこともなくスパイスにはなっている。


良心  へのレス
惜しい。

ドストエフスキーの独白か、町田康の漫談か、文体は明らかに聞き手を想定しながらの講談口調であるものの、単文ごとの繋がりがやや途切れがちで正直に言えば耳障りがあまりよろしくない。

この主人公、卑屈で女々しくあるのは魅力のひとつであること間違いないが、けれどこの文章全体のほぼ全てが状況説明しかしておらずこれだけ弱く、揺れ動きやすい主人公であるのに、その感情が揺れ動くのは最終版に少しだけ、「良心」について触れる一瞬のみとなっている。


もっとこの主人公は卑屈になっていいし、暴れていい。

その抑制がきかなくなるほどに文章を書き殴っていい。

そのためには、作者はむしろ筆よりも耳を鍛えるべきではないか?

この作風であればより自らの文章に酩酊することが望ましいと感じる。




[←]  
[→]